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【JFA100周年企画】

「人生を変えてくれた
フットサルは自分の一部」
木暮賢一郎コーチ(フットサル日本代表)
インタビュー

2021/05/28
©JFA

VOICES

サッカーファミリーの声

日本サッカー協会(JFA)は2021年9月に創立100周年を迎えます。ここではサッカーの魅力について考えるきっかけにするために、さまざまなサッカーファミリーにインタビューを実施します。第4回目はフットサル日本代表の木暮賢一郎コーチに登場いただきました。 ○オンライン取材日:2021年4月20日

サッカーを始めたきっかけ、フットサルに転身した経緯について聞かせてください。

木暮

幼少期に父親が仕事でブラジルに行き、ユニフォームをお土産に買ってきてくれたのが最初の入口だと聞いているんですが、私自身にその記憶はありません。その後、幼稚園でサッカークラブに入ったのですが、リフティングが何回できたら「キャプテン翼」の翼くんカードにシールを貼ってもらうというのがあって、それがうれしくてのめり込みました。小学生時代は読売サッカークラブの一員として第1回全日本少年フットサル大会(現JFAバーモントカップ)で優勝したり、高校時代、部活がない時に地元の中学校の体育館でボールを蹴ったりと、フットサルとの関わりはありました。高校の部活を引退した後、地元の先輩や同級生と遊びでフットサルをしていたところ、隣のコートに元フットサル日本代表の市原誉昭さんたちがいて、対戦するうちに熱中していきました。

フットサルのどういったところに魅了されたのでしょうか。

木暮

純粋に楽しかったです。もともと体が小さくて走るのも速くなくて、そのせいで試合に出られなかったのでサッカーの楽しさを感じられない部分がありました。ですが、本格的にフットサルをやってみると、たくさんボールに触り、頭も使って、味方との連係もできて、とにかく楽しくて「これだ!」と直感しました。深くのめり込んでいったのは、反骨心が大きいかもしれません。読売クラブ時代のチームメートには年代別代表に招集された選手もいましたが、私は無縁でしたし、プロにもなれませんでした。羨ましい、悔しいというコンプレックスからの反発があったのかなと思います。

フットサルと出合ったことで、人生はどのように豊かになりましたか?

木暮

小さい頃からサッカーでプロになりたいという夢がありましたけど、フットサルを選んでいなければプロになって日の丸をつけることもなかったでしょうし、海外でプレーすることも、指導者になることもなかったと思います。自分の人生が大きく変わったのは間違いないですね。

フットサルを続けたことで特に成長した部分を教えてください。

木暮

フットサルに対する情熱です。情報がない新しいスポーツで指導者もいない中、「あのショップにブラジルの試合のビデオが売られているらしい」といった情報を頼って映像を入手し、見よう見まねでプレーしてきました。自分たちでゼロからクリエイトし、とにかく突き進んでいくしかなかったので、そういうマインドは特に成長したと思います。

フットサル人生において特に印象深かった出来事を教えてください。

木暮

子どもの頃はカズさん(三浦知良選手/横浜FC)に憧れていました。サッカーで交わることがなかったカズさんと一緒に2012年のFIFAフットサルワールドカップに出場したことですね。情熱を持ってやり続けた結果、憧れの存在と一緒にプレーし、いろいろな話もさせていただいて多くの学びを得ることができました。

©JFA

では、木暮さんにとってフットサルとは?

木暮

私の一部ですね。フットサルがなければ今の自分はなかったですし、考え方も、人生そのものもフットサルによって変わり、素晴らしい人生を送ることができています。人生を変えてくれた競技だと思っています。

日本のフットサル界に今後、どのようなことを期待しますか?

木暮

JFAのサッカーファミリーの中で、フットサルという競技がいろいろな役割を果たしていくようになってほしいですね。期待するというより、自分自身が最前線に立って進めていきたいと思っています。女子代表や育成にも関わっていますので、サッカーをやめてもフットサルを続けていける、11人集めるのが難しい女子サッカーにおいて5人でできるフットサルが入り口になる、という環境をつくっていきたいです。ブラジルのネイマール選手のように、フットサル出身の選手がサッカー日本代表で活躍するという事例が男女ともに増えていってほしいとも思っています。

©JFA

未来を担う子どもたちに伝えたいことは?

木暮

自分の好きなことを見つけて熱中し、仲間ができたり、喜びや挫折を味わったりすることは、全て人生の学びになります。情熱を持って思い切り楽しむことが大切ですし、それが後々、必ず役に立つので、途中で諦めずに楽しく取り組んでほしいですね。また、サッカーをやっている子であれば、ぜひフットサルにも触れて、その楽しさを感じてほしいです。

JFAは9月に100周年を迎えます。次の100年に向けてJFAに期待すること、サッカーやフットサルに期待することを教えてください。

木暮

サッカーやフットサルが日本の文化になってほしいです。すでになりつつあると思いますが、サッカーやフットサルが日常に深く関わり、週末になれば子どもから大人まで、サッカーやフットサルを見たりプレーしたりして、そういった触れ合いを通じて地域が活性化していく。そういった光景を期待していますし、そのために自分も貢献していきたいと思っています。

©Walnix
プロフィール
木暮 賢一郎(こぐれ けんいちろう)
1979年11月11日生まれ、神奈川県出身
幼少からサッカーを始め、小学生の時に読売サッカークラブジュニアユースに加入。小学6年時に出場した第1回全日本フットサル大会で優勝した。その後、高校までサッカーを続け、大学在学中にフットサルに転向。大学3年時に日本代表に初選出される。FIFAフットサルワールドカップには3大会出場(2004年、08年、12年)。黎明期の日本フットサルを支え、2005年にはスペインのクラブに移籍、09年からは名古屋オーシャンズでプレーした。12-13シーズンをもって現役を引退し、指導者となる。16年4月にフットサル日本代表監督に就任。現在はフットサル日本代表コーチ、U-20フットサル日本代表監督、フットサル日本女子代表監督を務める。