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日本代表監督リレーインタビュー 第2回 U-19日本代表 影山雅永監督「壁を一つずつ超えて」

2020年04月30日

日本代表監督リレーインタビュー 第2回 U-19日本代表 影山雅永監督「壁を一つずつ超えて」

日本代表チームは新型コロナウイルスの感染拡大防止のために多くのサッカーやスポーツの現場同様に活動の自粛を余儀なくされています。選手の皆さんと同様にStay homeを続ける各カテゴリーの代表監督に今回はサッカーに対する思いや、苦難を乗り切ってきた経験、夢の大切さなど、話を聞きました。

第2回はU-19日本代表を指揮する影山雅永監督です。

東北の湘南から自分の夢

私の出身は福島県いわき市という、少年サッカーがすごく盛んなところで、冬でも雪が降らないことから「東北の湘南」と言われるほど環境に恵まれた地でした。(湘南の方、すみません…)
小学生時代、サッカーをやっていた兄の影響もあり地元でサッカーをはじめました。ちょっとした自慢ですが小学校、中学校、高校、で合計10回全国大会に出場して、高校選手権ではベスト16までいくことができました。ただ、真剣に将来のことを考えだした高校時代でも、当時福島から大学や社会人チームで一線級のレベルでサッカーをやるという選手はほとんどいませんでしたし、今のようなプロの世界もありませんでした。そもそもそういった道を歩むようなアイデアもありませんでした。自分は大学に行って、教員免許を取って、地元に戻りサッカーを指導しながら「教師になる」という漠然とした夢を持っていました。

幼少期から良き指導者との出会い

幸運なことに、私は幼少期からそれぞれの年代で素晴らしい指導者と出会い、指導を頂くことができました。小学生の時はとにかくテクニックを磨き、当時では珍しく個人戦術や判断力を養う指導をしてもらい、それはその後の自分のプレーヤーとしての大本となっていることは間違いありません。私自身はサッカーを始めた頃はフォワードでした。身体能力は高い方でしたね。小学校4年生のとき、1試合で17点を入れたことがあるくらいの点取り屋でしたよ。ただ、徐々に年を重ねるごとにポジションを下げていき、フォワードから中盤でゲームメイクするようになり、日本サッカーリーグ(JSL)やJリーグでは立派なディフェンダーになっていました。
高校時代は部活動で全国大会を目指していました。今では町クラブやアカデミー等さまざまなチームがありますが、当時は圧倒的に部活でサッカーをするのが主流でした。思い出すのは高校時代、長らくサッカー部の顧問をされていた先生が新しい先生に交代した時期です。新しい顧問の先生はサッカーの経験をあまりもっておられない方でしたが、自分たちのトレーニング方法に関して、選手が自主的に考えて実行するということに対して非常に寛容な方でした。自分たちでどんどん追い込んで、より高いレベルを目指すようになり、とても楽しかった思い出があります。そんなチャレンジをしながら全国大会を始めとしたあらゆる大会に参加して、とても大きな経験を積んだ3年間でした。
そしてその後進学した筑波大学では全く違う環境でのサッカー生活でした。入部当初は練習メニューが理解できない、周りの選手たちのレベルが高すぎてついていけないという状況で、一ヶ月で練習に行きたくなくなる「5月病」になりました(苦笑)。当時は2学年上に長谷川健太さん(FC東京・監督)、平岡和徳さん(熊本県立大津高校サッカー部総監督/熊本県宇城市教育長)、同期には井原正巳さん(柏レイソル・ヘッドコーチ)、中山雅史さん(アスルクラロ沼津)等が先輩や同期におられ、当時ドイツ留学から帰国したばかりの田嶋幸三さん(日本サッカー協会・会長)がコーチとして指導されており、トレーニングは毎日、相当ハイレベルなものでした。
そうしてなんとか周りに食らいつきながら少しずつ試合にも出させて頂きましたが、サブの時期も長く、怪我も多く、大学4年間で選手としてそこまで活躍はできませんでした。大学生活を送りながら、自分は選手ではなく、指導者の道で生きていくことを意識し始めましたし、一つの転機であったのかと思います。ただ、弱音を吐くことはせず、諦めずにサッカーに打ち込み、結果として大学を卒業してからもJSLやJリーグで選手として7年間現役生活を続けることができました。

一つ一つ、一段一段

今思えば、小・中・高と少しずつサッカーのレベルを上げていき、大学ではもう一段レベルの高い環境に入り、さらにJSL、Jリーグといったフィールドに立ってきました。私はどちらかというと大きな夢に向かって走るのではなく、目の前の目標や壁を一つずつ超えていくことに苦しさはありますがそれよりも充実感を感じます。良く言えば、自分を客観的に見ることができていると言えますが、反対に、目の前の壁を乗り越えるのにただただ必死だった、とも言えます。いずれにせよ、「必ず超えてやる」と常に思いながらチャレンジを続けてきたことは今に繋がっているのではないかと思います。

コロナ禍での再認識

どのスポーツの指導者も一緒かと思いますが、いくら戦術論やシステム論が盛んになっても、選手の目や表情を見て、目の前で見て感じたことをFACE to FACEで選手とやり取りする肌感覚の指導は未だ大事なことだと思います。このコロナ禍の中、全ての指導者がそうしたいと思っているに違いないと思います。

日々選手と対面している指導者や先生方は私よりも何倍も工夫して様々なことを考えておられると思いますので、私から遠隔での指導方法やアドバイスなどは提示できません。ただ、私自身が感じることとして、コロナウイルスが蔓延し、日常であったスポーツやサッカーができる環境がなくなって、初めて分かった感覚を覚えました。我々の普段の日常にあったサッカーをすることができない、見ることもできないという状況がこんなにもつまらないものかということを痛感しています。全世界でコロナウイルスが収束した後、改めて外に出て、ピッチを走り回り、ボールを蹴り、点を取りあうことがこんなに面白かったんだ、と感じることができると思います。昨今ではスポーツは身体を鍛えるための「手段」として使われてきた面もあったかと思いますが、本来あるはずのスポーツをする「喜び」を再認識できるのではないでしょうか。スポーツって素晴らしいな、サッカーって素晴らしいな、とみんなが改めて思える方向に向かうことを期待しています。

明日はU-20日本女子代表を率いる池田太監督の登場です。

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