「先人たちが
礎石を積み上げて
きてくれたことを
忘れてはいけない」山本浩さん
(元NHKアナウンサー)インタビュー
2021/07/30サッカーファミリーの声
日本サッカー協会(JFA)は2021年9月に創立100周年を迎えます。ここではサッカーの魅力について考えるきっかけにするために、さまざまなサッカーファミリーにインタビューを実施します。第13回目は元NHKアナウンサーでサッカー実況の第一人者である山本浩さんに登場いただきました。 ○オンライン取材日:2021年7月13日
幼少時代の山本さんにとって、スポーツやサッカーはどのような存在でしたか?
父親が転勤族だった関係で、転校を何度も経験しています。小学4年生からサッカーどころの静岡県浜松市で生活し、当時は水泳やソフトボールをやっていましたが、友人はみんなサッカーをしていました。その後も千葉、埼玉と移り住むのですが、どこに行ってもサッカーをしている人間が周囲に多く、スポーツの中ではサッカーへの親近感が非常に強かったですね。
アナウンサーとしてはサッカー以外のスポーツも担当されていたと思いますが、サッカーの実況が多くなったきっかけはあるのでしょうか。
私は1976年のNHK入局なのですが、当時のサッカーは放送番組としての商品価値が低く、スポーツアナウンサーでサッカーを希望する声などほとんど聞こえてこない時代です。福島放送局で4年間勤務した後、愛媛県の松山放送局に異動。そこでJSL2部の帝人サッカー部の取材を重ねるうちにサッカーに濃く関わるようになっていくのですが、そんな折の1983年、元ドイツ代表のベルティ・フォクツ氏が日本代表の臨時コーチとして来日し、道後温泉で合宿をしていたので取材に行きました。当時の代表監督だった森孝慈さんをはじめ、JFAの方々と親しくなったのも大きな財産でした。半年後、東京に異動すると、「サッカー、サッカーと騒いでいるやつがいる」と知られたせいでしょうか、1986年のFIFAワールドカップメキシコを担当することになり、次の1990年イタリア大会の時は、福岡放送局にいてニュースデスクを担当していたのですが、1カ月半ほど現地で放送に携わりました。
数々の歴史的な試合を担当し、名実況を残してきました。ご本人の中で特に印象に残っている試合や出来事を教えてください。
印象深かったのは「ドーハの悲劇」ですね。試合を見ていた多くの方々がショックを受けたと思います。私自身も、家族を失った時に匹敵するほどの悲しみを味わいました。喜びでいうと、アトランタオリンピック出場を決めたアジア最終予選サウジアラビア戦や「ジョホールバルの歓喜」でしょうか。サウジアラビア戦は私自身も熱くなり、次々に言葉が出てきたのを覚えています。そういう試合のあとは記憶が飛んでいることも多いんですよ。ジョホールバルの時は、出場決定後ずっと仕事に追われ無我夢中。我に返ったときには解説の松木安太郎さんと部屋の床にへたり込んで乾杯していました。早朝5時過ぎだったように思います。あの時のビールの味は忘れられないですね。横浜フリューゲルスが最後の試合を戦った第78回天皇杯決勝戦も、本当は冷静でいなければいけなかったのでしょうが、心の中にたまっていたものが一気に吹き出して止まらなくなりました。
JFAは今年9月に100周年を迎えます。
以前はサッカーの注目度が低く、好きな人たちが一生懸命やっていただけでそれを限られた愛好家が見ていました。待遇面でも精神面でも完全なアマチュアで、携わる人間はサッカーの好きな自分のことが中心で、見る人のことにあまり重心を置いて考えない時代が非常に長かったと思います。それが恐らく1980年代から、見る人の方向へとシフトしていった。そうして生まれたのがJリーグでした。100年間を柱に見立ててみると、近年に近づくに従って太く立派なものになっていますが、その礎石の部分で、サッカーが大好きで仕方がなかった人たちが、70年ほどかけて一つひとつ石を積み上げていった事実を忘れてはいけないと思います。その70年があるからこそ、近年の30年間がものすごく立派で太い柱になっているのです。
アナウンサーやJリーグ理事として日本サッカーに携わってきた中で、特に成長を感じる部分を教えてください。
ファンの“見る力”がものすごく高くなりましたね。スポーツにおける見る力は選手や指導者が非常に高く、ファンはそれより低いのが一般的ですが、サッカーではその力の高い層が非常に厚い。これは直近30年ほどの功績だと思います。また、選手全体の行動レベルも非常に高くなりました。コンディショニングや自分の役割など、試合のためにどう準備をして、何を心がけるべきかが広く行き渡る時代になったと思います。
未来を担う子どもたちへのメッセージをお願いします。
スポーツにはけん引力があります。それを知っている大人たちの振る舞いや考え方はものすごく重要です。指導する側はむやみに後ろから押さず、スポーツに引かれる力を感じさせてあげることが大事だと思います。子どもたちはスポーツが引っ張ってくれる力を感じてほしいですね。
これからの100年間でJFAやサッカーに期待することを教えてください。
指導者資格の導入やJFAこころのプロジェクトなど、先進的なことはサッカー界がいち早く取り組んできました。サッカーが持つ力と影響力が広範に及ぶことを考えれば、足を使ったボールゲームとして完結するだけでなく、他のスポーツや社会全体にも大きな刺激を与えられると思っています。国内に限って言えば,JFAは例えば水泳や陸上やバスケットボールと連携し、スポーツ世界の今後についても考えていかなければなりません。サッカーを大事にしながらなお、他のスポーツとともに日本のスポーツ全体を引き上げていくことが、今後の100年に向かっての課題ですね。
- プロフィール
- 山本 浩(やまもと ひろし)
1953年4月12日生まれ、島根県出身
1976年にNHKに入局。1980年頃に松山局への赴任を契機にスポーツ担当となる。その後、85年のFIFAワールドカップアジア予選を皮切りに数々の試合を実況。「ドーハの悲劇」や「ジョホールバルの歓喜」など歴史的瞬間にも多く立ち会い、サッカーファンの語り草となる名実況を残している。2009年3月をもってNHKを退職。現在は法政大学スポーツ健康学部の教授を務める。