「僕にとって
サッカーとの出合いは
絶対に必要だったことで、
出合ったおかげで
今の人生がある」岡田武史さん
(元日本代表監督)インタビュー
2021/09/24
サッカーファミリーの声
日本サッカー協会(JFA)は2021年9月に創立100周年を迎えました。ここではサッカーの魅力について考えるきっかけにするために、さまざまなサッカーファミリーにインタビューを実施しています。最終回となる今回は元日本代表監督の岡田武史さんに登場いただきました。 ○オンライン取材日:2021年9月7日
サッカーと出合ったきっかけを教えてください。
始めたのは中学生の時です。小学生の時は野球をやっていて、中学でも野球部に入ろうと思ったのですが、サッカー部の練習を見たら楽しそうだったので入部しました。足でボールを扱うので一気にはうまくならないけど、練習すれば毎日必ず少しずつ成長できるところに魅了されました。朝から始まって、昼休み、部活が終わった後。帰宅して夕食を食べた後と、とにかくボールを蹴り続けていて、それぐらいのめり込みました。
天王寺高校、早稲田大学、古河電工と進み、引退後は指導者に転身。1997年10月、急きょ日本代表監督に就任しました。
カザフスタン戦(ワールドカップ予選)に引き分けて加茂周さんが更迭され、翌週がウズベキスタンとのアウェイゲームでした。当初はその1週間、1試合だけ監督をやるつもりだったんですよ。そのウズベキスタン戦では先に失点をして、終盤に秋田豊を前線に上げて井原正巳にロングボールを蹴らせたら、秋田が相手DFと競ったボールがそのままゴールに入ったんですよ。その瞬間に「これはいけるかもしれない」と思い、試合後の記者会見でもそれを言いました。ただ、ロッカールームに戻ったら選手たちが号泣していて、「選手たちも本気でワールドカップに行きたくて苦しんでいる。彼らを投げ出すわけにはいかない」と思い、最後まで率いる決断をしました。
1997年11月16日、いわゆる“ジョホールバルの歓喜”でワールドカップ初出場が決まった時の心境を教えてください。
試合前日、現地から妻に電話して「明日もし負けたら俺は日本に帰れない」と伝えたぐらいなので、喜んだというより、安堵でした。「これで日本に帰れる」と本気で思いました。これは後から選手に聞いて思い出したんだけど、スタジアムからホテルに戻るバスはみんなシーンとしてお通夜みたいな雰囲気でした。ホテルのレストランに集合し、シャンパンで乾杯をして「みんな疲れているだろうから休みたいやつは休んでくれ」と言ったら、みんなサーッと帰って行って。喜ぶ感じというより、とにかくホッとしたというか、精根尽き果てた感じでした。
2007年12月には日本代表監督に再登板し、2010年南アフリカ大会に出場しました。
大会前のトレーニングマッチではなかなか結果が出なかったんですが、最後は選手たちが吹っ切れ、開き直って主体的に動き出した。日本人は主体性がないとよく言われますが、追い込まれて開き直った時には主体的にプレーできる。僕は“ブラックパワー”と呼んでいて、これが一番のポイントだったと思っています。
サッカーと出合ったことで、人生はどのように豊かになりましたか。
信条として、人生では自分に必要なことが起こると考えているので、僕にとってサッカーとの出合いは絶対に必要だったことで、出合ったおかげで今の人生がある。そして今をすごく幸せに生きています。好きなものに出合って熱中して、今もこうやって健康で、いろいろな人と付き合わせていただいているので、幸せですね。
JFAは今年9月に100周年を迎えます。
組織化して100年というのは本当にすごいと思います。今の会社を経営するようになって7年が経ちましたが、この7年間、本当に死に物狂いだったことを考えると、JFAの100年間の歴史が途絶えることなく続いたのは素晴らしいことです。理念や思いがないと続かないことだと思います。
現役選手から指導者、JFAの理事や副会長、地方クラブの経営者とさまざまな立場でサッカーに携わってきた中で、JFAや日本サッカーに誇りを感じる部分を教えてください。
フランスワールドカップに出た時に、多くの指導者が採算を度外視して少年少女の指導に携わり、地道に礎石を積み上げてきてくださったことを強く実感しました。僕は最後の1個を積んだだけ。ワールドカップに導いたと言われますが、そういう方たちがいるからこそヨーロッパの強豪国に迫ることができたんだと思います。サッカーを愛する仲間たちが日本のサッカーを強くしようと試行錯誤していることは、他の国にはあまりないことなんじゃないかな、と思います。
未来を担う子どもたちへのメッセージをお願いします。
これまでは日本の歴史の中でも稀に見る安定期でしたが、これからはいろいろなことが起こり得る不確実な時代になるという予感があります。その中で、主体的に生きること、自分でいろいろな責任を持ちながら生きていくことが大切です。そして、スポーツはそれを鍛えるための大きな手段になると思います。
これからの100年間でサッカーやJFAに期待することを教えてください。
JFAとJリーグが一体となり、Jクラブがサッカーを中心としてこれからの社会をつくっていくような、そんなビジョンを持ってやってほしいと思っています。私自身も今、FC今治を文化の核としたコミュニティづくりにチャレンジしています。これがうまくいけば日本のサッカーに多様性が生まれるきっかけになると思いますし、スポーツという目に見えない資本、文化を核としたコミュニティづくりの前例になると考えています。
- プロフィール
- 岡田 武史(おかだ たけし)
1956年8月25日生まれ、大阪府出身
中学時代にサッカーを始め、天王寺高校に進学後は大阪府選抜や年代別の日本代表に選出されるなど頭角を現す。早稲田大学を経て、古河電気工業サッカー部に加入。1980年に日本代表デビューを果たし、国際Aマッチに24試合出場した。日本サッカーリーグ(JSL)で10シーズンプレーしたのち現役を引退。その後は指導者に転身し、古河電工(ジェフ市原)や日本代表のコーチを務めた。1997年10月、FIFAワールドカップフランスのアジア最終予選の最中に監督に抜擢される。逆転で予選を突破し、日本初のワールドカップ出場を決めた。その後、コンサドーレ札幌や横浜F・マリノスの監督を歴任し、2008年には再び日本代表の監督に就任。日本を4大会連続となるワールドカップ出場に導き、本大会でベスト16の好成績を残した。現在はFC今治.夢スポーツの代表取締役会長としてクラブ経営をする傍ら、JFAシニア・アドバイザーや試合解説など幅広くサッカーに携わっている。