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日本代表 背番号の“継承” ~ワールドカップと背番号の変遷 中編~

2022年09月22日

日本代表 背番号の“継承” ~ワールドカップと背番号の変遷 中編~

前編「背番号の歴史」はこちら
後編「背番号の歴史」はこちら

南アフリカ大会で脚光を浴びた一人である長谷部誠は【17番】を背負い、26歳で出場する初めてのワールドカップをキャプテンとして迎え、そこから2014年、2018年と3大会連続でキャプテンマークを巻いて日本を支えていくことになる。
それまでも【17番】は秋田豊、宮本恒靖、稲本潤一と、その大会の中心的な選手が背負ってきた。

日本代表はこれまでワールドカップで21試合を戦っているが、そのうち20試合で【17番】がピッチに立っており、日本代表として最もピッチに立ってきた背番号が【17番】だ。ただ、役割やポジションなどでの共通点はなく、強いて言えば、秋田と長谷部が所属クラブで【17番】を背負っていたことくらいで、各大会で各選手が積み上げてきたことによって生まれた「日本代表の伝統ある背番号」なのかもしれない。

日本代表における背番号の傾向として11番まではポジションでおおよそイメージの付くケースは多いが、12番以降は所属クラブで付けていた番号をそのまま付けるケースも少なくない。

しかし、2014年のブラジル大会から【22番】を背負うことになる吉田麻也の理由は異なる。吉田は2011年のアジアカップで日本代表に初招集され、チームの優勝に貢献。この大会でのプレーがアルベルト・ザッケローニ監督に認められ、日本代表に定着していった。
それまで【22番】を付けていた中澤佑二とちょうど入れ替わるような形で代表入りした吉田だったが、実はずっと中澤に憧れて背中を追いかけてきたという。吉田にとって日本代表での中澤は特別な存在で、同じセンターバックとして同じ【22番】を付けることが、この上ない光栄であるようだ。

この中澤から吉田の【22番】のケースのように、もともとそのポジションに紐付くイメージではなくても、過去に日本代表で背負った選手に対する憧れから“継承”に繋がることもある。

“継承”と言えば、2014年のブラジル大会、2018年のロシア大会で香川真司が背負った【10番】も印象深い。2010年の南アフリカ大会ではメンバー入りできなかった香川だが、セレッソ大阪からドイツのボルシア・ドルトムントに移籍して、大きな飛躍を果たしていく。ブラジル大会では日本がグループリーグで敗退したこともあり、大きなインパクトを残せなかったが、そのリベンジを果たすことになる4年後のロシア大会までのストーリーを知るファンにとって香川の【10番】は印象深く、また、ロシア大会以降【10番】を“継承”しているのがセレッソ大阪の後輩にあたる南野拓実であることも、とりわけセレッソ大阪のファン・サポーターにとっては印象深いのではないだろうか。

一方、独自のイメージを開拓していったのが本田圭佑だ。
自身初めてのワールドカップとなった南アフリカ大会では【18番】を付けた本田だが、ブラジル大会では【4番】を背負った。2012年のキリンチャレンジカップ・アゼルバイジャン代表戦後、与えられた番号ではなく、好きな番号を付けたかったという理由から【4番】を選んだことを明かしている。
【4番】というと、1998年フランス大会の井原正巳にはじまり、森岡隆三、田中マルクス闘莉王と、ディフェンスの要になる選手が付けることが多かった。しかし、本田によってそのイメージは一変したと言えるだろう。

もっともディフェンスの選手以外で【4番】を付けてワールドカップに挑んだ初の選手は本田ではなく、2006年ドイツ大会の遠藤保仁だ。ただ当時の遠藤はワールドカップのピッチに立つことはなく、中心選手として出場した2010年、2014年の2大会では【7番】を背負った。
この【7番】はドイツ大会を最後に現役引退した中田英寿が背負っていたこともあり、ドイツ大会後に日本の中盤の中心選手となる遠藤によって、「日本代表の中盤の主軸」が背負う番号として“継承”されたような印象を持つファンは多いのではないだろうか。

【7番】というと背番号の歴史や世界のトレンド的に、右ウイングや右サイドアタッカーが付ける傾向にあるが、その意味で日本は少し特殊かもしれない。2018年のロシア大会では全4試合に出場した柴崎岳が【7番】を背負っており、やはり彼もサイドの選手というよりは「中盤の主軸」として“継承”した印象だろう。

その他に“継承”として印象的なのは2014年ブラジル大会の内田篤人の【2番】だ。【6番】を背負いながら本大会出場に貢献するも、南アフリカの地ではピッチを踏むことなく悔しい思いをした内田。鹿島アントラーズの大先輩である名良橋晃が1998年フランス大会で背負った【2番】を、同じ右サイドバックとして背負ってブラジルの地で躍動したのは感慨深いエピソードだろう。

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