日本代表選手は、どのような少年時代を過ごしてきたのか。ロシアワールドカップ・アジア最終予選を戦う選手たちの成長の過程を、恩師の言葉によって振り返っていく新連載。第1回は久保裕也選手(KAAヘント)の京都サンガF.C. U-18時代にスポットを当てる。当時の監督である本田将也さん(現京都サンガF.C.チーム強化本部育成部部長)に話を伺った。
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もともと京都でプロ選手として活動していた本田さんは、1999年に引退後、京都で育成の仕事に携わっていた。いったん育成から離れ、トップチームのマネージャーを務めていた2009年の春、U-18に山口の中学校からすごい選手が加わることを耳にした。
いずれ育成現場に復帰することを考えていた本田さんは、その選手がU-18のトレーニングに参加することを聞きつけ、練習を見に行くと、とてつもない衝撃を受けたという。
「見た瞬間、これはすごいなと。右足も左足も同じように蹴れるし、なによりシュートする際の膝から下の振りが早かった。当時から裕也は、今みたいなゴールハンターの要素を備えていましたね」
原川力選手(現サガン鳥栖)らとともに、2009年に京都U-18に加わった久保選手は、当初からインパクトのあるプレーを見せていた。4月に行われたプリンスリーグ関西のガンバ大阪ユース戦。新チームの公式戦初戦となるこの試合で、久保選手はいきなりハットトリックを達成したのだ。
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「今でこそ、ガンバさんとは切磋琢磨するような状況にはなってきていますけど、当時はガンバに追いつけ、追い越せとやっていた時代。そんな格上のチームから、いきなりハットトリックをしてしまったんです。僕自身は直接その試合を見ることができませんでしたが、その話を聞いたときは本当に驚きました」
本田さんが久保選手を直接指導するようになったのは、本田さんがU-18の監督に就任した2010年の時。2年生になった久保選手をはじめ、のちに11人がプロ選手となった黄金世代とも呼べるチームだった。
そのなかでも久保選手は、抜きん出た存在感を放っていたという。本田さんの久保選手に対する印象は「頑固」だった。
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「いい意味でも悪い意味でも頑固でしたね。自分の考えを曲げないんです。例えばこんなことがありました。週1回オフがあるんですけど、その日は完全に休養させるために、グラウンドを開放しないんです。でも彼は練習したくてしょうがないから開けてくれと言ってくる。絶対開けないと言っても、なかなか言うことを聞かない(笑)。結局彼は、近くに公園を見つけてそこでボールを蹴っていたみたいですが、サッカーに対する情熱を人一倍持っていたと思います」
京都は、真の文武両道を兼ね備えた世界的トップアスリートの育成を目的に『スカラーアスリートプロジェクト』というものを立ち上げている。U-18の選手は全員が寮生活を送り、近くの立命館宇治高と連携して、サッカーだけでなく、勉強や人間形成にも力を入れている。例えば学校のテストの点数が悪ければ、補習を受ける必要があり、練習には参加できないこともあるという。そういうルールがあるものの、久保選手が補習を受けた記憶は本田さんにはないそうだ。
「裕也が補習で練習に来れなかったことはないんじゃないですかね。もともと頭がいいのかもしれないですけど、なによりサッカーの練習時間を削られてしまうというのが彼にとっては一番の苦痛だったと思います。サッカーをしたいから、勉強を頑張るというモチベーションが良いか悪いかは分からないですけど(笑)、そういう意味では、きっちりとした学校生活を送っていました」
本田さんはU-18の選手たちに、サッカーノートを書くことを義務付けていた。仲間と過ごす寮生活では、自分が置かれた状況から逃げてしまう危険性がある。だから、日々、サッカーノートに考えを記すことで、自分と向き合う時間を持ってほしいという想いからだった。
そのサッカーノートの書き方も久保選手は独特だった。
「ポケットサイズくらいの手帳なんですけど、彼は余白がないくらいに、ぎっしりと書き込んでいましたね。『今日のトレーニングでは、シュートを決められなかった。こんなストライカーでは仲間から信頼してもらえない』とか。日々の想いを、本当に1ページが埋まってしまうくらいに書き連ねていました。それを毎日、365日ですからね。1週間に一度、提出させていたんですが、読むほうも大変なくらい。他の選手はだいたい余白があるので、そこにコメントを書いていたんですけど、裕也の場合は余白がないのでハンコだけ押して返していました(笑)」
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サッカーが上手くなりたい――。その情熱だけが、久保選手のすべての行動の源となっていた。
寮生活では、コンディションを整えるために、様々なルールが設けられていた。練習後、30分以内に夕食を取ることや、ストレッチの徹底、睡眠は8時間以上取ることなど。一見、簡単に思えるが、まだ自己管理もままならない高校生にとっては決して容易なミッションではないだろう。しかし、久保選手は、ごく当然のようにこのルールを実践していたという。
「裕也はそれが当たり前というか、こっちから何か言わなくても普通にやっていましたね。高校生でありながら、プロ意識が高かった。当時、彼にはイタリアに行きたいという想いがあったんですが、その目標に向かって、毎日を積み上げているという感じでした」
サッカーが上手くなるために何をすべきかを理解し、それを実践に移せる。まさにストイックという言葉が当てはまる生活を、ユース時代の久保選手は過ごしていた。