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【ワールドカップを戦った男たち#第2回】中山雅史 前編
2018年06月17日
それは日本サッカーの未来をつなぐ、希望のゴールだった。
日本が初めてワールドカップの舞台に立った1998年フランス大会。グループステージ2連敗で敗退が決まった中、リヨンでの第3戦ジャマイカ戦を迎えた。0-2とリードを許した後半、3戦目にして日本の初ゴールは生まれた。本大会51本目のシュートであった。
相馬直樹のクロスに呂比須ワグナーが頭で折り返し、飛び込んだ中山雅史が〝太腿ボレー〟で反撃の狼煙を上げる。しかし追い上げむなしく、日本は勝点を得ることなく3戦全敗で終えた。
中山は勝利のために90分間、戦い抜き、走り抜いた。試合後に右足腓骨骨折が判明する。その魂のプレー、魂のゴールの背景にあったもの、中山雅史にとってのフランス大会とは――。
このとき、中山さんは30歳。ワールドカップ出場を寸前で逃がした〝ドーハの悲劇〟、アジア第3代表決定戦を制した〝ジョホールバルの歓喜〟を経験して、待ち焦がれた本大会のピッチに立った。
6月14日、グループステージ初戦のアルゼンチン戦、会場はスタッド・トゥールーズ。城彰二との2トップで先発した中山さんに、特別な感慨はなかったという。
「スタンドには日本のサポーターがたくさんいて、国内のゲームとそんなに大差ないんじゃないかっていうぐらい、凄くいい雰囲気をつくってくれていましたから。もっとそういう感慨がブワーって来るのかなと思ったけど、意外と冷静な自分がいました」
プレーに集中はできていた。しかしながら〝よそ行き〟になっていることに気づかされる。ポストプレーでボールを胸で落とすイメージを持ちながらも、頭で落とそうとしてミスになった場面もあった。
「安全に、正確にやろうと思ったことが逆に裏目に出てしまっていました。結局、自分のやろうとしたプレーができていなかった」
決して浮き足立っていたわけではなかった。しかし強敵アルゼンチンを相手に「やりたいことをやれない」「やらせてもらえない」感覚を強く持った。
「日本のコーナーキックでも、僕がグッといこうとした瞬間に相手が当たってくる。その一瞬で、タイミングがずらされる。いくらテストマッチはやってきたとはいっても、世界との真剣勝負は初めて。何もできなかったっていう悔しさしか残らなかったですね」
ガブリエル・バティストゥータに奪われた1点が大きくのしかかり、0-1で敗れた。後半途中で交代した中山さんは、自分のパフォーマンスに納得がいかなかった。己の心に問いかけた、どうして自分のプレーができなかったのか、を。
ふと試合前の出来事が彼の頭をよぎったという。中山さんはこう明かす。
「ベースキャンプ地のエクスレバンで、ワールドカップの試合をみんなで見ていると、結構滑っているなって。(試合会場のスタジアムで行われた)前日練習でポイント式と固定式のスパイクを両方試していて、固定でやれるなと思ったんです。でも(試合当日の)ウォーミングアップでバティストゥータがポイント式を使っていたのが見えたので『バティがポイントなら、俺もそうしよう』って切り替えた。試合を振り返ったときに思ったんです。ああ、あの時点で自分は負けていたんだなって。だから自分の感覚に従って、グループステージの残り2試合は固定式を使ったんです」
気持ちで負けていた。
もう一度、自分の心にネジを巻いていくしかない。固定式のスパイクには、そのような意味がこめられていた。
2戦目の相手は、タレントぞろいのクロアチア。第1戦と同じ14時半のキックオフ、ナントは気温30度を超えていた。省エネを心掛ける相手に対して日本は積極的に前に出ていった。
前半39分だった。日本に千載一遇のチャンスが訪れた。
守備の連係でボールを奪い取った中田英寿がドリブルで駆け上がり、それに合わせて中山さんはセンターバックの視界から消えるようにペナルティーエリア正面のスペースに入っていく。
中田から絶妙なクロスが届き、右太ももでトラップ。足元に収める。しかし右足でしっかり捕らえたボール、シュートは前に出てきたGKに左腕で弾かれてしまう。中山さんはピッチを両手で叩いて悔しがった。のどから手が出るほどほしいゴールを奪えず、日本はまたしても0-1で敗れた。
「あの時点の僕の精いっぱいのプレーだったとは思います。ヒデから来たボールを右ももアウトサイドでトラップして置く場所、その流れから右足でしっかりとボールを捕らえて打つタイミングも、すべてイメージどおりでした。ひょっとすると、頭に描いたとおりだったから(相手のGKに読まれて)決まらなかったのかもしれない。あれがだふっていたら、とも思いましたよ」
中山さんは再び自問自答したという。当時を思い起こし、その口調は一気に熱を帯びる。
「あのときの僕に何か、やれる余地はなかったのかと。相手は弾いているけれども、その力よりも上回る威力で蹴ることができていたら。また、GKの手が届かないだけの威力で蹴ることができていたらって」
トラップも、置く場所も、シュートもすべてイメージどおり。自分らしいプレーだった。しかしもう1つ、相手を、自分を上回らなければワールドカップの舞台でゴールが生まれないことを痛感させられた。ワールドカップは簡単じゃない。だからこそやり甲斐を感じていた。
そして迎えた3戦目、2敗同士の対決となったジャマイカ戦もセオドア・ウィットモアに2ゴールを決められ、リードを許す苦しい展開となっていた。
第1戦、第2戦とワールドカップの実戦を通じて得た教訓を、このジャマイカ戦で活かさなければならなかった。チームも、中山さん自身も。
クロスから呂比須の折り返しに、飛び込んだ。みんなで奪った1点だった。しかし同点に追いつくことはできなかった。
「0-2からの1点だったんで、喜ぶ気持ちにはなりませんよね。もう1点という気持ちでやっていましたから」
試合後のシャワールームで井原正巳と顔を合わせた。
「この舞台に、もう1回立ちたい」
同じ年のチームメートに、中山さんは強い決意を口にした。このままで終わるわけにはいかなかった。
「ちっとも満足することなく、帰国しました。すぐ終わってしまったなっていう感覚。ワールドカップのピッチにもう1回立ちたいって思うようになったんです」
3戦全敗に終わった、はじめてのワールドカップ。悔しさと同時に、次のチャレンジに向かおうとする熱がこみ上げていた。
反撃のストーリーが、始まろうとしていた。