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【JFA100周年企画】

「サッカーで得られた、
人との出会い」
森保一監督(SAMURAI BLUE)
インタビュー

2021/05/07
©JFA

VOICES

サッカーファミリーの声

日本サッカー協会(JFA)は2021年9月に創立100周年を迎えます。ここではサッカーの魅力について考えるきっかけにするために、さまざまなサッカーファミリーにインタビューを実施します。第1回目はSAMURAI BLUE(日本代表)の森保一監督に登場いただきました。 ○オンライン取材日:2021年4月14日

子どもの頃は野球少年で、本格的にサッカーを始めたのは小学校高学年のときだったそうですね。

森保

私が通っていた小学校にはサッカー少年団がありませんでした。小学5年生のあるとき、隣町の小学校の少年団で監督をされていた先生が私の小学校に赴任してきて、校庭を走り回っていた子たちに「サッカーをやらないか」と声を掛けたんです。それで私もサッカーを始めることにしました。それまで野球少年でしたが、実は3、4年生のころから、朝早くに登校して、授業が始まる前に校庭でサッカーをしていたんです。そのときは教えてくれる人がいなかったので、ただボールを蹴って遊んでいるだけでしたが、初めて監督に教えてもらえるようになって、すぐにサッカーに夢中になった覚えがあります。

何がそこまで森保少年を夢中にさせたのでしょうか。

森保

決まり事はありますが、自由な発想、自分の判断でプレーできることや、相手と駆け引きしながらプレーすることがすごく楽しかったのだと思います。もともと走り回るのが大好きな子どもだったので、エネルギー発散という面もあったのかもしれません。そういえば、小学6年生のときにはGKをやりました。体調不良で休んでいた私が復帰するころ、チームのGKがけがをしてしまったんです。GKならそんなに動かなくていいから、やってみろことになったんですが、「なかなか、やるじゃないか」ということで、しばらく続けることになりました。あれよ、あれよといううちに長崎県予選を勝ち抜き、全国大会に出場することになったんです。それがよみうりランドで行われた第4回全日本少年サッカー大会でした。でも、やはり走り回るのが好きだったので、全国大会終了後にフィールドプレーヤーに戻りました。

サッカーと出合ったことで人生はどのように豊かになりましたか?

森保

一番は人との出会いだと思います。たくさんの仲間に恵まれて、サッカーを楽しんできました。サッカーによって生まれた交流はピッチ内にとどまらず、プライベートでもいい関係を築かせていただいています。指導者の方々や仲間たちから学びや刺激をもらいながら生きてこられたのは、すごく幸せだったと思います。サッカー人生において苦しい時期もありましたが、どんなときも指導者や仲間に助けてもらいながら、歩んで来ることができました。小学生時代の先生との出会いから、中学生時代、高校時代を経てマツダに入社し、日本代表に選ばれて……と自分のサッカー人生を振り返ってみると、節目節目に自分を導いてくれる方々と出会えてきました。こうした出会いは宝物であり、財産だと思います。

©J.LEAGUE

サッカーを通じて、最も忘れ難いシーン、脳裏に焼き付いているシーンはなんでしょう?

森保

やはりドーハの悲劇です。最後のショートコーナーのとき、カズさん(三浦知良)がかわされたあと、私は相手に寄せに行って、クロスボールに対してジャンプしているんです。あのシーンはすごく印象に残っています。掴みかけていた夢がぎりぎりのところですり抜けていってしまいました。あんなに辛く、悲しい出来事はこの先、サッカーをやっている上で二度と起きないだろうと思いました。その思いが私の支えになっています。ドーハの悲劇を経験したからこそ、その後の困難な出来事や想定外のアクシデントも乗り越えられましたし、想定外のことが起きても、しっかり向き合った上で、自然体でいられたと思います。

今年9月にJFAは100周年を迎えます。

森保

日本サッカー協会の創設と、サッカーの普及に尽力された方々に感謝申し上げます。選手、指導者をはじめ、日本サッカーの発展に携わってこられた方々のおかげで今があります。日本代表監督として、過去からの蓄積を生かして結果を残し、少しでもいい形で未来のサッカーファミリーにバトンタッチしたいと思っています。我々の活動や試合を通して元気や勇気を得られたり、日常生活の励みになったりするような戦いを見せたいです。特に地元開催となる東京オリンピックでは金メダルを取って、日本中に潤いを与えられるようにしたいと思っています。

未来を担う子どもたちへのメッセージをお願いします。

森保

日本代表監督として、日本サッカーの未来を担う子どもたちに、夢や希望を与えられるような試合をしたいといつも思っています。また、チームメイトと勝利を目指して切磋琢磨することで、技術の向上だけでなく、人間性の部分も磨けるのがサッカーの魅力です。サッカーを通じてさまざまな経験を積んで、人としても成長してください。

©JFA

これからの100年間で日本サッカーに期待することを聞かせてください。

森保

先日、ゴルフの松山英樹選手がマスターズで優勝しましたが、サッカーにおいても、日本は強い、日本人はできる、世界で勝てる、というところを常に見せられるようになってほしいです。今は「追いつき、追い越せ」を考えていますが、そうではなく、世界のトップ・オブ・トップには日本サッカーが常にいる、そんな時代になるといいなと思います。

©Walnix
プロフィール
森保一(もりやす・はじめ)
1968年8月23日生まれ、長崎県長崎市出身
小学校でサッカーを始め、長崎日本大学高校を経て、1987年に日本サッカーリーグ(JSL)のマツダ(現・サンフレッチェ広島)に加入。92年に日本代表に初選出されると、ボランチとして一躍脚光を浴びた。翌93年にJリーグが開幕し、同年のFIFAワールドカップアメリカのアジア予選に出場した。その後、京都パープルサンガやベガルタ仙台でプレーし、2003年に現役を引退。指導者としては広島の監督に就任した12年を含め、17年までの6年間でチームを3度のJリーグチャンピオンに導く。17年10月からU-20(現U-24)日本代表監督、18年7月よりSAMURAI BLUE監督を務める。