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カタールのドーハで開催された1994年FIFAワールドカップアメリカ大会 アジア最終予選。約2週間で5か国と対戦する短期決戦は、2試合を終えて1分1敗と苦しいスタートを切ったものの、朝鮮民主主義人民共和国、韓国を撃破して日本は首位に立つ。勝てばワールドカップ出場が決まるイラクとの最終戦は、2-1とリードしたまま終盤へ。しかし、最後に信じられない結末が待ち受けていた――。日本の悲願はまたしても成就されず、この最終予選は「ドーハの悲劇」として記憶された。
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初のワールドカップ出場をかけて臨んだ1998年FIFAワールドカップフランス大会 アジア最終予選。ウズベキスタンに大勝を収め幸先の良いスタートを切った日本だったが、その後は苦戦し、アウェイでのカザフスタン戦で引き分けに終わると、加茂周監督が解任された。しかし、岡田武史新監督のもとでリスタートを切った日本は、残り4試合を2勝2分けとしグループ2位でアジア第三代表決定戦に臨む。マレーシアのジョホールバルでイランと対戦した日本は2-2で迎えた延長戦で、岡野雅行選手がゴールデンゴールを奪取。劇的な結末で悲願のワールドカップ出場を果たした。
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自国開催のため、予選は免除され本大会に出場。グループリーグ初戦のベルギー戦を2-2で引き分けると、続くロシア戦を稲本潤一選手のゴールでモノにし、記念すべきワールドカップ初勝利を挙げる。第3戦のチュニジア戦では、森島寛晃選手と中田英寿選手にゴールが生まれ2-0と快勝。グループ首位で決勝トーナメント進出を決めた。しかしトルコと対戦した決勝トーナメント1回戦は、序盤に失った1点を取り返せずに0-1と敗戦。トルシエ監督に率いられた日本代表の冒険は、志半ばで終焉した。
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ジーコ監督の下で三度目のワールドカップ出場を目指した日本代表は、アジア最終予選で朝鮮民主主義人民共和国、イラン、バーレーンの3か国と対戦。初戦の朝鮮民主主義人民共和国戦をものにしたものの、第2戦でイランに敗戦。しかし、バーレーンとの2連戦で連勝し優位に立つと、無観客試合として行われた第5戦の朝鮮民主主義人民共和国戦に2-0と快勝。予選の合間に行われた親善試合で結果を出せず、チームが崩壊しかねない苦しい時期もあったが、1試合を残して3大会連続のワールドカップ出場を決めた。
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アウェイで行われた初戦のバーレーン戦を3-2でものにしたSAMURAI BLUE(日本代表)は、第2戦でウズベキスタンとドロー。第3戦ではカタールに快勝したものの、グループ最大のライバルと目されたオーストラリアとは引き分けに。前半戦を2勝2分けで折り返すと、ホームで行われた第5戦で1-0とバーレーンを撃破。そして勝てばワールドカップ出場が決まるアウェイでの第6戦は、岡崎 慎司選手の決勝ゴールでウズベキスタンを撃破。危なげない戦いぶりを披露し、2試合を残してワールドカップ出場を決めた。
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香川真司選手、本田圭佑選手ら多くの海外組が主軸をなし、史上最強と謡われたSAMURAI BLUE(日本代表)が挑んだ2014年FIFAワールドカップブラジル大会アジア最終予選。オマーン、ヨルダンに快勝を収め幸先の良いスタートを切った日本は、続くオーストラリアには引き分けたものの、第4戦でイラクに勝利。第5戦でもオマーンに競り勝つと、早くもワールドカップ出場に王手をかける。アウェイでのヨルダン戦でまさかの敗戦を喫し足踏みを強いられたものの、ホームでのオーストラリア戦を本田圭佑選手のPKで引き分けに持ち込み、見事に5大会連続のワールドカップ出場が決定した。
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6大会連続となるワールドカップ出場を目指すSAMURAI BLUE(日本代表)は、アジア最終予選でアラブ首長国連邦(UAE)代表、タイ代表、イラク代表、オーストラリア代表、サウジアラビア代表と同居した。初戦のUAE戦に敗れ、まさかの黒星スタートを切った日本代表だったが、その後はタイ代表、イラク代表に連続して勝利するなど勢いに乗り勝ち点を積み重ねる。グループリーグの首位に立つと、勝てばワールドカップ出場が決まるホームでのオーストラリア代表戦でも力強い戦いを披露した。41分に浅野拓磨選手のゴールで先制すると、82分に井手口陽介選手が追加点を決め、危なげない戦いでオーストラリア代表に勝利し、1試合を残して6大会連続でのワールドカップ出場が決定した。