年表
- ※
- :世界の歴史
10月
※イングランドサッカー協会(The FA)創立。世界初のサッカー協会。
1月
・日本初のフットボールクラブ「横浜フットボールクラブ(YFBC)」創設。
・イングランドサッカー協会(The FA)創設から10年後、英国海軍教官団のアーチボルド・ルシウス・ダグラス少佐と海軍将兵が来日。東京築地の海軍兵学寮(のち後の海軍兵学校)で日本人の海軍軍人に訓練の余暇としてサッカーを教える(これが日本でサッカーが紹介された最初というのが定説)。
・体操伝習所(後の東京高等師範学校体操専修科)が創設され、教科の一つにサッカーが取り入れられる。
4月
・坪井玄道らが著した『戸外遊戯法 一名戸外運動法』が刊行。第17項で「フートボール(蹴鞠の一種)」に競技のやり方が紹介されており、これが日本語でサッカーを紹介した最初の文献とされている。
6月
※サッカーの競技規則の制定などサッカーに関わる重要事項を決める意思決定機関「世界国際サッカー評議会(IFAB)」が創立。
3月
・日本最古の対抗戦といわれるインターポートマッチ(港対抗戦)が開催され、横浜カントリー・アンド・アスレチック・クラブ(YC&AC)と神戸レガッタ・アンド・アスレチック・クラブ(KR&AC)が対戦。
3月
・東京の高等師範学校(東京高師)にフートボール部が設立。
4月
※第1回のオリンピック競技大会(アテネ/ギリシャ)開催。
2月
・東京高等師範学校が横浜カントリー・アンド・アスレチック・クラブ(YC&AC)と対戦(0-9で完敗)。これが日本で行われた初めての外国チームとの対抗試合とされる。
5月
※国際サッカー連盟(FIFA)創立。
11月
・東京高等師範学校と青山師範学校の試合が行われる。これが日本人同士の初の対抗試合とされる。
10月
※第4回オリンピック競技大会(1908/ロンドン)からサッカー競技(男子)が正式種目に。
5月
・初の国際試合「第3回極東選手権大会」(東京・芝浦)に東京高等師範学校が日本の代表として出場。
・内野台嶺が日本初のクラブチーム「東京蹴球団」を結成。
1-2月
・全国高校高等学校サッカー選手権大会の前身となる日本フートボール大会(大阪・豊中)や東海蹴球大会(愛知・名古屋)、関東蹴球大会(東京)など多くの大会が開催される。
3月
・英国大使館の書記官補を務めていたウイリアム・ヘーグ書記官補らの尽力により、イングランドサッカー協会(The FA)からFAシルバーカップが寄贈され、大日本体育協会の嘉納治五郎会長が英国大使館でカップを受け取った。 これが契機となり、2年後の1921年に大日本蹴球協会が創設。
5月
・第5回極東選手権大会(上海)に全関東蹴球団が日本の代表として出場。
9月
・大日本蹴球協会が創立。初代会長に今村次吉。
11月
・第1回大会となるア式蹴球全国優勝競技会(現、天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会)を開催。4チームが出場(1チーム棄権)し、東京蹴球団が初代王者に。
1月
・第1回全国高等学校ア式蹴球大会(旧インターハイ)を開催。
5月
・日本代表(西田満寿次郎監督)が第6回極東選手権大会(大阪)に出場(後に日本代表初の国際Aマッチとして認定)。
8月
・東京高等師範学校付属中学校でサッカーを指導していたチョー・ディン著の指導テキスト『How to Play Association Football』の日本語版が出版される。これが日本サッカーの戦術的基盤づくりに生かされる。
9月
※関東大震災発生。
11月
・ア式蹴球東京コレッジ・リーグ(現、関東大学サッカーリーグ)が始まる。
3月
・大日本蹴球協会が大日本体育協会に加盟。
8月
・日本代表(監督なし)が第8回極東選手権大会(上海)に出場。初戦でフィリピンを下し、国際試合で初勝利。
・大日本蹴球協会が全国に9支部設置を決定。
5月
・国際サッカー連盟(FIFA)の総会で日本の正式加盟が承認される(第二次世界大戦の際に除名)。
6月
・大日本蹴球協会の9支部が10支部に(北海道、東北、関東、東海、北陸、京阪、兵庫、中国[四国]、九州、朝鮮)。
7月
・ア式蹴球、サッカー、ソッカーなどの競技名を「蹴球」に統一。
10月
・大日本蹴球協会の英文表記を「Japan Football Association(略称:JFA)」に決定。
12月
・第1回東西学生王座決定戦(東西学生対抗戦?)が始まる。
5月
・日本代表(鈴木重義監督)が第9回極東選手権大会(東京)に出場。中国と両チーム優勝で、これが日本初のタイトルとなる。
7月
※初の世界選手権(現、FIFAワールドカップ)がウルグアイで開催。
6月
・大日本蹴球協会旗章を制定。3本足の烏は、東京高等師範高師の内野台嶺(大日本蹴球協会理事)ら協会役員が発案し、彫刻家の日名子実三が図案化。
10月
・大日本蹴球協会機関誌『蹴球』(現、『JFAnews』)創刊。
2月
・関東、関西の選抜チームによる東西選抜対抗がスタート。
5月
・日本代表(竹腰重丸監督)が第10回極東選手権大会(マニラ/フィリピン)に出場し、4位に。
4月
・第2代会長に深尾隆太郎が就任。
8月
・日本代表(鈴木重義監督)が第11回オリンピック競技大会(1936/ベルリン)に出場。竹内悌三主将が入村式で旗手を務める。1回戦は3-2でスウェーデンに勝利(「ベルリンの奇跡」)し ベスト8に進出。この試合で川本泰三がオリンピックでの日本人初ゴールを記録。
・大日本蹴球協会「蹴球行進曲」が完成。
1月
・大日本体育会が政府の進めている銀回収への協力を決め、同会および加盟団体で保有している賞杯などを政府に供出。大日本蹴球協会はFAシルバーカップなどの銀杯を供出した。
1月
・終戦後、初のサッカーの試合が行われる(神戸一中対明星商業)。
2月
・戦後初の東西対抗が西宮(兵庫)で行われ、全関東OBと全関西OB、全関東学生と全関西学生が対戦。
5月
・「復興第1回全日本蹴球選手権大会」と銘打ち、第26回大会となる全日本サッカー選手権大会(現、天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会)を開催(第21~25回は第二次世界大戦のため中止)。
11月
※第1回国民体育大会が開催される(この大会の後、全国持ち回りで開催されることに)。
4月
・大日本蹴球協会から日本蹴球協会に改称。第3代会長に高橋龍太郎が就任して新体制に。
・東西対抗がナイルキニックスタジアム(明治神宮外苑競技場/現、国立競技場)で開催され、天皇、皇太子のご臨席を賜る。これが天皇杯下賜のきっかけとなる。
7月
・宮内府(現、宮内庁)より、日本蹴球協会に天皇杯が下賜される(天皇杯は1949、1950年は東西対抗の優勝チームに授与)。
8月
・日本蹴球協会機関誌『SOCCER』を復刊。
9月
・国際サッカー連盟(FIFA)に再加盟。
3月
・日本代表(二宮洋一監督兼選手)が第1回アジア競技大会(ニューデリー)で3位。
5月
・この年の第31回全日本サッカー選手権大会から天皇杯が授与されることになり、大会名を「天皇杯全日本サッカー選手権大会」に改称。優勝した慶応BRBが初の天皇杯を獲得。
11-12月
・戦後初の欧州チーム(ヘルシンボリ/スウェーデン)が来日し、日本代表(竹腰重丸監督)と対戦。
1月
・第1回全国大学大会(現、全日本大学サッカー選手権大会)を開催。
8月
・日本学生選抜(●監督)が国際大学スポーツ週間(西ドイツ/ドルトムント。後のユニバーシアード)に出場し、10カ国中4位。戦後の厳しい状況下、若手有望選手に本場のサッカーを見聞させることを目的に約2カ月にわたって遠征を実施。
3月
・日本代表(竹腰重丸監督)がFIFAワールドカップ予選(スイス)に初出場。日本は韓国に1分け1敗で本大会出場を逃す。
5月
※アジアサッカー連盟(AFC)創立(AFCのFIFA承認は6月)。
6月
※第5回のFIFAワールドカップ(スイス)開催。
10月
・AFCに加盟。
4月
・第4代会長に野津謙が就任。
9月
・審判員登録事務がスタート。翌1957年8月までに189人が登録。
11月
・日本代表(竹腰重丸監督)が第16回オリンピック競技大会(1956/メルボルン)に出場し、1回戦敗退。同大会で竹腰は主審としても参加(ソ連対インドネシアを担当)。
・多和健雄らの尽力によって学習指導要領が改正され、小学校から高校までの正課体育にサッカーが採用されることが決定。
5月
・国際サッカー連盟(FIFA)主催の国際審判講習会が日本で開催。
・常務理事の市田左右一(常務理事)が日本から初の国際サッカー連盟(FIFA)理事に就任。
5-6月
・第3回アジア競技大会が東京で開催される。日本代表(川本泰三監督)はグループステージ敗退。村形繁明が決勝の主審を、横山陽三が線審を務める。
4月
・日本の提案により、アジアユース選手権がスタート(第1回はマレーシアで開催)。日本ユース代表(高橋英辰監督)は3位。
8-9月
・第18回オリンピック競技大会(1964/東京)に向けた日本代表チームの強化のため、約50日間にわたる欧州・ソ連遠征を実施。デュイスブルク(西ドイツ)のスポーツシューレで初めてデットマール・クラマーの指導を受ける。
10月
・デットマール・クラマーが初来日。
11月
・日本代表(デットマール・クラマーコーチ)がFIFAワールドカップチリのアジア予選に出場。第1戦の韓国とのアウェイ戦に臨むため、日本のスポーツチームとして戦後初の訪韓を果たす。
6月
・日本代表(デットマール・クラマーコーチ)がFIFAワールドカップチリ予選に出場。第1戦(1960年11月)に続いて敗れ、敗退が決まる。
4月
※小学校の体育の正課でサッカーが採用される。
5月
・1961年度最優秀選手に長沼健。日本蹴球協会創立40周年を記念して1961年度から始まった表彰で、全国のサッカー記者の投票で選出。
4月
※中学校の体育の正課でサッカーが採用される。
10月
・日本代表(長沼健監督)が西ドイツアマチュア代表と対戦し、国内で欧州チームに初勝利。
4月
※高校の体育の正課でサッカーが採用される。
10月
※第18回オリンピック競技大会(1964/東京)開幕。国立競技場で開会式が行われる。
・日本代表(長沼健監督)が第18回オリンピック競技大会(1964/東京)に出場し、ベスト8入り。福島玄一と横山陽三が主審を、浅見俊雄、早川純正、池田太郎、丸山義行、佐藤弘が線審(現、副審)を務める。
・関西サッカー協会が中心となって、東京オリンピック5・6位決定戦を開催(長居陸上競技場)。この試合で日本代表(長沼健監督)はユーゴスラビアオリンピック代表と対戦し、敗戦。
・デットマール・クラマーコーチの帰国に際して開催した「お別れのパーティー」で、同コーチから「日本代表の強化のため積極的に対外試合」「海外遠征を行うこと」「良いコーチを育て、彼らが日本の一流チームを指導すること」「ホームアンドアウェイ方式のリーグ戦を、できれば全国規模で行うこと」「はコーチ(指導者)の組織を確立すること」の四つの提言がなされる。
4-5月
・日本で第7回アジアユースサッカー大会が開催される。日本ユース代表(平木隆三監督)はグループステージ敗退。
6月
・クラマーコーチの提言にもあった日本初の全国リーグ、日本サッカーリーグ(JSL)が8チーム(古河電工、日立本社、三菱重工、豊田織機、名古屋相互銀行、ヤンマーディーゼル、東洋工業、八幡製鐵)でスタート(~1992年)。
9月
・大分県別府市で第1回全日本社会人蹴球大会(現、全国社会人サッカー選手権大会)を開催。JSL創設に伴い、実業団選手権大会と全国都市対抗大会を改廃統合して新たに発足。開幕当初はこの大会の1、2位のチームがJSL7、8位のチームとの入れ替え挑戦権を得られた。
5月
※ベースボールマガジン社から『月刊サッカーマガジン』が刊行(Jリーグ開幕に合わせて1993年から週刊となる)。
・地域協会を北海道、東北、北陸、関東、東海、関西、中国、四国、九州の9地域と定め、加盟団体を第1種=社会人、第2種=高校、第3種=サッカースポーツ少年団、第5種=中学校、第6種=小学校の6種に分けて新体制を整備。
6月
・宮内庁より新しい天皇杯が下賜される。
8月
・全国高等学校総合体育大会にサッカー競技が加わる。国体・高校の部と、高校サッカー選手権と合わせ、高校年代の全国大会が年間三つに。
6月
・ブラジルのパルメイラスが来日し、日本代表(長沼健監督)と対戦。第2戦で南米のプロチームに初勝利を収める。
8月
・第1回全国サッカースポーツ少年団大会を開催(山梨県本栖湖センター)。
4月
・日本蹴球協会副会長の篠島秀雄と三菱商事(ロンドン支局)の諸橋晋六の尽力により東京12チャンネル(現、テレビ東京)でサッカー専門番組「イギリス・プロサッカー」(後に「三菱ダイヤモンド・サッカー」)の放送が実現。
10月
・日本代表(長沼健監督)が第19回オリンピック競技大会(1968/メキシコシティー)に出場し、銅メダルを獲得 。釜本邦茂が7点を挙げて得点王に。同年に国際サッカー連盟(FIFA)が新設したFIFAフェアプレー賞も受賞した。 同大会で丸山義行がグループステージ(ハンガリー対ガーナ)で主審を務める。
1月
・天皇杯全日本サッカー選手権大会の決勝が元日開催に。
3月
・第19回オリンピック競技大会(1968/メキシコシティー)で銅メダルを獲得した日本代表チームが、ユネスコの1968年度フェアプレー賞を受賞することが決まる(授賞式は5月13日、パリのユネスコ本部で行われ、長沼監督が出席)。FIFAフェアプレー賞とダブル受賞。
4月
・野津謙会長(アジアサッカー連盟副会長)が国際サッカー連盟(FIFA)理事に就任。日本人からのFIFA理事は2人目。
7-10月
・日本で第1回FIFAコーチング・スクールがを開催され(千葉県/検見川グラウンド)、デットマール・クラマーが主任指導者を務める。日本から12人、アジア13カ国から30人が参加。
10月
・国際審判員の福島玄一が日本人として初めてFIFAスペシャルアワードを受賞。
・日本代表(長沼健監督)がFIFAワールドカップメキシコ'70アジア/オセアニア予選(韓国/ソウル)で敗退。
5月
・日本で初のFIFAナショナルレフェリーズコースが開催される(神奈川県・藤沢市県営体育センター)。このコースは、国際サッカー連盟(FIFA)が競技規則の解釈と適用を国際的に統一することを目的に創設したもの。
6月
・丸山義行が日本人として初めてFIFAワールドカップ(メキシコ)に参加し、グループステージで線審(現、副審)を務める。
7-8月
・日本蹴球協会初のコーチングスクールを開講。
8月
・第1回全国中学校サッカー大会を開催。
・専門的な指導を行うJFA公認コーチと、主に少年たちを対象とする公認リーダーの2つの指導者ライセンス制度を導入設定。
12月
・ブラジル生まれのネルソン吉村が日本国籍を取得し、吉村大志郎に。サッカーの外国籍選手としては初の日本国籍取得。
9月
日本蹴球協会創立50周年の記念式典を挙行。
・日本蹴球協会内に指導者組織コーチャーズアソシエーションを創設。
4月
・日本サッカーリーグ(JSL)2部がスタート。
9月
・第1回日韓定期戦開催(1991年の第15回大会で終了)。
12月
・天皇杯全日本サッカー選手権大会がオープン化され、全加盟チームに門戸を開く。オープン化第1回の中央大会には、地域大会を勝ち抜いた16チームとJSL1部8チームの計24チームが参加。
5月
・日本代表(長沼健監督)がFIFAワールドカップ西ドイツ'74アジア/オセアニア地区予選に出場し、準決勝で敗退。
2月
・『日本サッカーの歩み(日本蹴球協会創立満50年記念出版)』を発行。新田純興らが編纂。
3-4月
・マラハリム・カップ(インドネシア)で日本代表B(平木隆三監督)が初優勝。
6月
・大畠襄がJSLチームドクター協議会を設立。
7月
・東京12チャンネル(現、テレビ東京)でFIFAワールドカップ西ドイツ74の決勝を生中継。国内初のワールドカップ生中継。
8月
・財団法人化。財団法人 日本サッカー協会(JFA)に名称変更。
6月
・日本代表(長沼健監督)がアジアカップ予選に初出場。3位で敗退。
4月
・第5代会長に平井富三郎が就任。
・JSLカップが開幕。
10月
・日本サッカー後援会発足。
4月
・JSL年間優勝クラブと天皇杯優勝クラブが対戦する「スーパーカップ」が始まる。第1回大会は、それぞれの優勝チームの古河電工とヤンマーが対戦。
・普及の新たな取り組みとして第1回サッカーフェスティバルを開催。東京・国立競技場では、メインイベントしてJSLスーパーカップを開催、また全国20府県協会で女子サッカーやミニサッカー等の試合、スキルテスト、映画会、写真展などが開催される。
・全国社会人サッカー連盟設立。全国社会人サッカー大会を1977年度の第13回大会から全国社会人サッカー選手権大会に改称。
・日本体育協会・公認スポーツ指導者制度創設に伴い、JFAでは同制度に準ずる、「公認リーダー」から「公認コーチ」、さらに「公認上級コーチ」に上がるライセンス体系を確立。
7月
・全国クラブユース選手権大会(現、日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会)が始まる。
・第1回総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント開催。
8月
・全日本少年サッカー大会(現、JFA全日本U-12サッカー選手権大会)が始まる(地域協会より推薦された32チームが出場)。
・全国から優秀な若年層の選手を集めた育成制度、セントラルトレーニングセンターをが始まる(1980年より、ナショナルトレーニングセンター制度に)。
10月
・古河電工の奥寺康彦が1.FCケルン(西ドイツ)に加入し、日本人プロ第1号に。
11月
・全国地域リーグ決勝大会(現、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ)が始まる。
5月
・ジャパンカップ(現、キリンカップサッカー)が始まる。
・丸山義行、永嶋正俊がFIFAスペシャルアワードを受賞。
3月
・日本女子サッカー連盟が発足。
・女子を「第5種」として登録することを決定。
8-9月
・FIFAワールドユース・トーナメント(現、FIFAU-20ワールドカップ)を日本で開催。U-20日本代表(松本育夫監督)はグループステージ敗退。
3月
・全日本女子サッカー選手権大会(現、皇后杯JFA全日本女子サッカー選手権大会)が始まる。
4月
・ジュニアユースおよびユース年代の育成システムであるナショナルトレーニングセンターを正式に発足。
5-6月
・ジャパンカップがキリンビールの協賛で「ジャパンカップキリンワールドサッカー」に改称。
2月
・第1回トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ(略称:トヨタカップ)開催(~2004年)。
4月
※『週刊少年ジャンプ』(集英社)第18号から「キャプテン翼」の連載が始まる。これによってサッカー選手を目指す少年が増加。
6月
・日本女子代表(市原聖曠監督)を初めて編成し、第4回アジア女子選手権(香港)に出場。グループステージ敗退。
9月
・日本初の女子国際サッカー大会となるポートピア81国際女子サッカーが開催される(兵庫県、東京都)。
・浅見俊雄がFIFAスペシャルアワードを受賞。
10月
※テレビ東京系列で「キャプテン翼」(アニメ)のテレビ放送が始まる。
7月
・日本サッカー審判協会発足。
7-8月
・第23回オリンピック競技大会(1984/ロサンゼルス)で、佐野敏一が主審を務める。
5月
・ジャパンカップキリンワールドサッカーが「キリンカップサッカー」に改称。
8-9月
・神戸でユニバーシアード競技大会が開催される。この大会からサッカーが正式種目に。ユニバーシアード日本代表(山口芳忠監督)は4位。
10-11月
・日本代表(森孝慈監督)がFIFAワールドカップメキシコ'86アジア地区予選に出場し、最終予選で敗退。
4月
・事実上のプロ選手登録となる「スペシャルライセンスプレーヤー制度」を導入。初年度は、奥寺康彦、木村和司がスペシャルライセンスプレーヤーとして登録。
6月
・高田静夫がFIFAワールドカップメキシコ'86で主審、線審(現、副審)を務める。ワールドカップの主審は、日本人初。
12月
・古河電工(清雲栄純監督)がアジアクラブ選手権で優勝。
1月
・JFAでFIFAワールドカップ招致を決定。開催に向けて検討を開始。
4月
・高円宮憲仁親王殿下がJFA名誉総裁にご就任。
・第6代会長に藤田静夫が就任。
9-10月
・第24回オリンピック競技大会(1987/ソウル)で高田静夫が主審を務める。
1月
・読売サッカークラブ(与那城ジョージ監督)がアジアクラブ選手権で優勝。
3月
・JSLが、リーグの活性化と日本サッカーのレベルアップを図ることを目的に「第1次活性化委員会」を開催(10月まで6回開催)。
5-6月
・JSLの若手選手で編成した日本代表B(山口芳忠監督)がマラハリムカップで優勝。
10月
・JSL、「第2次活性化委員会」を開催し、事実上のプロリーグとなる「スペシャル・リーグ」の具体的検討を開始(1989年3月まで8回開催)。
1月
※第1回FIFA5人制室内サッカー選手権大会(現、FIFAフットサルワールドカップ)がオランダで開催される。
・フットサル日本代表(宮本征勝監督)が第1回FIFA5人制室内サッカー世界選手権(オランダ/現、FIFAフットサルワールドカップ)に出場し、グループステージ敗退。
3月
・JSLが、スペシャル・リーグ創設を含む「日本サッカーリーグの活性化案」をJFAに提案。
6月
・JSLから「日本サッカーリーグの活性化案」が提案されたことを受けて、JFA内に「プロリーグ検討委員会」を設置し、検討を開始。
8月
・日本オリンピック委員会(JOC)に加盟。
11月
・国際サッカー連盟(FIFA)に対し、2002FIFAワールドカップの開催国として立候補の意思を表明。
12月
・高円宮杯全日本ジュニアユースサッカー選手権大会(現、高円宮杯JFA全日本U-15サッカー選手権大会)が始まる。
5月
・村田忠男専務理事がAFC副会長に就任。
6-7月
・高田静夫がFIFAワールドカップイタリア'90で主審、線審(現、副審)を務める。
8-9月
・高円宮杯全日本ユースサッカー選手権大会(現、高円宮杯JFA U-18サッカープレミアリーグ、同プリンスリーグ)が始まる。
9-10月
・第11回アジア競技大会(北京)に日本女子代表(鈴木保監督)が初出場、準優勝。
2月
・プロリーグ参加10団体(住友金属サッカー部、古河電気工業サッカー部、三菱自動車工業、読売サッカークラブ、日産自動車サッカー部、全日空サッカークラブ、清水エスパルス、トヨタ自動車サッカー部、松下電器産業サッカー部、マツダサッカークラブ)が決定。
3月
・JFA独自の指導者資格「準指導員」を創設。
・プロリーグ設立準備室開設(川淵三郎室長)。プロリーグ検討委員会はこの日をもって発展的に解消。
6月
・日本代表(横山謙三監督)がキリンカップサッカー'91で優勝。キリンカップサッカーでは初。
・2002年ワールドカップ日本招致委員会設立。
5-6月
・第8回アジア女子選手権が日本(福岡県)で開催され、日本女子代表(鈴木保監督)が準優勝。
7月
・プロリーグ設立準備室が、プロサッカーリーグの正式リーグ名称「Jリーグ」を発表。
11月
※第1回FIFA女子世界選手権(現、FIFA女子ワールドカップ)が中国で開催される。
・社団法人日本プロサッカーリーグ設立(11月1日)。初代チェアマンに川淵三郎が就任。
・日本女子代表(鈴木保監督)が第1回FIFA女子世界選手権(中国/現、FIFA女子ワールドカップ)に出場し、グループステージ敗退。
・佐野敏一がFIFAスペシャルアワードを受賞。
2月
・日産自動車(清水秀彦監督)が第2回アジアカップウィナーズ選手権で優勝。
4月
・日本代表初の外国人プロ監督として、ハンス・オフト(オランダ)を起用。
5月
・第7代会長に島田秀夫が就任。
・プロチームとプロ選手の指導資格となる公認S級コーチのライセンスを開講。
7月
・ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)が開幕。
8月
・日本代表(ハンス・オフト監督)が第2回ダイナスティカップ(中国)で優勝。
7-8月
※第25回オリンピック競技大会 1992/バルセロナ)開催。この大会から出場資格が23歳以下に。
8月
・第25回オリンピック競技大会(1992/バルセロナ)で舘喜一郎がグループステージ(メキシコ対オーストラリア)の主審を務める。
9-11月
・Jリーグ初の公式試合となるJリーグヤマザキナビスコカップ(現、JリーグYBCルヴァンカップ)を開催。ヴェルディ川崎(ぺぺ監督)が優勝。
11月
・第10回アジアカップが日本(広島)で開催され、日本代表(ハンス・オフト監督)が初優勝。
・藤田静夫会長がFIFA功労賞(金賞)を受賞。
4月
・ナショナルトレーニングセンター、9地域と中央を結ぶ(「9地域サッカー協会とJFAを結ぶ」?)新しい制度が確立。【要確認】
・横浜マリノス(清水秀彦監督)がアジアカップウィナーズカップで2連覇。
5月
・Jリーグ開幕。5月15日に国立競技場で開幕式と、横浜マリノス対ヴェルディ川崎の開幕戦を行う。
8-9月
・日本でFIFA U-17世界選手権(現、FIFA U-17ワールドカップ)が開催される。U-17日本代表(小嶺忠敏監督)はベスト8。
10月
・FIFAワールドカップアメリカ'94アジア地区最終予選の最終戦(10月28日)で、日本代表(ハンス・オフト監督)がイラクと対戦。日本は試合終了間際に同点ゴールを許し、2-2の引き分けに。これで首位から3位に転落し、初のFIFAワールドカップ出場を逃す(「ドーハの悲劇」)。
・アフロ・アジア選手権が日本(東京)で開催され、日本代表(ハンス・オフト監督)がコートジボワールを破り優勝。
5月
・第8代会長に長沼健が就任。
10月
・第12回アジア競技大会が広島で開催される。(日本代表(パウロ・ロベルト・ファルカン監督)はベスト8、日本女子代表(鈴木保監督)は準優勝)
11月
・FIFAに対し、2002FIFAワールドカップ開催への立候補意思の基本回答。
12月
・AFC40周年記念表彰式で日本が新設のAFCフェアプレー賞受賞。
1月
・日本代表(加茂周監督)がサウジアラビアで開催されたインターコンチネンタル選手権(現、FIFAコンフェデレーションズカップ)に初出場し、グループリーグ敗退。
・横浜フリューゲルス(木村文治監督)が第5回アジアカップウィナーズ選手権で優勝。
2月
・国際サッカー連盟(FIFA)に対し、2002FIFAワールドカップ開催の正式立候補の確認書を送付。
・日本代表(加茂周監督)が第3回ダイナスティカップ(香港)で連覇。
4月
・1977年設立の日本ミニサッカー連盟を改め、「日本フットサル連盟」が発足。
・U-20日本代表(田中孝司監督)がFIFAワールドユース選手権(カタール/現、FIFA U-20ワールドカップ)に出場し、ベスト8。FIFAフェアプレー賞を受賞。
6月
・日本女子代表(鈴木保監督)が第2回FIFA女子サッカー世界選手権(スウェーデン/現、FIFA女子ワールドカップ)に出場し、ベスト8入り。女子サッカーが正式種目となった1996年のアトランタオリンピックの出場権を獲得。 吉澤久惠がこの大会の3位決定戦で線審(現、副審)を務める 。
・JFA名誉総裁の高円宮殿下が大切にされた「フェアプレー」を推進するため、JFAが主催する全ての国内大会に「フェアプレー賞」を設ける。
8月
・横浜フリューゲルス(木村文治監督)がアジアスーパーカップの初代チャンピオンに。
・U-17日本代表(松田保監督)がFIFA U-17世界選手権(エクアドル/現、FIFA U-17ワールドカップ)に出場し、グループステージ敗退。
・阪神・淡路大震災チャリティーFIFAオールスターマッチ(アメリカ大陸選抜対世界選抜)を国立競技場で開催。
9月
・第18回ユニバーシアード競技大会が福岡県で開催され、ユニバーシアード日本代表(宇野勝監督)が初優勝。
・国際サッカー連盟(FIFA)に対し2002FIFAワールドカップ開催提案書を提出。
12月
・ベルマーレ平塚(古前田充監督)がアジアカップウィナーズカップ優勝。
2月
・第1回全日本フットサル選手権(現、JFA全日本フットサル選手権大会)を開催。全国9地域代表が出場。
4月
・JFAとJリーグ、筑波大学が、同大学の大学院修士課程体育研究科内に「プロフェショナルスポーツ・コーチ論寄付講座」を開設。5年間にわたり開設(〜2000年3月)。
5月
・FIFA理事会で2002FIFAワールドカップの日本、韓国の共同開催が決定。アジア初、大会史上初の共催。
7月
・第26回オリンピック競技大会 (1996/アトランタ)から女子サッカーが正式種目に採用、男子は年齢制限のない選手3人の出場が可能に(オーバーエイジ枠)。同大会で日本女子代表(鈴木保監督)がグループステージ敗退。U-23日本代表(西野朗監督)は優勝候補のブラジルを破る(「マイアミの奇跡」)も、グループステージ敗退。
・2002年ワールドカップ開催準備委員会発足。
8月
・第76回天皇杯が、Jリーグ全チーム、47都道府県代表、JFL上位チーム、大学シードの計80チームによるノックアウト方式に変更。同時に、第2種登録チームの参加も認められる。
11月
・高田静夫がFIFAスペシャルアワードを受賞。
・この年の第76回天皇杯全日本サッカー選手権より、全国9地域代表制から47都道府県代表制に変更。クラブユースや高校のチームにも門戸を広げて開催。
・JFA理事会で、2002FIFAワールドカップの国内開催地10自治体を決定(札幌市、宮城県、茨城県、埼玉県、横浜市、新潟県、静岡県、大阪市、神戸市、大分県)
3月
・第1回全日本女子ジュニアユースサッカー選手権大会(現、JFA全日本U-15女子サッカー選手権大会)を開催。
6月
・U-20日本代表(山本昌邦監督)が第9回FIFAワールドユース選手権(マレーシア/現、FIFA U-20ワールドカップ)に出場し、2大会連続ベスト8。
7月
・日本初のサッカーナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」を福島県にオープン。
11月
・FIFAワールドカップフランス'98アジア地区第3代表決定戦で日本代表(岡田武史監督)がイランをゴールデンゴールで下し、初出場を決める(「ジョホールバルの歓喜」)。
・財団法人2002年FIFAワールドカップサッカー大会日本組織委員会設立発起人会が開催され、那須翔が正式に発起人会代表に決定。
12月
・2002年ワールドカップ開催準備委員会の総会が開催され、発展的に解散することを決定。同日、第1回2002年FIFAワールドカップサッカー大会日本組織委員会の理事会を開催。組織員会の略称がJAWOCに決定。
・第1回全日本女子ユースサッカー選手権大会(現、JFA全日本U-18女子サッカー選手権大会)を開催。
・全国サッカークラブユース連合と日本クラブジュニアユースサッカー連盟が統合され、日本クラブユースサッカー連盟として発足。
・長沼健JFA会長と高砂嘉之参与(兵庫県サッカー協会会長)が、南米サッカー連盟(CONMEBOL)特別功労賞受賞。
・「個人の能力に応じた環境」でプレーする機会を提供することを目的に、所属チーム(大学または高校など)に登録したまま、受入先のJクラブの選手としてJリーグ等などの公式試合に出場することができる「特別指定選手制度(現、JFA・Jリーグ特別指定選手制度)を制定。
3月
・第4回AFCダイナスティカップを日本で開催。日本代表(岡田武史監督)は3連覇。
・ジュニアユース審判資格制度、ユース審判資格制度を新設。
4月
・各種指導者養成講習会の講師を養成するJFAインストラクター制度を導入。
5月
・村田忠男理事が、アジアサッカー連盟(AFC)から長年にわたるアジアサッカーの発展と国際サッカー連盟(FIFA)への貢献が評価され、Distinguished Service Awardを受賞(AFC総会にて)。
6-7月
・日本代表(岡田武史監督)がFIFAワールドカップフランス'98に出場し、グループステージ敗退。同大会で岡田正義がグループステージ(イングランド対チュニジア)主審を務める。
7月
・JFA第9代会長に岡野俊一郎が就任。
11月
・第1回フットボールカンファレンス(福島県)を開催。以降、2年ごとに開催。
3月
・Jリーグが1・2部制を導入(J1リーグ:16クラブ、J2リーグ:10クラブ)。
4月
・審判員登録制度スタート。
・U-20日本代表(フィリップ・トルシエ監督)が第10回FIFAワールドユース選手権(ナイジェリア)に出場し、準優勝。
・第1回日本フットボールリーグ(JFL)開幕。日本サッカーリーグ(1965~1992年)とジャパンフットボールリーグ(1992~1998年)を受け継ぎ、9チームが参加してスタート。
・ジュビロ磐田(桑原隆監督)がアジアクラブ選手権で優勝。
6-7月
・日本代表(フィリップ・トルシエ監督)がパラグアイで開催されたコパアメリカ’99に招待チームとして出場。日本は1分け2敗1分でグループステージ敗退。
・日本女子代表(宮内聡監督)が第3回FIFA女子ワールドカップ世界選手権(アメリカ)でグループステージ敗退。同大会で吉澤久惠が3位決定戦などで副審を務める。
11月
・U-22日本代表(フィリップ・トルシエ監督)がシドニーオリンピックアジア予選で優勝。
・ジュビロ磐田(桑原隆監督)がアジアスーパーカップで優勝(第2回世界クラブ選手権の出場権を得るが、同大会は大会運営を委託されていた会社が倒産したため、中止に) 。
12月
・国立競技場で行われた天皇杯全日本サッカー選手権の準決勝(名古屋グランパス対柏レイソル戦)に天皇皇后両陛下がご臨席。
4月
・シニアの登録を開始。
・清水エスパルス(ペリマン監督)がアジアカップウィナーズ選手権カップで優勝。
9月
・U-23日本代表(フィリップ・トルシエ監督)が第27回オリンピック競技大会(2000/シドニー)に出場し、ベスト8。
・第27回オリンピック競技大会(2000/シドニー)の女子サッカー決勝で、吉澤久惠が副審を務める。オリンピック決勝で日本人審判員が指名されたのは初。
10月
・日本代表(フィリップ・トルシエ監督)がAFCアジアカップ(レバノン)で2度目の優勝。
11-12月
・FIFAフットサル世界選手権(グアテマラ/現、FIFAフットサルワールドカップ)で鈴木亮哉が主審などを務める。
3月
・スポーツ振興投票(toto)がJリーグの開幕とともにスタート。
4月
・静岡県清水市(現、静岡市清水区)にサッカーナショナルトレーニングセンター「J-STEP」がオープン。
5月
・アジアクラブ選手権でジュビロ磐田(鈴木政一監督)が準優勝。
5-6月
・FIFAコンフェデレーションズカップ日本/韓国2001で日本代表(フィリップ・トルシエ監督)が準優勝。この大会で日本はFIFAフェアプレー賞を受賞。
6-7月
・U-20日本代表(西村昭宏監督)がFIFAワールドユース選手権アルゼンチン2001に出場し、グループステージ敗退。上川徹審判員が3位決定戦の主審を務める。
8月
・日本代表(フィリップ・トルシエ監督)がAFC/OFCチャレンジカップ2001(静岡県)でオーストラリアを破り優勝。
・ユニバーシアード日本代表(瀧井敏郎監督)が第21回ユニバーシアード競技大会(北京)で優勝(2度目)。
9月
・U-17日本代表(田嶋幸三監督)、がFIFA U-17世界選手権(現、FIFA U-17ワールドカップ)トリニダード・トバゴ2001でグループステージ敗退。
11月
・日本代表OB会(現、日本代表OB・OG会)が発足、初代会長は長沼健JFA名誉会長。
12月
・釜山(韓国)で2002FIFAワールドカップの本大会抽選会が行われる。
2月
・プロフェッショナル契約をするスペシャルレフェリー(現、プロフェショナル・レフェリー/PR)制度を導入。
4月
・「アジアユース育成プログラム」がスタート。
5月
・キリンチャレンジカップ2002の日本代表対スウェーデン代表の試合に天皇皇后両陛下がご臨席。
・日本、中国、韓国、チャイニーズ・タイペイ、グアム、香港、マカオ、モンゴルの各サッカー協会と東アジアサッカー連盟を設立、本部を東京に置く(その後、本部は中国、韓国の各協会持ち回りとなる。2008年に北マリアナ諸島が加盟)。初代会長に岡野俊一郎が就任。
5-6月
・アジア初のFIFAワールドカップを韓国と共同開催。日本代表はベスト16入り。上川徹が主審を務める。大会史上初となった日韓共催のワールドカップは両国の関係を深め、また、開催地やキャンプ地などで温かい交流が育まれるなど、'笑顔のワールドカップ'と称され、今なお語り継がれている。
7月
・第10代会長に川淵三郎が就任。
8月
※第1回のFIFA U-19女子世界選手権(カナダ/現、FIFA U-20女子ワールドカップ)開催。
・小倉純二JFA副会長がFIFA理事(現、カウンシルメンバー)に就任(日本人のFIFA理事としては3人目)。
・U-19日本女子代表(池田司信監督)がFIFA U-19女子世界選手権2002(カナダ/現、FIFA U-20女子ワールドカップ)で8強入り。また、FIFAフェアプレー賞を受賞。大岩真由美が開幕戦、3位決定戦などで主審を務める。日本の女性審判員がFIFA主催の国際大会で主審を務めるのは初。
10月
・日本サッカーの環境充実と競技普及を目的とした重要施策「キャプテンズ・ミッション(後に「プレジデンツ・ミッション」)」を発表。
11月
・JFA名誉総裁高円宮憲仁親王殿下薨去(11月21日) 。
12月
・2002FIFAワールドカップを成功させたとして、日本と韓国にFIFAフェアプレー賞が授与される。
3月
・高円宮妃久子殿下がJFAの名誉総裁に就任される(3月21日)。
・地域における新たなリーグ戦となるJFAプリンスリーグU-18(現、高円宮杯JFA U-18サッカープリンスリーグ)を創設。
4月
・フットサル個人登録制度開始。
・世界基準を目指す選手の育成を目的にJFAエリートプログラムが始まる。
5月
・日本サッカーの環境充実と競技普及を目的とした重要施策「キャプテンズ・ミッション(後に「プレジデンツ・ミッション」)を発表。①JFAメンバーシップ制度の推進、②施設の確保・活用、③JFAキッズプログラムの推進、④中学生年代の活性化、⑤エリート養成システムの確立、⑥女子サッカーの活性化、⑦フットサルの普及促進、⑧リーグ戦の推進と競技会の整備・充実、⑨地域/都道府県協会の活性化、⑩中長期展望に立った方針策定と提言
6月
・日本代表がFIFAコンフェデレーションズカップフランス2003でグループステージ敗退も、FIFAフェアプレー賞を受賞。
8月
・ユニバーシアード日本代表(西田裕之監督)が第22回ユニバーシアード競技大会(テグ)で連覇、3度目の優勝。
9月
・日本サッカーの新拠点となるJFAハウスが東京都文京区本郷に誕生。JFA、Jリーグ、各種連盟などサッカー関連団体が移転。
9-10月
・日本女子代表(上田栄治監督)が第4回FIFA女子ワールドカップUSA2003に出場し、グループステージ敗退。吉澤久惠が副審を務める。
11-12月
・U-20日本代表(大熊清監督)がFIFAワールドユース選手権UAE2003(現、FIFA U-20ワールドカップ)に出場し、ベスト8進出。
12月
・JFAハウスに日本サッカーミュージアムがオープン。
・第1回となる東アジアサッカー選手権2003決勝大会が日本で開催され、日本代表(ジーコ監督)は準優勝。以降2年毎に、日本、中国、韓国の3カ国の持ち回りで開催される。
1月
・「JFAレフェリーカレッジ」開講。
4月
・2002FIFAワールドカップ記念事業として、サッカーを中心としたスポーツ環境整備モデル事業、スポー ツ組織マネジメント能力開発事業(JFAスポーツマネージャーズカレッジ/SMC)、ワールドカップ開催地スタジアム利活用事業、キャンプ地など支援事業、サッカー交流事業などが始まる。
・「JFA公認指導者登録制度」を導入。
5月
・長沼健JFA最高顧問がFIFA100周年記念功労賞、日本と韓国のサポーターがファン部門でFIFA100周年記念功労賞を受賞。
7月
・日本女子代表の愛称を「なでしこジャパン」に決定。
7-8月
・日本代表(ジーコ監督)がAFCアジアカップ(中国)2004で2連覇。
8月
・なでしこジャパン(日本女子代表/上田栄治監督)が第28回オリンピック競技大会(2004/アテネ)でベスト8。また、FIFAフェアプレー賞を受賞。U-23日本代表(山本昌邦監督)はグループステージ敗退。同大会で鮎貝志保が女子の副審を務める。
9月
・AFC U-17選手権大会を静岡県と福島県で開催。
10月
※新潟県中越地震が発生。
11-12月
・フットサル日本代表(セルジオ・サッポ監督)がFIFAフットサル選手権(チャイニーズ・タイペイ/現、FIFAフットサルワールドカップ)に出場し、グループステージ敗退。五十川和也が主審などを務める。
12月
・新潟県中越地震復興支援チャリティーマッチ「がんばれ新潟!」を開催。ジーコジャパンドリームス(ジーコ監督)とアルビレックス新潟(反町康治監督)が対戦。
1月
・天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝が行われた国立競技場で「JFA2005年宣言」を発表。「DREAM~夢があるから強くなる」をスローガンにJFAの理念、ビジョン、達成目標を策定。
5月
※第1回のFIFAビーチサッカーワールドカップ(リオデジャネイロ)が開催される。
・ビーチサッカー日本代表(ラモス瑠偉監督)がFIFAビーチサッカーワールドカップリオデジャネイロ2005で4位。ビーチサッカー日本代表はFIFAフェアプレー賞を受賞。
・日本サッカー殿堂を創設。
6月
・日本代表(ジーコ監督)がFIFAコンフェデレーションズカップドイツ2005でグループステージ敗退。
6-7月
・U-20日本代表(大熊清監督)がFIFAワールドユース選手権オランダ2005(現、FIFA U-20ワールドカップ)に出場し、ベスト16。
7月
・「ユネスコ世界寺子屋運動くるりんぱプロジェクト」を推進する電通グループと(社)ユネスコ協会連盟と共同で「アジアの子どもたちにサッカーボールを届けるプロジェクト」をスタート。
8月
・ユニバーシアード日本代表(乾眞寛監督)が第23回ユニバーシアード競技大会(イズミル)で3連覇(4度目の優勝)。
・第1回となる東アジア女子サッカー大会2005が韓国で開催され、日本女子代表(大橋浩司監督)は3位。
9月
・フランスサッカー連盟と総合的なパートナーシップおよびJFAアカデミー福島と同連盟の育成機関であるINFクレールフォンテーヌ(男子部門)、CNNEクレールフォンテーヌ(女子部門)とのパートナーシップを目的とした協定を締結。
11月
・川淵三郎JFA会長がAFCの第1回ダイヤモンド・オブ・アジア賞を受賞。
12月
・初のFIFAクラブワールドクラブチャンピオンシップ トヨタカップ ジャパン2005(現、FIFAクラブワールドカップ)を日本で開催。2008年大会までホスト国を務める。
1月
・2006FIFAワールドカップドイツに臨む日本代表の応援キャッチフレーズ制作のためサポーター投票を実施し、「SAMURAI BLUE(サムライブルー)」が選ばれる。同大会以降「SAMURAI BLUE」は日本代表の愛称となる。
3月
・Jリーグ準会員を刷新し、新たにJリーグ準加盟制度を導入。J2入会を目指すクラブで一定の基準を満たせば「Jリーグ準加盟クラブ」と認定。JFL所属クラブだけでなく、地域リーグおよび都道府県リーグ所属クラブも対象に。
・アジア貢献活動の一環として、AFC加盟協会の指導者を対象とした「JFAインターナショナルコーチングコース」を始める。
4月
・エリート育成機関「JFAアカデミー福島」を開校。
5月
・アジア各国におけるプロリーグの発展を目指し、AFCプロリーグ特別委員会(委員長:川淵三郎JFA会長)が設置されたことに伴い、JFA内にAFCプロリーグプロジェクトを設置。AFCチャンピオンズリーグの改革を進めながらアジア各国のプロリーグの充実や刷新を図る。
・フットサル日本代表(セルジオ・サッポ監督)がAFCフットサル選手権ウズベキスタン2006で初優勝。
6月
・川淵三郎JFA会長がFIFA功労賞を受賞。
6-7月
・SAMURAI BLUE(日本代表/ジーコ監督)が2006FIFAワールドカップドイツに出場し、グループステージ敗退。同大会で上川徹、廣嶋禎数が、それぞれ3位決定戦などで主審、副審を務める。
7月
・ビーチサッカー日本代表(鳥飼浩之監督)がFIFAビーチサッカーワールドカップリオデジャネイロ2006に出場し。、ベスト8。
9月
・U-16日本代表(城福浩監督)がAFC U-17選手権シンガポール2006で2度目の優勝。
10月
・この年の国民体育大会から少年男子の対象年齢を「18歳以下」から「16歳以下」に引き下げて行われる。
・沖縄で第1回の全国ビーチサッカー大会(現、JFA全日本ビーチサッカー大会)を開催。
4月
・JFAこころのプロジェクトによる「夢の教室」が本格的に始まる。サッカー選手をはじめ、各競技のアスリートらを“夢先生(ユメセン)”に、全国の小学校の授業(主に5年生を対象)で「夢の教室」を実施。スポーツ選手としての実体験を基に、夢を持つことの素晴らしさ、失敗や挫折に負けないことの重要性を説く。
・JFAグリーンプロジェクト発足。スポーツ施設や学校等などのグラウンドの芝生化を推進する「ポット苗方式・芝生化モデル事業」と「都道府県フットボールセンターの整備」を軸に事業を展開。
・審判トレーニングセンター制度をスタート。
5月
・AFCフットサル選手権日本2007が大阪府大阪市と兵庫県尼崎市で開催される。
6月
・日本女子サッカーの発展を目的に「女子サッカーの普及」「FIFA女子ワールドカップでの優勝」「個の育成」を3本柱とした「なでしこvision」を発表。
6-7月
・U-20日本代表(吉田靖監督)、がFIFA U-20ワールドカップカナダ2007に出場し、ベスト16。FIFAフェアプレー賞を受賞。
8-9月
・U-17日本代表(城福浩監督)がFIFA U-17ワールドカップ韓国2007に出場、グループステージ敗退。決勝で西村雄一が主審、相樂亨が副審を担当。
9月
・なでしこジャパン(日本女子代表/大橋浩司監督)がFIFA女子ワールドカップ中国2007に出場、グループステージ敗退。大岩真由美が主審、吉澤久惠が副審を担当(大岩は、決勝で第4の審判員を務める)。
・Fリーグ(日本フットサルリーグ)開幕。
10月
・SAMURAI BLUE(日本代表/イビチャ・オシム監督)がAFCアジア/アフリカチャレンジカップ2007(大阪)で優勝。
10-11月
・フットサル日本女子代表チーム(中村恭平監督)を初結成。第2回アジアインドアゲームズ(マカオ)で優勝。
11月
・ビーチサッカー日本代表(ネネン監督)がFIFAビーチサッカーワールドカップリオデジャネイロ2007に出場、グループステージ敗退。
・浦和レッズ(ホルガー・オジェック監督)がAFCチャンピオンズリーグ(ACL)で初優勝。
12月
・TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップ ジャパン2007でアジア王者として出場した浦和レッズ(ホルガー・オジェック監督)が3位に。
1月
・なでしこジャパン(日本女子代表/佐々木則夫監督)が東アジア女子サッカー選手権(中国)を制し、公式大会初優勝。
3月
・47都道府県サッカー協会が全て法人化。
4月
・「公認フットサルC級コーチ」資格を創設
7月
・第11代会長に犬飼基昭が就任。
・ビーチサッカー日本代表(河原塚毅監督)がFIFAビーチサッカーワールドカップマルセイユ2008(フランス)に出場し、グループステージ敗退。小野寺祐が主審として同大会に参加。
7-8月
・U-23日本代表(反町康治監督)が第29回オリンピック競技大会(2008/北京)に出場し、グループステージ敗退。なでしこジャパン(日本女子代表/佐々木則夫監督)は4位。
7月
・スルガ銀行チャンピオンシップ2008 OSAKA Jリーグヤマザキナビスコカップ/コパ・スダメリカーナ王者決定戦を初開催。
8月
・審判員の国際経験の機会を創出することを目的に、海外のサッカー協会/連盟と提携し、「審判交流プログラム」をスタート。
9月
・9月10日を「JFAフットボールデー」に制定。
9=10月
・フットサル日本代表(セルジオ・サッポ監督)がFIFAフットサルワールドカップブラジル2008に出場、グループステージ敗退。五十川和也が主審などを務める。
10=11月
※第1回のFIFA U-17女子ワールドカップ(ニュージーランド)が開催される。
・U-17日本女子代表(吉田弘監督)がFIFA U-17女子ワールドカップニュージーランド2008に出場、ベスト8。岩渕真奈が大会最優秀プレーヤーに選ばれる。
11=12月
・U-20日本女子代表(佐々木則夫監督)がFIFA U-20女子ワールドカップチリ2008でベスト8。
11月
・ガンバ大阪がAFCチャンピオンズリーグ優勝。
・長沼健元JFA会長(故人)がAFCのダイヤモンド・オブ・アジアを受賞。
12月
・TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップ ジャパン2008にアジア王者としてガンバ大阪が出場、3位に。
4月
・JFAアカデミー熊本宇城校を開校。
7月
・国連が提唱する「国連グローバル・コンパクト」に、国内93番目の企業・団体として、またスポーツ統括団体では世界初の登録。
8月
・Jヴィレッジ(福島県)内にFIFAゴールプログラムの助成を受けた、初の医療施設「JFAメディカルセンター」をオープン(東日本大震災により、2011〜2022年は閉院、2021年から再開)。
・U-19日本女子代表(佐々木則夫監督)、がAFC U-19女子選手権(中国)2009で優勝。
9月
・一般財団法人2018/2022年FIFAワールドカップ日本招致委員会を設立。
・アジア貢献事業の一環として、「JFA DREAM ASIA PROJECT」を立ち上げアジアサッカーの発展を推進。
10-11月
・U-17日本代表(池内豊監督)がFIFA U-17ワールドカップナイジェリア2009に出場、グループステージ敗退。
・フットサル日本女子代表(中村恭平監督)が第3回アジアインドアゲームス(ベトナム2009/ハノイ)で2連覇。
11月
・ビーチサッカー日本代表(ラモス瑠偉監督)がFIFAビーチサッカーワールドカップドバイ2009(アラブ首長国連邦)に出場、ベスト8。ビーチサッカー日本代表はFIFAフェアプレー賞を受賞。小野寺祐が主審などを務める。
1月
・日本女子サッカー強化策の一環として、なでしこジャパン海外強化指定選手制度の導入を決定。
・スペインサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。
2月
・なでしこジャパン(日本女子代表/佐々木則夫監督)が東アジア女子サッカー選手権2010決勝大会(東京)で連覇。
4月
・堺市立サッカーナショナルトレーニングセンター(J-GREEN堺/大阪府)がオープン。
6月
・小倉純二JFA副会長(当時)がFIFA功労賞を受賞。
6-7月
・SAMURAI BLUE(日本代表/岡田武史監督)が2010FIFAワールドカップ南アフリカに出場、ベスト16進出。西村雄一と相樂亨がそれぞれ主審と副審を務める。また、決勝で西村が第4の審判員、相樂がリザーブアシスタントレフェリーを務める。
7月
・第12代会長に小倉純二が就任。
7-8月
・U-20 日本女子代表(佐々木則夫監督)がFIFA U-20女子ワールドカップドイツ2010に出場、グループステージ敗退。
9月
・U-17日本女子代表(吉田弘監督)、がFIFA U-17女子ワールドカップトリニダード・トバゴ2010に出場し、準優勝。
11月
・第16回アジア競技大会(2010/広州)でU-21日本代表(関塚隆監督)、なでしこジャパン(日本女子代表/佐々木則夫監督)が共に初優勝。
12月
・TOYOTA プレゼンツFIFAクラブワールドカップUAE2010決勝で西村雄一が主審、相樂亨、名木利幸が副審を務める。
1月
・SAMURAI BLUE(日本代表/アルベルト・ザッケローニ監督)がAFCアジアカップカタール2011で大会最多4度目の優勝。
3月
※東日本大震災が発生。
・「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」(大阪・長居)を開催。SAMURAI BLUE(日本代表/アルベルト・ザッケローニ監督)がJリーグ選抜「JリーグTEAM AS ONE(ドラガン・ストイコビッチ監督)」と対戦。
・J1リーグ戦を対象に、違法なスポーツ賭博による「試合の不正操作」の可能性を検知するシステムFIFA Early Warning System (FIFA 早期警告システム)を導入。
4月
・JFAアカデミー福島が静岡県御殿場市時之栖内の専用寮で活動を再開(女子は2015年7月から同県裾野市の帝人アカデミー富士の一部を占有利用して活動)。
・高円宮杯全日本ユース(U-18)選手権大会が全国リーグ方式に再編され、「高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグ」として始まる。
5月
・東日本大震災の復興支援として、日本体育協会(現、日本スポーツ協会)、日本オリンピック委員会、日本トップリーグ連携機構に呼びか掛け、日体協主導で「スポーツこころのプロジェクト」を実施することを決定。JFA内に同プロジェクト運営本部を設置。2021年3月まで事業実施。
4月
・シンガポールサッカー協会とパートナーシップ協定を締結。
・「公認フットサルB級コーチ」資格を創設。
6月
・ドイツサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。
6-7月
・FIFA 女子ワールドカップドイツ2011でなでしこジャパン(日本女子代表/佐々木則夫監督)が初優勝。決勝でアメリカと対戦し、延長戦、PK戦の末に勝利。日本はFIFAフェアプレー賞を受賞、澤穂希がMVPと得点王に輝く。同大会で深野悦子、高橋早織がそれぞれ主審、 副審を務める。
・U-17日本代表(吉武博文監督)がFIFA U-17ワールドカップメキシコ2011に出場し、ベスト8。FIFAフェアプレー賞をも受賞。
・AFCフットサルクラブ選手権2011で名古屋オーシャンズが優勝。
8月
・JFA創立90周年に際し、復元されたFAシルバーカップがイングランドサッカー協会(The FA)より贈呈。ウェンブリースタジアムで贈呈式を実施。
・なでしこジャパン(日本女子代表)が団体として初めて国民栄誉賞を受賞。
・全日本少年サッカー大会が8人制サッカーで再スタート。
・ユニバーシアード日本代表(中野雄二監督)が第26回ユニバーシアード競技大会(深圳)で 5度目の優勝を果たす。
・「東日本大震災チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」を開催(東京・国立競技場)。なでしこジャパン(日本女子代表/佐々木則夫監督)がなでしこリーグ選抜と対戦。
9月
・ビーチサッカー日本代表(ラモス瑠偉監督)がFIFAビーチサッカーワールドカップラベンナ/イタリア2011に出場、グループステージ敗退。
11月
・なでしこジャパンが紫綬褒章を受章。
・小倉純二JFA会長が南米サッカー連盟より特別勲章を受章。
・ウズベキスタンサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。
12月
・TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップジャパン2011で開催国代表の柏レイソルが4位。
1月
・FIFAバロンドール2011で、澤穂希がFIFA女子年間最優秀選手賞を、佐々木則夫監督が女子年間最優秀監督賞を、JFAがFIFAフェアプレー賞を受賞。
2月
・AFCが2013シーズンよりクラブライセンス制度を導入することを決め、加盟各国サッカー協会に同制度の整備を通達。これを受けて、JFAとJリーグは日本国内向けのクラブライセンス制度を施行。
3月
・FIFAワールドカップ南アフリカ2010でのSAMURAI BLUE(日本代表)、およびFIFA女子ワールドカップ・ドイツ2011でのなでしこジャパン(日本女子代表)の活躍に大きく貢献したとして、男女日本代表チームの医・科学サポートグループが第14回秩父宮記念スポーツ医・科学賞(奨励賞)を受賞。
4月
・日本サッカー協会が公益財団法人に。
6月
・第13代会長に大仁邦彌が就任。
7-8月
・第30回オリンピック競技大会(2012/ロンドン)でU-23日本代表(関塚隆監督)が、銅メダルを獲得したメキシコオリンピック以来、44年ぶりの4強入り。なでしこジャパン(日本女子代表/佐々木則夫監督)は銀メダル獲得。
8-9月
・FIFA U-20女子ワールドカップを日本で開催。U-20日本女子代表(吉田弘監督)は3位。
9-10月
・U-17日本女子代表(吉田弘監督)がFIFA女子U-17女子ワールドカップアゼルバイジャン2012に出場し、ベスト8。
10月
・JFAに皇后杯、下賜。全日本女子サッカー選手権大会の優勝チームに授与されることに。
11月
・フットサル日本代表(ミゲル・ロドリゴ監督)がFIFAフットサルワールドカップタイ2012に出場。史上初めてグループステージを突破しベスト16に進出。
12月
・TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップジャパン2012が日本で開催され、開催国代表のサンフレッチェ広島が5位。
2月
・タジキスタンサッカー連盟とパートナーシップ協定締結。
5月
・Jリーグが5月15日を「Jリーグの日」に制定。
6月
・SAMURAI BLUE(日本代表/アルベルト・ザッケローニ監督)がFIFAコンフェデレーションズカップブラジル2013でグループステージ敗退。
7月
・EAFF東アジアカップ2013(韓国)でSAMURAI BLUE(日本代表/アルベルト・ザッケローニ監督)が初優勝
8月
・AFCフットサルクラブ選手権を愛知県名古屋市で開催
9月
・ビーチサッカー日本代表(ラモス瑠偉監督)がFIFAビーチサッカーワールドカップタヒチ2013に出場し、ベスト8。
10-11月
・U-17日本代表(吉武博文監督)がFIFA U-17ワールドカップUAE2013に出場し、ベスト8。
12月
・アラブ首長国連邦サッカー協会とパートナーシップ協定締結。
11月
・日本サッカーを応援する自治体連盟発足。
1月
・ヨルダンサッカー協会とパートナーシップ協定締結。
3月
・J3リーグ創設で、明治安田生命J3リーグがスタート。Jリーグ3部制で51クラブに拡大。
3-4月
・U-17日本女子(高倉麻子監督)がFIFA U-17女子ワールドカップコスタリカ2014で初優勝。
3月
・司法機関([規律委員会、裁定委員会、不服申立て委員会(新設)]を行政機関である理事会から完全に独立させる。
4月
・Fリーグに特別指定選手制度を創設。
・フットサルチーム登録をスタート。
5月
・なでしこジャパン(日本女子代表/佐々木則夫監督)がAFC女子アジアカップベトナム2014で優勝。
4-5月
・フットサル日本代表(ミゲル・ロドリゴ監督)がAFCフットサル選手権ベトナム2014で2連覇を飾る(3度目の優勝)。
5月
・「だれもが、いつでも、どこでも、サッカーを楽しめるようにするための活動」をより強力に推進していくため「JFAグラスルーツ宣言」を表明。
6-7月
・SAMURAI BLUE(日本代表/アルベルト・ザッケローニ監督)がFIFAワールドカップ2014ブラジルでグループステージ敗退。
7月
・ベトナムサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。
8月
・イランサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。
・AFCフットサルクラブ選手権で名古屋オーシャンズが2度目の優勝。
4月
・一般財団法人日本ビーチサッカー連盟(JBSF)設立。
・JFAアカデミー今治、が開校。
・田嶋幸三JFA副会長がFIFA理事(現、カウンシルメンバー)に就任(日本で4人目)。
6月
・「U-16インターナショナルドリームカップ2015 JAPAN Presented by JFA」を初開催。
6-7月
・なでしこジャパン(日本女子代表/佐々木則夫監督)がFIFA女子ワールドカップカナダ2015で準優勝。
7月
・ビーチサッカー日本代表(マルセロ・メンデス監督)がFIFAビーチサッカーワールドカップポルトガル2015に出場し、ベスト8。
9月
・モンゴルサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。
12月
・FIFAクラブワールドカップ ジャパン 2015を開催。開催国代表のサンフレッチェ広島が3位。
1月
・U-23日本代表(手倉森誠監督)がAFC U-23選手権カタール2016で初優勝。
・JFA Youth Development Programme(JYD)を立ち上げ、ユース年代をはじめ、大学、シニア、女子、フットサル、ビーチサッカー、技術関連事業まで、日本サッカーの基盤を支える重要な各領域のさらなる普及や次世代選手の育成を促進することを目的に実施される施策およびそれを構成する各大会・事業の総称。
2月
・イングランドサッカー協会(The FA)とパートナーシップ協定を締結。
3月
・JFA、「FIFAフットサルワールドカップ2020」の開催地として立候補するための意思表明書をFIFAに提出。
・初の会長選挙を実施。JFA第14代会長に田嶋幸三が就任。
4月
※熊本地震が発生。
・一般社団法人日本障がい者サッカー連盟、設立。
5月
・MS&ADカップ2016 〜 九州 熊本震災復興支援チャリティーマッチ がんばるばい熊本 ~を開催。U-23日本代表(手倉森誠監督)とガーナ代表が対戦。
7月
・名古屋オーシャンズ(ペドロ・コスタ監督)がAFCフットサルクラブ選手権タイ2016で3連覇を達成。
8月
・U-23日本代表(手倉森誠監督)が第31回オリンピック競技大会(2016/リオデジャネイロ)に出場し、グループステージ敗退。
9-10月
・U-17日本女子代表(楠瀬直木監督)がFIFA U-17女子ワールドカップヨルダン2016で準優勝。
11-12月
・U-20日本女子代表(高倉麻子監督)がFIFA U-20女子ワールドカップパプアニューギニア2016に出場し、3位。杉田妃和がMVPを獲得。
12月
・FIFAクラブワールドカップジャパン2016で開催国代表の鹿島アントラーズ(石井正忠監督)が準優勝。
・香港サッカー協会とパートナーシップ協定を締結。
2月
・デンマークサッカー協会とパートナーシップ協定を締結。
・インドサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。
3月
・タイサッカー協会とパートナーシップ協定を締結。
4月
・キリンチャレンジカップ2017~熊本地震復興支援マッチ がんばるばい熊本~ なでしこジャパン(日本女子代表/高倉麻子監督)とコスタリカ女子代表が対戦。
4-5月
・ビーチサッカー日本代表(マルセロ・メンデス監督)がFIFAビーチサッカーワールドカップバハマ2017に出場、グループステージ敗退。
5月
・日本女子フットサルリーグ開幕。
・オマーンサッカー協会とパートナーシップ協定を締結。
5-6月
・U-20日本代表(内山篤監督)がFIFA U-20ワールドカップ2017韓国2017でベスト16に。
7月
・ラオスサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。
8月
・ユニバーシアード日本代表(宮崎純一監督)が第29回ユニバーシアード競技大会(2017/深圳)で 6度目の優勝。ユニバーシアード日本女子代表(望月聡監督)は準優勝。
10月
・U-19日本女子代表(池田太監督)がAFC U-19女子選手権2017中国2017で優勝。
・U-17日本代表(森山佳郎監督)がFIFA U-17ワールドカップ2017インド2017でベスト16に。
・カタールサッカー協会とパートナーシップ協定を締結。
11月
・AFCチャンピオンズリーグ2017で浦和レッズが2度目の優勝。
12月
・インドネシアサッカー協会とパートナーシップ協定を締結。
・EAFF E-1サッカー選手権2017決勝大会が日本で開催される。(SAMURAI BLUE(日本代表/ヴァイッド・ハリルホジッチ監督)、なでしこジャパン(日本女子代表/高倉麻子監督)が共に準優勝)
・チャイニーズ・タイペイサッカー協会とパートナーシップ協定を締結。
・南米サッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。大陸連盟との協定は初。
・FIFAクラブワールドカップUAE2017でアジア王者として出場した浦和レッズが5位に。
4月
・なでしこジャパン(日本女子代表高倉麻子監督)がAFC女子アジアカップヨルダン2018で2大会連続優勝。岩渕真奈が大会最優秀選手、チームはフェアプレー賞も受賞。
・田嶋幸三JFA会長、FIFAカウンシルメンバー(旧FIFA理事)に再任。
・FCバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)とパートナーシップ協定を締結。
6-7月
・SAMURAI BLUE(日本代表/西野朗監督)が2018FIFAワールドカップロシアでベスト16。
8月
・U-20日本女子代表(池田太監督)がFIFA U-20 女子ワールドカップフランス2018で初優勝。2011年のFIFA女子ワールドカップ優勝、2017年のFIFA U-17女子ワールドカップ優勝に続き、世界初の3カテゴリーで優勝。3カテゴリー優勝は世界初。
・日本スポーツ協会の理事会で国民体育大会に少年女子(U-16)種別がの創設されることがを決定(2022年~)。
8-9月
・第18回アジア競技大会(2018/ジャカルタ・パレンバン)でなでしこジャパン(日本女子代表/高倉麻子監督)が2度目の優勝。(U-21日本代表(森保一監督)が準優勝)
9-10月
・U-16日本代表(森山佳郎監督)がAFC U-16選手権マレーシア2018で3度目の優勝。
10月
・ルワンダのキガリで行われたFIFA理事会で、FIFAフットサルワールドカップ2020の開催地がリトアニアに決まり、愛知県での開催を目指していた日本は落選。
11月
・鹿島アントラーズがAFCチャンピオンズリーグ2018で初優勝。
11-12月
・U-20日本女子代表(池田太監督)がFIFA U-20女子ワールドカップウルグアイ2018に出場、ベスト8。
12月
・FIFAクラブワールドカップUAE2018でアジア王者として出場した鹿島アントラーズ(大岩剛監督)が4位に。
3月
・ビーチサッカー日本代表(ラモス瑠偉監督)がAFCビーチサッカー選手権タイ2019で優勝。
・FIFA女子ワールドカップ2023に立候補するための意思表明書をFIFAに提出。
4月
・Jヴィレッジが復興のシンボルとしてグランドオープン(全面営業再開)。
・マレーシアサッカー協会とパートナーシップに関する覚書を締結。
5-6月
・U-20日本代表(影山雅永監督)がFIFA U-20ワールドカップポーランド2019に出場し、ベスト16。
5月
・国際女性デーに合わせて、3月8日を「女子サッカーデー」とすることを決定。
・指導現場における暴力・暴言等などの根絶、医科学的な見地に立った選手のサポートなど「JFAサッカーファミリー安全保護宣言」を発表。
6-7月
・なでしこジャパン(日本女子代表/高倉麻子監督)がFIFA女子ワールドカップフランス2019に出場し、ベスト16。
6月
・U-20フットサル日本代表(鈴木隆二監督)がAFC U-20フットサル選手権イラン2019で優勝。
10月
・JFA夢フィールドに故高円宮憲仁親王殿下の宮号を冠して「高円宮記念JFA夢フィールド(Prince Takamado Memorial JFA YUME Field」とすることを発表。
10-11月
・U-17日本代表(森山佳郎監督)がFIFA U-17ワールドカップブラジル2019に出場し、ベスト16。
・U-19日本女子代表(池田太監督)がAFC U-19女子選手権タイ2019で優勝。
11-12月
・ビーチサッカー日本代表(ラモス瑠偉監督)がFIFAビーチサッカーワールドカップパラグアイ2019でベスト4。
・JFA U-18女子サッカーファイナルズの新設を決定(2020年9月に開催するする予定だったが新型コロナウイルス感染拡大のため中止)。
12月
・FIFA女子ワールドカップ2023の開催提案書(招致ブック)を始めとする最終書類、開催合意書などをFIFAに提出。開催へ 正式に立候補を表明。
・EAFF E-1サッカー選手権2019(韓国)で、なでしこジャパン(日本女子代表/高倉麻子監督)が優勝(4大会ぶり3度目)。(U-21日本代表(森保一監督)は準優勝)
2月
・ドイツにJFAの拠点「JFAヨーロッパオフィス」の設置を決定。
3月
・田嶋幸三JFA会長が再任(3期目)。
4月
・高円宮記念JFA夢フィールド完成。
・新型コロナウイルス感染症対策 JFAサッカーファミリー支援事業を開始。
・サッカーe日本代表、FIFA eNations StayAndPlay Cupで3位。
6月
・FIFA女子ワールドカップ2023 招致から撤退を表明。
・2021年秋に開幕する日本初の女子プロサッカーリーグの名称「WEリーグ(Women Empowerment League)」を発表。
・WEリーグを運営する新法人「一般社団法人日本女子プロサッカーリーグ(略称:WEリーグ)」を設立。代表理事(呼称:チェア)に岡島喜久子が就任。
9月
・WEリーグ参加の11クラブ決定(マイナビ仙台レディース、三菱重工浦和レッズレディース、大宮アルディージャVENTSU、ちふれASエルフェン埼玉、ジェフユナイテッド市原・千葉レディース、日テレ・東京ヴェルディベレーザ、ノジマステラ神奈川相模原、AC長野パルセイロ・レディース、アルビレックス新潟レディース、INAC神戸レオネッサ、サンフレッチェ広島レジーナ)。
3月
・JFAメディカルセンター(福島)が再開。
4月
・JFAアカデミー福島が福島に帰還(男子16期生〜)。中高一貫から中学3年間の活動に。
5月
・J3リーグの試合で、山下良美主審が女性審判員として初めてJリーグの試合を担当。