人類史上に深く刻まれるであろう、新型コロナウイルス感染症のパンデミックに見舞われた2020年は、日本サッカー史上でも稀にみるシーズンとなった。3月、6月に予定されていたFIFAワールドカップカタール2022 アジア2次予選 兼 AFCアジアカップ中国2023 予選は全て延期。先行きの見えないなか、年代別代表も含めて2020年前期の活動は全て休止となった。
そしてSAMURAI BLUEは10月に入り、ようやくヨーロッパで国際親善試合を組むチャンスを得た。10月にオランダで2試合、11月にオーストリアで2試合、いずれもヨーロッパでプレーする選手たちだけが招集され、その中で柴崎岳は全4試合に出場し、ピッチ内外で中心プレーヤーとしての責務を果たした。
記念すべきSAMURAI BLUE〜プレーヤーズヒストリー〜初回は、この柴崎岳を取り上げよう。
誇りあるブルーのユニフォームを着た柴崎が初の国際舞台に立ったのは、17歳の時。U-17日本代表の10番として、FIFA U-17ワールドカップナイジェリア2009に出場した。
SAMURAI BLUEでのデビューはその5年後となる、2014年。キリンチャレンジカップ2014・ベネズエラ戦で初出場を果たすとともに初ゴールも記録し、SAMURAI BLUEとしてのキャリアを華々しくスタートした。
若いながら、所属クラブとなる鹿島アントラーズで欠かせない存在へと成長していった柴崎。SAMURAI BLUEでは、オーストラリアで開催されたAFCアジアカップ2015では先発出場こそなかったものの、後半から途中出場した準々決勝・UAE戦では貴重な同点ゴールを決めた。
FIFAワールドカップロシア2018では、グループステージ3試合、決勝トーナメントのベルギー戦と全試合に出場。SAMURAI BLUEの中心選手として、チームのベスト16に貢献した。
日本がゲスト招待を受けたCONMEBOLコパアメリカ ブラジル2019では、東京オリンピックを見据え若手中心で組まれたSAMURAI BLUEをキャプテンとして牽引。チームはグループステージで敗退したが、貴重な経験を得た。
2016年、鹿島アントラーズを離れ、スペインに活躍の舞台を移した柴崎。現在は2部のCDレガネスに所属し、プレーヤーとしてさらなる飛躍を目指す。これからの柴崎の挑戦は、SAMURAI BLUEにとっても大きな財産となることだろう。
1992年5月28日 青森県上北郡野辺地 生まれ。ポジションはミッドフィルダー。青森山田高校を経て、2011年から2016年まで鹿島アントラーズに所属。Jリーグをはじめ、天皇杯など国内5タイトルを獲得。FIFAクラブワールドカップ2016では決勝でレアル・マドリードと激闘を繰り広げ、準優勝。個人としてブロンズボール賞を受賞した。2016年からスペインへと活躍の舞台を移し、テネリフェ(2部)、ヘタフェ(1部)、デポルティーボ(2部)を経て、現在はCDレガネス(2部)に所属。
SAMURAI BLUEでは49試合出場3得点。FIFAワールドカップロシア2018(ベスト16)、AFCアジアカップ2015(ベスト8)、AFCアジアカップ2019(準決勝)、CONMEBOLコパアメリカ ブラジル2019(グループリーグ敗退)などに出場。