2025.8.13
サッカー日本代表コーチ
名波浩コーチ 囲み取材一問一答
※この取材は2025年8月13日に行われました
――SAMURAI BLUEコーチに就任してから一番印象に残っていることは何でしょうか。 「印象…そうですね。まあ、僕自身がポンコツなのが、一番印象に残っています。笑い事じゃないです。それ以外ないですよ。自分がポンコツというのは、点が取れない試合があったり、攻撃が流暢に行かないときがあったり、それはすべて僕の責任だと思うので。監督に任されている仕事を全うしているかどうか、という意味でのポンコツという表現です」
――コーチになって自分自身にどういう変化がありましたか。 「指導者を志すにあたって、トップカテゴリーの監督はもちろん目指すべきところだと、Proライセンスを持っている方は思っているのではないでしょうか。そんな中でも日本代表OBとして代表チームに携わるというのは、何にも代え難い名誉だと思います。相当な熟考をしましたが、最後はポイチさん(森保一監督)に返事をさせてもらいました」
――監督をやられていた経験もある中、森保監督を近くで見ていて、凄さを感じる部分はどこでしょうか。 「日々凄さも人間味もすごく感じています。ポイチさんが率いるチームが、なぜ強くなっていくか、なぜ我慢強いか、なぜ粘り強いか。というのは、すごく分かった気がします。その答えはここでは言いませんが」
――今の代表選手と関わる上でご自身が考えていることや意識していることは何ですか。 「まず、いの一番にリスペクトがありますし、自分、あるいは自分たちよりすごいキャリアを積んでいるので、順調に個人昇格というステップアップを続けてほしいな、と強く感じています。彼らと接していく上でそういう個人昇格に一役買えたらいいな、なんて大それたことは思っていなくて、彼らが何かヘルプを欲しきたときに、10個アドバイスがあるとしたら、その1つでも身になることを言えたらいいなぐらいの感覚です」
――当時、名波さんがプレーしていたときとは全く違う次元でしょうか。 「もちろん全く違うと思います」
――色々な選手から、特に出場機会がなかった試合後に『名波さんからこういうアドバイスをもらった』と囲み取材で聞きます。選手へどうアプローチしているのでしょうか。 「いや、まあボス(森保一監督)が行けと言うので、行っているだけです(笑)」
――選手の側から見てもやはり名波さんが言うんだからとか… 「いや、それはない。彼らにそれはないです。ただ、関係性として代表イズムとか、過去に血と汗と涙を流してきた諸先輩方の思いは、ポイチさんをはじめ、スタッフが伝えるべきところだと思いますし、選手たちもそういうものは強く感じてくれてやっていると思います。実際に前回予選とか前々回予選とか、長友佑都(FC東京)に限っては南アフリカ大会の予選からですが、簡単にアジア予選を突破したチームはなかなかない中で戦ってきたという話は何回かしました。試合に出られない選手に対しても、出られない選手の気持ちが分かる人間じゃないと声をかけられないというのは僕自身も分かっていることなので、そういう気持ち、そういう立ち位置になって考えてみる、というのは、第一に考えています…というポイチさんの命令です(笑)」
――選手のメンタル的な成長は感じますか。 「選手個々が所属しているクラブで試合に出続けたり、試合の中で結果を出すことで成功体験が増え、タイトルを取った選手も何人も出てきている。そんな中でシーズンのはざま、もしくはシーズンの終了後に個人昇格ができる選手が複数人出てきていることが、チームとしてのモチベーションを高いところで維持できている大きな要因だと思います。あとはボスがいつも言っている『ワールドカップ優勝』という明確な目標を毎活動、一度や二度じゃなく常に口にしていで、選手たちも自然とそういう流れになってきているなと思います。これは少し俯瞰した見方かもしれませんが、そう感じる時が多々ありますね」
――目標を明確にしたことで見えるものがあるということでしょうか。 「その通りだと思いますし、たとえ話で言うと、この前のE-1選手権の活動中、居残りのシュート練習をしているときに垣田裕暉選手(柏レイソル)、山田新選手(当時川崎フロンターレ、現セルティック)、大関友翔選手(川崎フロンターレ)、宮代大聖選手(ヴィッセル神戸)らに『ヨーロッパで有名な選手で誰が好きなの?」と聞いたらポコポコ名前が挙がりました。その名前が挙がった選手たちがもう(自分たちがいる舞台の)対象の選手なんだよと。そう言われて初めてハッと気持ちが切り替わった瞬間を僕自身は感じました。その名前が挙がった海外の選手たちは天上人で、自分たちはまだまだすごく下にいると思っていたのが、このグループはワールドカップ優勝を目指しているんだからその天上人に追いつけるように努力をしていかないといけないグループなんだぞ、と認識させられたかなという意味で、選手のメンタル的な向上は日々あるのではないかと感じました」
――長年日本代表を選手としてプレーしてきたからこそ、いま選手に還元していることはありますか。 「監督が仰ることや、やりたいサッカーの具現化を目指して、自分の語彙力と映像の力、それからピッチでのすり合わせがうまくいかなかったら結果が出ないんだなとアジアカップで痛い目をみました。この反省というのは最終的にはワールドカップ予選に大きく生きたのではないかと思うので、ポイントだったと思っています」
――アジアカップですり合わせが上手くいかなかった、というのはどういう部分でしょうか。 「一言で言うと『ここまで提示してしまって、あと2年どうするの?』と思っていました。例えばE-1の時であれば、全員が集まって初戦までに1日しかなく、そのあとは中3日、中2日の中で戦術練習ができるのは最初の初戦前の1日目を入れたとしても3日しかありません。さらに言えば韓国戦の前日はリカバリーの選手たちと一緒になる練習になってしまいます。そこで普段コアメンバーがやっていることを1から10まで提示して、韓国戦ですべてを発揮してさらけ出せ、と言ってもできません。そういう時間的な問題で、どう小出しにして提示したら、逆算した7月19日の決勝に合わせられるかというのをやってきたつもりが、アジアカップではいろいろありました。後に提示が少し早くなっている節があるのですが、今はそれを選手も理解してくれていて、ボスも今はその流れでいいよと言ってくれている段階です」
――日本代表に対する考え方の現役の時との違いはありますか。 「考えの違いはあまりないかなと思います。就任する前にポイチさんと2人で食事をさせてもらった時に、代表チームへの思いというのは自分も強かったので、就任する、しないは別として伝えさせてもらいました。ポイチさんの1期目やそれ以前も含めて、日本代表の試合を見逃したということはほとんど無かったですし、代表チームに対しての思いは人一倍強いと思っています。自分が現役選手の頃、選んでくださった加茂周監督やコーチの岡田武史さんはそこまで日本代表への思いを周りに伝えるような方々ではなかったのですが、柱谷哲二さんや井原正巳さんはやはり『ドーハの悲劇』を経験されていて、過去に暗黒の時代を過ごした日本代表がどれだけあって、今自分たちがきらびやかな舞台を用意してもらえているかというのを、まだ22歳の僕にちゃんと伝えてくれていました。それが後の中村俊輔や小野伸二、松井大輔や原口元気など、彼らのそういう思いが代々伝わっているのを感じると、爽快な気分になりますし、自分が言ってきたこと、やってきたことは良かったなと感じます。ただ、今それを選手に伝えているかどうかで言ったらボスが伝えているので、特段僕が言うことはありません。選手たちはもしかすると我々の時以上にそれを感じてやっているかもしれませんし、吉田麻也がドイツ戦の前のロッカーで話したように、今の選手たちも次の歴史を変えるのは自分たちだと肝に銘じていると思います。逆にその波に僕らも乗ろう、という気持ちかもしれません」
――世界のサッカーが進化する中で、自身への攻撃のアイディアのインプットはどうしていますか。 「欧州に現地視察へ行った際、日本人選手がいない試合でも自分が気になったチーム、システムを見ています。それを帰国してから映像でまた見て、いいと思ったものはそのまま映像で選手たちに落とし込んだりもします」
――日本代表コーチ就任の経緯を教えてください 「最初は、松本山雅FCの監督を解任されたあと、メディアの方が慰労会を開いてくれていた中、ボスから電話がありました。お酒も入っていたので最初は『何言ってるんですか!』と切ってしまったのですが次の日、改めてかけ直したところが始まりでした」
――日本代表コーチ就任にあたってはいろいろな思いがあったと思います。 「一番大きなポイントがあって、その内容は言えないのですが、そのポイントが合致しなかったら僕はやれないですよ、という話を先にポイチさんにしていました。その後、2人で食事をする機会を作っていただいて、12月の末に『その答えはどうですか』と聞いたきに、僕とまったく同じ答えでした。じゃあ、考えます、と。そこで初めて、考えることになりました」
――その合致したポイントはサッカーに関することですか。 「もちろん」
――最終的に決めた要因は、代表チームに携わる喜びが何にも代えがたいということでしょうか。 「それもそうですし、ボスの熱いラブコールに対して、そうです、と。自分が磐田を辞めたときも電話をくれて、その後空白の期間があり、当時北海道コンサドーレ札幌の監督だったミシャさん(ミハイロ・ペトロヴィッチ)のところで勉強をさせてもらっている時も、その様子をネットニュースで見られたポイチさんがすぐに電話をくれました。その時もすごくかわいがってもらっているなと感じましたし、日本代表の選手時代に加茂監督も『ポイチが名波の教育係だ』と言っていました。ポジションや人となりも含めて、そういう立ち位置にいてくれた方です。そういう人に声をかけてもらった恩義はすごく感じました。ただ、先ほども言いましたが、だいぶ考えて、考えに考えたうえでの決断でした。こういう話は相談できる人も本当に限られますし、なかなか難しい判断でした」
――いつから森保監督をボスと呼んでいるんですか。みんなボスと呼んでいるのでしょうか。 「いやいや、みんな『監督』と呼んでいます。僕だけポイチさんとか、ボスと言っています。選手に対してミーティングするときも『ボスも言っているけど』とか、『ポイチさんも言うけど』とか、自分は言っていますね。自分が監督のときも、『監督って呼ぶな』とコーチ陣には言っていました。選手たちも『監督」ではなくて『森保さん』と呼んでいますね」
――ご自身が参考にしている監督やクラブはありますか? 「戦術云々ではなく、チームビルディングとして面白い動画があったら参考にします。例えばモウリーニョの話、アルテタの話、あとはサウジのルナールの話とかは動画で見て、自分の中で『ああ、そういう考え方、わかるな』と考えますね。あとはリーダーシップ論を題した講演もたまにあるので、参考にさせてもらったりしています」
――攻撃の形、パターンは代表の中でどのように共通意識を持って取り組んでいますか。 「映像とグラウンドでの絵合わせはものすごく大事にしています。映像を抜き取るときも『本当にこれでいいのかな』と自問自答しながら、ちょっとアングルを変えたり、ちょっと幅を大きくしたり、こだわって『出し手と受け手だけの関係性じゃないよ』ということをなるべく伝えています。連動の中にはリスク管理もあるとか、そういう攻守一体のチーム作りをしているということを分かりやすくやっているつもりです。選手たちの理解力が高いのでゴールにつながっているのだと思います」
――日本代表コーチとして、最も充実していた試合と、良くなかった試合を挙げるとしたらどれでしょうか。 「充実した試合は、、、『無し』にしておこうかな。コーチとして反省材料がいっぱいというゲームは本当にたくさんあります。なぜあそこでこういうふうに言えなかったのか、動けなかったのか、というのは毎回感じています。ただ、メディアの皆さんがよく書いているように『ここをこうすれば良かった』という話は試合中にもボスと話していて、『それはここではやめておこう』や『何試合後かに使えるかもしれないね』というコミュニケーションは取れているので、敢えてやっていないこともあります。ただその前段のアプローチで僕自身や、齊藤俊秀コーチもそうかもしれませんが、それを言えていないというところ、うまく促せなかったというところは、反省材料として多々あります。それは終わった後にボスに『すみません、俺、あそこでああやって言えなかったので』と自分で本人に吐露して戒めています。足りない部分がそのままゲームに出てしまうことはありますね」
――監督へ言えなかった理由はどう捉えていますか。 「例えば記者の皆さんの立場で言うと、自分がとてつもなく好きなフレーズが浮かんだとして、どこかのタイミングでこれを使おうとメモしておくことがあると思います。でもそのメモ帳が10冊目、20冊目になった時には、もう忘れてしまいますよね。後々『このメモのどこかにこの時のためのフレーズを書いたな』と探すけど見つからない、そして書けない、となる。そうなると自分の今の実力や語彙力で勝負しようということになると思いますが、それと同じです。僕たちも色々なものを用意して、ボスはさらに色々なものを用意していますが、90分の最中に予定通りに動かないことが多々ある中で、僕たちが言わないといけないことがボス自身が考えていることと少し違うことがあっても、それがいいアドバイスになったり、ボスにいい刺激を与えることになるかもしれない。だからそれが出てこない時は、指導者として良くないと思いますよね。先ほども言いましたが、反省するゲームというのはほとんどがそういうゲームです。満足したゲームは1試合もないですし、点が入った瞬間はめちゃくちゃ喜んでいますが、過剰に納得した試合も基本的にないと思います」
――1998年、フランスワールドカップ初戦のアルゼンチン戦に出場して、来年またワールドカップという場所にベンチで迎えます。どんなふうに迎えるか、想像して考えることはありますか。 「今日一番の本音を言うと、それやばいですよね、心境的には。まさか自分がまたワールドカップ予選で国歌を聞けるなんて思ってもいませんでしたし。国歌斉唱のとき、ポイチさんいつも泣いているじゃないですか。僕の横で泣くの、ずるいんです(笑)。僕ももらいそうになるので、本当にぎりぎりで耐えています。そういう感情にいつもなっていますから、感慨深いという言葉では締めくくれないくらいの感覚ですね。だから来年のワールドカップ初戦はやばいと思います。ついに泣くかもしれない。1998年の当時はこんな未来は想像していませんからね」
――ワールドカップまで1年を切って、一番チームに落とし込みたいこと、やらなければいけないことは何でしょうか。 「やらなければならないことはたくさんありますが、一番を決めろというのはなかなか難しいです。ただ、選手に対しての注文として、やってきてほしいことはあります。それは試合に出続けて、本大会を迎えてほしいということ。移籍先とかで苦しんでいる選手、スタメンで出られなくて苦しんでいる選手もいますが、その苦しさ、悔しさを代表の試合で発散する時代ではありません。昔はそうだったかもしれませんが、今はもうそういう時代ではないので、試合に出続けた選手が称号を得られると思っています。そういう選手に対して、いいアプローチをしたいなとは感じています」
――世界一を目標に掲げて、改めて思うことはありますか。 「目標を掲げて、組織自体や組織を取り巻く多くの方々も含めて、全員が同じ方向を向かなければいけません。日本はまだまだサッカー発展途上国だと自他ともに感じているので、難しさの方が大きくなる中でも、矢印は同じ方向に向いていかないといけない。その中で自分に何ができるかと言ったら、本当に微力かもしれませんが、チームに『自分たちは間違っていない』という自信をつけさせる、そういう方向性に導ければいいなと思います。最大限にボスをサポートすることが、自分の限りなく大きな使命だと思うので、ボスが気持ちよくサッカーと代表チームと向き合えるように今後も後方支援したいなと思います」
――世界一を目指す日本代表に改めて関わるということに特別な思いはありますか。 「こういう立ち位置にいさせてもらっていることに感謝しながら、突き進めたらいいと思います」
――攻撃のコーチとしてチームに関わっている中で、9月にFIFAランキングが近いメキシコ、アメリカと試合があります。どういうものをテストして、どのようなものを見たいですか。 「今年に入ってから、3月、6月シリーズでも選手たちにはアプローチしています。ここ1年以上、アジアの国としか試合をしていない中で、この2カ国と対戦できるのはものすごく財産になると思います。自分たちの現状が分かるだろうし、ワールドカップ本大会の開催地、もしくは開催エリアを感じながら試合を行えるのでネガティブ要素はないと感じています。アメリカとメキシコに対しての気持ちというよりも、別大陸の国とアウェイで試合ができる意味は半年前から選手たちも強く感じていると思います。特に3月シリーズから呼ばれていないとか、怪我で外れている選手などは、この9月シリーズをものすごく楽しみにしていると思います。言葉が合っているか分かりませんが、いろいろな『付加価値』がついてくるような2試合になるのではないかと思います」