現役のSAMURAI BLUEプレーヤーの歩みを貴重な写真で振り返る、「SAMURAI BLUE〜プレーヤーズヒストリー〜」。今回はSAMURAI BLUEを支え続ける川島永嗣を取り上げよう。
埼玉県に生まれた川島は浦和東高校を卒業後、2001年に大宮アルディージャへ加入し、プロキャリアのスタートを切る。
その後、大宮で着実に成長し、2003年、FIFAワールドユース選手権UAE2003ではU-20日本代表の守護神として活躍。日本のベスト8進出に大きく貢献した。
SAMURAI BLUEでは2007年、当時のイビチャ・オシム監督に抜擢され、初招集を受ける。川口能活、楢﨑正剛といった偉大な先輩たちの存在もあり、出場機会こそなかったが、AFCアジアカップ2007でもメンバー入りを果たした。
川島のSAMURAI BLUEでのデビューは、2008年2月17日、中国で開催された東アジアサッカー選手権2008 決勝大会の初戦となった朝鮮民主主義人民共和国代表戦。1-1という結果に終わったが、川島個人にとっては大きな一歩となった。
その後、SAMURAI BLUEのファーストGKの座をつかんだ川島は、2010FIFAワールドカップ 南アフリカで全4試合に出場。日本をベスト16に導いた。
またAFCアジアカップ カタール2011では、グループステージのシリア代表戦で退場させられるなどの不運もあったが、準決勝の韓国代表戦ではPK戦で2連続セーブを見せ、日本を決勝へ導く。そして決勝のオーストラリア代表戦では完封の立役者となり、史上最多となる日本の4度目の優勝に大きく貢献した。
2014年、南アフリカ大会に続き、2014FIFAワールドカップ ブラジルでもSAMURAI BLUEのゴールを守る。残念ながらグループステージ敗退に終わったが、2大会連続全試合出場を果たした。
SAMURAI BLUEに欠かせない存在であり続ける川島は、2018FIFAワールドカップ ロシアでも全4試合に出場し、日本をベスト16へ導いた。3大会での11試合出場は、長友佑都、長谷部誠とともに日本人として最多出場記録となっている。
2019年には、CONMEBOLコパアメリカブラジル2019でも2試合に出場。若手中心のSAMURAI BLUEにおける精神的支柱として、ピッチ内外でチームを牽引した。
そして、2022年。激闘が続くアジア最終予選(Road to Qatar)でも、川島の存在はSAMURAI BLUEに欠かせない。
自身が、そしてSAMURAI BLUEが、さらなる高みへ進むためー。川島永嗣の挑戦はこれからも続く。
1983年3月20日生まれ。ポジションは、GK。浦和東高校から2001年、大宮アルディージャに加入。その後、名古屋グランパスエイト(現名古屋グランパス)、川崎フロンターレでキャリアを積み、2010年、ベルギーのリールセSKへ移籍。2年目にはチームキャプテンに就任する活躍を見せた。
2012年からスタンダール・リエージュ、ダンディー・ユナイテッド、FCメスを経て、現在はRCストラスブールに在籍。ベルギー、スコットランド、フランスと、そのプレーレベルとリーダーシップは各国で高く評価されている。
SAMURAI BLUEでは93試合に出場(2022年1月26日現在)。激闘が続くアジア最終予選(Road to Qatar)でも、チームの精神的支柱として大きな役割を担っている。