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SAMURAI BLUE

〜プレーヤーズヒストリー〜

第14回 原口 元気

プレーヤーズヒストリー

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現役のSAMURAI BLUEプレーヤーの歩みを貴重な写真で振り返る、「SAMURAI BLUE〜プレーヤーズヒストリー〜」。今回はSAMURAI BLUEの推進力である原口元気を取り上げよう。

埼玉県に生まれた原口は小学生の頃から才能を発揮し、中学に上がるとともに浦和レッズジュニアユースに所属した。浦和の下部組織でも輝き続けた原口は2008年、2種登録選手としてトップチームでのデビューを飾る。

翌年にはリーグ戦32試合に出場。類い希なスピードで浦和の攻撃の切り札へと成長し、一躍、Jリーグのニュースターとして注目される存在となった。

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SAMURAI BLUEでは2011年、当時のアルベルト・ザッケローニ監督に抜擢され、初招集を受ける。そして同年の10月7日、キリンチャレンジカップ2011・ベトナム代表戦でデビューを飾った。

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2013年には、韓国で開催されたEAFF 東アジアカップ2013 決勝大会で2試合に出場。日本の大会初優勝に貢献した。

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当時、浦和でチームメートだった槙野智章、森脇良太とカップを持ち、喜ぶ姿も初々しい。

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その後、ドイツのヘルタ・ベルリンへの完全移籍などもあり、しばしSAMURAI BLUEの舞台から遠ざかる。復帰を果たしたのは2015年6月11日、キリンチャレンジカップ2015・イラク代表戦だった。

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この試合で、原口はSAMURAI BLUEでの初ゴールを決める。まさに代表復帰を自ら祝った形となった。

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当時のヴァイッド・ハリルホジッチ監督の下、SAMURAI BLUEのエース的存在となった原口は、2018FIFAワールドカップ ロシアの出場権を争うアジア最終予選(Road to Russia)で4試合連続ゴールを記録した。

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これは伊東純也とともに、日本人としてアジア最終予選における歴代最高記録となっている(2022年2月24日現在)。

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そして2018FIFAワールドカップ ロシアでは攻守にわたり、SAMURAI BLUEを牽引。ラウンド16のベルキー代表戦では先制点を叩き込み、日本人初のノックアウトステージでのゴールを記録。

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試合終了間際での失点で惜しくもベルキーには敗れたものの、世界の大舞台でSAMURAI BLUEがヨーロッパの強豪をここまで苦しめたのは、原口の力が大きかったといえるだろう。

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あれから間もなく4年が経つが、原口の輝きは衰えることをしらない。若き頃、ややもするとチームの和を乱す危険性も秘めた自己主張の強さは経験とともに、チームのことを第一に考える真の強さに変化した。

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原口元気は2022年も、SAMURAI BLUEとともに躍動する。

原口 元気

Profile
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1991年5月9日生まれ。ポジションは、MF/FW。浦和レッズユース時代の2008年、2種登録選手としてトップチームデビューを果たす。2011年、Jリーグヤマザキナビスコカップ ニューヒーロー賞を受賞。

2014年6月、ドイツのヘルタ・ベルリンへ完全移籍。その後、フォルトゥナ・デュッセルドルフ、ハノーファー96を経て、現在は1.FCウニオン・ベルリンに所属。

SAMURAI BLUEでは68試合に出場(2022年2月24日現在)。激闘が続くアジア最終予選(Road to Qatar)でも、その運動量と攻撃での推進力でSAMURAI BLUEに貢献する。

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