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「相手の立場になって考え、将来ある若者たちの成長過程を見つめてきた。」東日本大震災から10年~リレーコラム 第10回~

2021年03月26日

「相手の立場になって考え、将来ある若者たちの成長過程を見つめてきた。」東日本大震災から10年~リレーコラム 第10回~

東日本大震災から、10年の時がたちました。国内外から多くのサポートが寄せられ復旧が進んだ一方で、復興にはまだ長い道のりが残されています。それぞれの立場で、東日本大震災とこの10年間にどう心を寄せ、歩んできたか。ここではサッカー関係者のエッセイやコラムをお届けします。

第10回は、被災したJFAアカデミー福島を受け入れていただいた静岡県御殿場市にある株式会社時之栖代表取締役社長の庄司政史さんへの取材をもとにお伝えします。

3月。年度末となるこの時期、多くの企業や組織では、4月から始まる新年度へ向けたスケジュールがほぼ固まっている。話が舞い込んだのは、そんなときだった。現在、静岡県御殿場にある株式会社時之栖の社長を務める庄司政史は、専務取締役として対応した当時のやり取りをこう記憶している。「震災後、ちょうど1週間ぐらいだったと思います。当時の田嶋幸三副会長から、『被災したJFAアカデミー福島の子どもたちを、できれば受け入れて欲しい』と打診を受けたんです。3月19日くらいだったと思います」。ホテルやレストラン、サッカーのピッチを始めとした各種のスポーツ施設を備える総合リゾート施設。時之栖と日本サッカー協会(JFA)の交流の歴史は古い。日本がワールドカップ初出場を果たすフランス大会以前から、日本代表がこの地で合宿を行ってきた経緯があった。

4月の新年度が始まるまでには、残された時間は限られた。その短期間で環境を整えなければならない。125人全員のアカデミー生の受け入れが大前提となる責任の重いミッション。宿舎、食事、グラウンド、さらに4月から始まる学校への転入と、解決しなければならない問題は山積みだった。「春休みの時期ですからね。サッカー専用の合宿所には、一般のお客さまがたくさんいました。そのお客さまたちのご理解で部屋を空けていただき、アカデミー生の宿泊スペースを確保しました」。当時、時之栖には年間で9万から10万人のサッカー利用客があった。現在ほどホテル施設が多くなかったために、サッカー専用の合宿所は、時之栖にとっても経営を考える上で非常に重要な施設だった。平日は合宿所の一部屋をアカデミー生は4人で使うことができた。しかし、一般客の多い週末には部屋を空けるために7、8人という状態が半年ほど続いた。

一方、学業面では、受け入れ先となる地元の学校が最大限の尽力をしてくれた。福島から転校してくる中学生は62人。御殿場に来ることが決まったのは、3月20日を過ぎた春休み中だった。編入先の御殿場市立富士岡中学校は、既にこの時期には翌年のクラス編成を終えていた。学校はそれでも再びクラス分けをやり直した。加えて声を掛けられたOBたちは、カバンやジャージを持ち寄った。福島に置き忘れて、取りに帰ることのできない物品を用意してくれたのだ。

人々の協力があって、アカデミー生は晴れて4月6日の新年度の入学式を迎えられることとなった。また、従来の制度では編入の手続きに手間がかかると思われた高校に関しても特例が認められた。静岡、福島両県の知事、副知事、そして教育長同士が話し合いの場を持った。その結果、三島市にある静岡県立三島長陵高校内に、アカデミー生が福島で通っていた福島県立富岡高校がサテライト校という形で設置されることになった。震災からわずか3週間。当初は無理と思われた困難な問題は、周囲の人々の尽力で着実に解決されていった。「これには、いろいろな偶然があったと思いますね。当時の静岡県の副知事の大村慎一さんは、福島県副知事の内堀雅雄さんの自治省(現総務省)時代の1年後輩だった。たぶん、それで話が通りやすいこともあったかもしれません。一番感じたのは、関わった人たちの『子供たちを何とかしなければいけない』という強い思い。さまざまな要素が重なって、あの短い期間で準備ができたのかなと思います」。

庄司には忘れられない光景がある。アカデミー生が4月に初めて来たときのことだ。「被災の経験をして、彼らは御殿場に逃れて来た。心に傷を負っているはずです。でも思っている以上に明るかったんです。初めて寮に集まったときに、いま清水エスパルスで活躍している金子翔太選手が、『なんか笑っちゃいけないけど、みんな笑みが出た』と言っていました。一度は、もう会えないかもと思った仲間に会えて、うれしかったんでしょうね」。アンダーカテゴリーの日本代表選手を含む、サッカーのエリート集団。アカデミー生の突然の編入に、富士岡中の生徒たちの間では当初戸惑いもあったという。その不安は時間の経過とともに、仲間意識に変わり、そして彼らへの期待と応援に変わっていった。アカデミー生もまた、米作りやお祭りなど積極的に催しに参加して地元に溶け込んだ。サッカーに関しても、ホームタウンとして登録するのは、男子は御殿場市、女子は裾野市。それぞれの自治体の応援を受け、現在ではある意味で「おらが町のチーム」となっている。

アカデミー生を受け入れて10年の歳月がたった。いまでは福島の生活を知る者いない。それでも今年4月には段階的に男子が、2024年には女子が福島に戻ることが予定されている。「とても寂しいです。いずれ福島に帰らなければいけないのは分かっていましたが。あと残りの2年、とりあえず私たちは、最後までしっかりサポートするだけです」。10年前、アカデミー生を受け入れるとき、当時社長を務めていた庄司清和会長は「惻隠の情」という孟子の言葉を持ち出して、子どもたちと接することをスタッフに求めた。相手の立場になって考えるという意味だ。同じ環境で同じ志を持った人たちが、将来ある若者たちの成長の過程をつぶさに見つめてきた。「特にオーナーにとっては孫みたいな世代ですから、彼らがいる、ということだけでうれしかったでしょうね。若者に接することで私たちも元気をもらえました」。

震災という不幸な出来事が原因のJヴィレッジからの予期せぬ移転。出会いこそ緊急事態の中でのことだった。しかし、多くのアカデミー生にとっては、御殿場の時之栖もまた、まぎれもなくJFAアカデミー福島と言えるだろう。(文中敬称略)

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