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相手GKに走り寄ったGK ~いつも心にリスペクト Vol.146~
2025年07月24日
目を疑いました。ガンバ大阪のGK一森純選手が、100メートル近く離れた相手チーム浦和レッズのペナルティーエリアまで走ったのです。
5月6日に埼玉スタジアム2002で行われたJ1リーグ第15節の「浦和×G大阪」。ここまで5連勝の浦和、2連勝のG大阪。好調同士の好試合が期待されました。
しかし開始早々に大きなアクシデントが起きます。
ジャンプしてクロスをキャッチした浦和GK西川周作選手が、プレー後、左足を気にして伸ばす動作を見せたのです。試合を止めてもらい、チームドクターを呼んで状況を伝え、一度はプレーに戻った西川選手でしたが、1分もしないうちに再び座り込み、交代を求めました。小屋幸栄主審は即座にドクターと担架を呼びます。西川選手の動作から、左足の太もも裏側の筋肉の故障であることは明らかでした。
浦和の選手たちが次々に走り寄り、無念そうな表情の西川選手を励まします。西川選手が「自分で歩いて出る」と話したのでしょう。担架要員が離れると、入れ違いにやってきたのはG大阪のキャプテン、FWの宇佐美貴史選手でした。そしてそれを追うように、黄色いユニフォームを着たG大阪のGK一森選手が走ってきたのです。
一森選手が走り始めたとき、私は、この中断を利用して味方選手と何か打ち合わせをしようとしているのかと思いました。しかし彼はそのままハーフウェーラインを越え、浦和のペナルティーエリアに入って、座り込んだままの西川選手のところまでいったのです。そして西川選手の背に左手を置きながら何か話しました。
やがて宇佐美選手が西川選手と握手してその場を離れ、自分で立ち上がった西川選手は、自陣に戻る一森選手の背中を「ありがとう」とでも言うようにたたきました。
1986年生まれの38歳。西川選手はこの試合がJ1出場639試合目。歴代2位、現役選手最多の出場数を誇る名GKです。大分県宇佐市出身、大分トリニータのU-18からプロになり、サンフレッチェ広島を経て2014年に浦和に移籍、J1での活躍は、21シーズン目にもなります。
一方の一森選手は、1991年生まれの33歳。セレッソ大阪のU-18出身ですが、18歳でJ1クラブのレギュラーとなった西川選手とは対照的に、関西学院大学を経て日本フットボールリーグのレノファ山口に加入、チームのJ3昇格、そしてJ3優勝とJ2昇格に貢献した後、2020年にJ1のG大阪に移籍しました。しかしなかなか出番がなく、23年には横浜F・マリノスに1年間の期限付き移籍。ここでの活躍を評価され、翌24年、ようやくG大阪でレギュラーのGKとなりました。
試合後、一森選手は思いがけないことを話してくれました。
2年前、一森選手が横浜FMでプレーしていたとき、埼玉スタジアムでの浦和戦に出場し、脳振盪の疑いで後半に交代を余儀なくされました。身をていしてピンチを防いだときに倒れ、数分プレーしましたが再びふらついたのです。
一森選手が担架で運ばれるタイミングで飲水タイムとなったのですが、そのときに西川選手が寄ってきて声をかけてくれたといいます。そして西川選手は、試合後にもわざわざ一森選手を力づけにきてくれたというのです。
頭を打ったときの一森選手のプレーは勇敢そのもので、その飛び込みがなければ横浜FMの失点は必至でした。西川選手は同じGKとして一森選手の好守を称え、早い回復を祈ったのです。
一森選手はそのときのことをよく覚えていました。そして西川選手が自分と同じように一度プレーしてから再び座り込んだとき、「あのとき」の自分を見るような思いがして、知らないうちに走り出していたのです。
試合は後半にG大阪が1点を奪い、1-0の勝利。大黒柱の西川選手を失ったことで、浦和の選手たちに大きな動揺があったのは間違いありません。
幸いなことに西川選手は軽症で、1試合を休んだだけで11日後のFC東京戦でピッチに戻り、浦和に勝利をもたらしました。
寄稿:大住良之(サッカージャーナリスト)
※このコラムは、公益財団法人日本サッカー協会機関誌『JFAnews』2025年6月号より転載しています。
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