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日本代表監督リレーインタビュー 第5回 フットサル日本代表 ブルーノ・ガルシア監督「最善のドクターは自分の頭」

2020年05月03日

日本代表監督リレーインタビュー 第5回 フットサル日本代表 ブルーノ・ガルシア監督「最善のドクターは自分の頭」

日本代表チームは新型コロナウイルスの感染拡大防止のために多くのサッカーやスポーツの現場同様に活動の自粛を余儀なくされています。選手の皆さんと同様にStay homeを続ける各カテゴリーの代表監督に今回はサッカーに対する思いや、苦難を乗り切ってきた経験、夢の大切さなど、話を聞きました。

第5回はフットサル日本代表のブルーノ・ガルシア監督です。

柔道とフットサルとサッカー

私のフットボールとの出会いは、最初はフットサルでした。小学校に上がった6歳の時に学校でボールを蹴り始めて、そして学校以外にもスポーツクラブでスポーツに取り組む環境もあり、その両方をほぼ同時にスタートさせたのがきっかけです。その2ヶ所でフットサルを続けて、その後12歳になってからサッカーを始めました。そこからサッカーとフットサルの両方に取り組むという時期に入るのですが、実はそれ以前の4歳の頃(自分は5歳だと思っていたのですが、実は4歳だったと本当に最近母に聞きました!)に柔道との出会いがあったんです。母親に手を引かれて通っていた幼稚園までの道中に柔道教室があり、それにとても興味を持った私を見て母も興味を持ったようで、それならと中を覗きました。小柄な私が食いつくように見ていたところに柔道の先生が「試しにやってみないか」と言ってくれたのが始まりです。
ですので、12歳からは柔道、フットサル、サッカーという3つのスポーツに取り組んでいました。その後16歳になると、いわゆるハイパフォーマンスの世界への入り口ということでスポーツを取捨選択するタイミングが訪れます。さて、どのスポーツを選ぶかというところで、先生、師匠、そして自分の内なる声に耳を傾けて選んだのは柔道でした。その背景には、全国大会でもいい成績を修めてきていたということもあって、より高みを目指すのであれば柔道であろうということで、18歳、19歳くらいまで専門的に取り組みました。

いつも背中にリュックと両親の教え

子供の頃の自分の印象を振り返ると、私はいつもリュックを背負っていましたね(笑)そこに柔道着を入れたり、フットサルシューズやサッカースパイクを入れたり、そしてもちろん学校の教科書があったりと、中身を入れ替えて色んな所に行ってました。基本的にスポーツは大好きで、遊びでも体育の授業でも、楽しんでやっていましたね。思い返してみると、自分は競争心が旺盛で、向上心が強い方だったかなと思います。引き分けるよりは勝ちたいと思っていたので、負けず嫌いな感覚が自分のベースとしてあったんだなと。
自分にとって一番大きく感謝しているのはなんと言っても家族の教えです。柔道の先生にもフットサルやサッカーのコーチにも色々なことを教わりましたが、自分の教育の基盤はやはり家族だったと思います。両親には「良き仲間、先生の言うことは聞きなさい」「教えてくれているコーチにはきちんとした態度で接しなさい」と教わり、そうしたリスペクトの基盤はいつも家族がもたらしてくれたものです。加えて、スポーツで言えば、個人スポーツとチームスポーツの両方を同時に味わうことができ、両方の視点を持つことができたことも非常に大きかったですし、幸運でした。個人競技の柔道では、勝利のために自分がすべきことを追求し続けるという、先ほど話した競争心や向上心に繋がっていましたし、チームスポーツであるフットサルやサッカーは、チームメイトと力を合わせて取り組むことの素晴らしさを学ばせてくれました。
柔道の教える道徳や価値観というものはスペインでは一般的ではありません。日本に来て、「道」の精神は日本人のベースになっているんだなと改めて感じていますが、それを幼少期に感じながら育ったのは特に大きかったと感じています。

アイドルではなく「恩師」の存在

自分には“アイドル”という概念はありません。誰かに憧れる、崇拝するという感覚は元々持っていないんです。もちろん目標となる人がいたり、ドキュメンタリーでそういう人たちの背景や歩みに興味を持ったり、本で読んだりということはありますが、“アイドル”ではないし、影響を受けたというほどでもありません。
影響を受けた人という点においては、私には主に3つのカテゴリーの「恩師」がいます。先ほどお話したように、まずは私の両親です。自分のベースを作ってくれた教育の根本であり、自身の礎になっているものを与えてくれた、もしかしたら唯一アイドルと呼べる存在かもしれません。もう1つのカテゴリーは柔道の先生です。当時からも非常に良くしてくださり、その後も現在に至るまでいい関係が続いている方です。サッカーやフットサルの場合、年代ごとに指導者が変わるので恩師、恩人という方はたくさんいますが、柔道に関して言えば私は1人の先生の下で育ちました。その先生とは東京オリンピックを一緒に見に行く約束をしているくらいの仲です。そして最後に、サッカー、フットサルで教えを授けてくださったすべてのコーチ、指導者の方々。その3つが、自分が大きく影響を受けた恩師としてカテゴライズされます。
毎年クリスマスの時期にスペインに戻りますと、もちろん家族と過ごす時間がありますが、その他に地元の恩師や友人に会う時間も必ず作っています。それが柔道の先生や、サッカーやフットサルでお世話になった皆さんと会う機会であり、そのタイミングで3つのカテゴリーの恩師たちに会うことを定例にすることができています。毎年クリスマスの時期は、私が影響を受けた皆さんとお会いできるという非常にハッピーな時間なんです。

次の夢、そしてさらに次の夢へ

柔道ではオリンピック、サッカーやフットサルではワールドカップ、これら2つの可能性を見据え、目標として掲げながらそれぞれの競技に取り組み、冒頭お話したように、一つに絞って本格的に目指すとなったときに柔道を選ぶことになります。「夢に日付をつけると目標になる」と言われますが、自分もその理解をしていた中で、1996年のアトランタオリンピックがちょうどターゲットになる世代でした。スペインにはオリンピックを目指す選手に対して国から助成金が出るという、いわゆるプロとして取り組むことのできる環境が与えられるシステムがあります。自分も19歳、20歳の頃には国際大会に出場するレベルにあり、ちょうどその助成を受けながらアトランタを目指せそうだというタイミングで、肩を怪我してしまったんです。
元々私は背が低く、柔道の技でいうと双手刈りや一本背負いのような、組んで掴んだところからの技を得意としていたのですが、その怪我が原因でそれまでの自分の強みだったり、勝利してきたスタイルの変更を余儀なくされました。難しい手術をしてなんとか続けられたものの、再び痛めるようなことがあれば今度は学業も続けられない状況になるかもしれないと言われました。そうした状況や将来のことを考えた時に、大学はやめるべきではないし、そんな状況にはなりたくないと思い、自分のマインドをパッと切り替えました。柔道ではなく、もう1つの夢の方に目を向けることにしたのです。そこからフットサルの世界に戻り、選手生活を再開し、かなり頑張ったこともあってプロレベルでプレーできるまでになるのですが、レベルは低くはないといえ、スペイン代表選手になってワールドカップを目指せるかというと、それは無理だと自分でも判断できました。それならばと、早い段階で指導者への転向を図り、指導者としてワールドカップを目指そうと再び切り替えたのです。このように、私の人生にはターニングポイントがポンポンと続いていった背景がありました。

最善のドクターは自分の頭

肩の怪我は、難しい手術を余儀なくされたものでした。困難な時期を味わったのは間違いありません。怪我というものはスポーツの素晴らしさの反面にある苦味です。特に、ハイパフォーマンスの世界に向かってレベルが上がるほど避け難いものです。怪我をしたとき、自分も最初は「なんでこんなことが自分に」という苦しみを覚え、挫折感を味わったものです。しかし、自分を育ててくれた価値観や教えのおかげで、いいことからも悪いことからも何かを学ぼうという姿勢を持つことができ、救われました。どうにもならないようなことが起きたり、酷い目にあったときは、まず自分の手の中にあるもの、自分の意思でどうにかなるものに集中しようという考えに行き着いたんです。これは監督として選手たちにも伝えていることです。周りで何が起きていても、自分でコントロールできることをやりきることが最善であり、それによって次のステップに行けると信じることができます。起きてしまったことや周りのことはさて置き、自分は自分が決断したことを実行できるんだということに集中することで苦難を切り抜けてきました。
「最善のドクターは自分の頭だ」といつも言っていますが、これはまさに今の世の中の状況に活かせる考え方だと思います。異様な、異常な事態でどうにもならないと、皆さんきっと無力感に苛まれていることでしょう。専門的な対策や国の政策というのは私たちがどうにかできるものではありません。自分のコントロール外のことです。しかし、例えば家を出ないとか、モノを買い占めないとか、自分を助けるために隣人の苦しみを忘れるのではなく、良き自分であるための価値観を発揮する行動こそが大事なのです。多くの方々の想い、善意、知性、道徳心、そういったものを振り絞れば、きっとそう長くなくこの状況は抜け出せるだろうと信じています。ポジティブなマインドを持って日常を過ごすことが今の私たちにできることであり、そのためにはお互いに助け合うマインドを持ちながら生活することがすごく大事だと思います。また自分は、そうして過ごした時間のあと、状況が戻った時にはこれまでよりもっと強くなって戻れるのではないかとも思っています。この困難な状況で得た時間、その間に苦しい、辛いということに加えて、多くのことを考えるようになったと思うのです。色々なことを考え、色々なものの大切さに目を向け、自分を振り返る。様々なものに対してありがたみが湧いたはずです。場、環境、人、仲間といった大切なもののありがたみを改めて感じ直し、再び元の状態、すなわち自由に活動ができる状態に戻った時にはまた強くなっているはずです。その時が戻ることを楽しみにするくらいの気持ちで、今はポジティブなマインド、助け合いのマインドを持ちながら過ごしたいと思います。皆さん、力を合わせて頑張りましょう。

第6回は、U-17日本女子代表の狩野倫久監督です。弟さんがFリーグの元選手で、現在は指導者としてバサジィ大分でコーチをされているそうで、フットサルとのご縁も感じますね!

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