「いろいろな相乗効果で
成長してきた」高倉麻子監督(なでしこジャパン)
インタビュー
2021/05/14サッカーファミリーの声
日本サッカー協会(JFA)は2021年9月に創立100周年を迎えます。ここではサッカーの魅力について考えるきっかけにするために、さまざまなサッカーファミリーにインタビューを実施します。第2回目はなでしこジャパン(日本女子代表)の高倉麻子監督に登場いただきました。 ○オンライン取材日:2021年4月2日
サッカーと出合ったきっかけを教えてください。
子どもの頃は本当に活発で、男の子と一緒にいつも野球をしていました。女性で第1号のプロ野球選手になるのが夢だったのですが、小学4年生の時、学校の先生がサッカーチームをつくって、私の野球仲間がみんなサッカーを始めました。放課後の遊び仲間がいなくなってしまうし、父親から「サッカーをやれば足腰が鍛えられていいんじゃないか」と言われたこともあって、サッカーチームに入ることになりました。学校の渡り廊下で先生に「サッカーがやりたい」と伝えた時「いいよ」と軽い感じで言ってくださったのですが、その先生が「女の子はダメ」と言っていたら、簡単に諦めていたと思います。
サッカーと出合ったことで、人生はどのように変わりましたか?
サッカーは、人生の全てですね。他の楽しみもありますし、異なる分野の友人も大勢いますけど、自分が生きてきた道には常にサッカーが側にあって、全ての感情や人との関わりはサッカーから学んできたような気がします。小学生の時はチームに女子が1人だけだったので嫌な思いをしたこともありますが、そこで他人に優しくすることを学び、立場の弱い人の気持ちを考えるようになりました。中学では一度サッカーをやめたのですが、どうしてもボールを蹴りたくて東京のクラブに通いました。1人で電車に乗り、お姉さんたちに会って違う世界を見て、学校以外の友人ができて、何かを学び、失敗や勘違いをしながら前に進んできました。
高倉監督が考えるサッカーの素晴らしさを教えてください。
私はボールを足で触る感覚がとても好きなんです。ボールを足で扱い、人を抜いていく感覚がすごく自分に合っていました。それから、みんなで戦えることも魅力ですね。自分が不調の時は友達が助けてくれて、自分が頑張ればチームの中で輝ける。代表に入れば周りは上手な人ばかりですし、試合に出られなかったり、今までできていたことができなくなったり。そんなことの繰り返しで、現役時代は最高に楽しかったですし、「次の試合ではもっと活躍したい」という思いで過ごしました。もちろん指導者の魅力というか、選手たちにレベルアップしてほしい、もっと自立してほしいと思えることの喜びも感じています。
サッカーを通じて最も忘れ難いシーンを教えてください。
近いところでは、2019年のFIFA女子ワールドカップで負けた時(ラウンド16のオランダ戦、1-2)のスタジアムの雰囲気は忘れ難いものがあります。現役時代では、代表に選ばれたばかりの頃、中国での国際親善試合に出場した際に、ナイトゲームでお客さんも入ってすごく緊張する中、一緒にプレーした先輩たちの後ろ姿がイメージとして頭に残っています。それは日本の女子サッカーがまだまだマイナーだったころからけん引してくれていた皆さんの姿が重なっているのかなと思っています。
JFAは今年の9月に創立100周年を迎えます。女子サッカーにはどのように成長していってほしいですか。
30年ほど前に女子リーグを立ち上げた方たちがいたからこそ今があります。否定的な声もあったでしょうけど、それがなかったら2011年のFIFA女子ワールドカップの優勝はなかったと思いますし、あの優勝がなければFIFA U-17女子ワールドカップ、FIFA U-20女子ワールドカップでは優勝できなかったはず。いろいろな相乗効果で成長してきました。世界各国が女子サッカーに力を入れ始めた今、私たちも何かをしなければいけないということでWEリーグが立ち上がりますが、プロとして責任が伴うものだからこそ、選手たちも、組織をつくる方々も本気にならないといけないですよね。WEリーグ開幕をきっかけに、男女が同じ立場でサッカーを楽しみつつ、社会に貢献する存在になっていってほしいと思います。
未来を担う子どもたちへのメッセージをお願いします。
まずはサッカーをしているのであれば、楽しみましょう。そして、自分の頭で考えてほしいですね。よく話を聞く選手、素直にトライする選手は伸びしろがありますが、自分で考えて「あれ? ちょっと違うな」と思ったら逆のことをするとか、「コーチはああ言っているけど、自分はこうしたい」というのがあってもいいのかな、と思います。
これからの100年間でサッカーやJFAに期待することを聞かせてください。
まずは先陣を切ってくださった方々への感謝の気持ちを述べたいですし、100周年のタイミングにこのような立場で仕事をさせていただけていることは光栄以外の何ものでもありません。ここまで本当にたくさんの方々が苦労されてきたと思います。今、こうして華やかなところにいさせていただけるのはそうした方々のおかげですし、このバトンがつながっていくことを願いつつ、私も自分のできることをやっていきたいと思っています。
JFAで仕事をしている人も、日本各地で草の根の活動をしている人も、サッカーファミリーみんなで日本サッカーに対する思いを一つにして、日本のサッカーが好きで、自分がそれに関わっているという気持ちをみんなで味わえるような、全員参加型のサッカー界になってほしいです。
- プロフィール
- 高倉麻子(たかくら・あさこ)
1968年4月19日生まれ、福島県福島市出身
小学生の頃にサッカーを始め、中学時代からは居住地の福島と女子クラブのある東京に通いながらサッカーを続けた。1983年、15歳の時に日本女子代表に初選出され、翌年に代表デビューを果たす。85年に読売日本サッカークラブ・ベレーザ(現・日テレ・東京ヴェルディベレーザ)に加入。代表選手としても91年の第1回FIFA女子世界選手権、95年の第2回FIFA女子ワールドカップ、96年のアトランタオリンピックに出場した。その後、99年に松下電器女子サッカー部バンビーナ(現・スペランツァ高槻)やシリコンバレー・レッドデビルズ(アメリカ)でプレーし、2004年に現役を引退。指導者に転身後は、14年に行われたFIFA U-17女子ワールドカップでチームを初優勝に導いた。その後、U-20日本女子代表の監督を経て、16年になでしこジャパン(日本女子代表)の監督に就任した。