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日本サッカー殿堂

掲額者

竹内 悌三TAKEUCHI Teizo
特別選考 2006年第2回日本サッカー殿堂入り
竹内 悌三
1908年11月6日 東京都生まれ

東京帝国大学卒業
東京府立第五中学校(現都立小石川高校)でサッカーをはじめ、浦和高等学校、東京帝国大学でプレー。帝大では竹腰重丸氏の後継者としてセンターハーフで活躍し、帝大の黄金時代を築いた。

その後ディフェンダーに転向し、1930年の第9回極東選手権大会(東京)で国際舞台を踏む。フィリピンを破り、決勝で中華民国と3-3で引き分け、優勝を分け合った。
1936年第11回オリンピック競技大会(ベルリン)では主将。入村式では旗手の重責を担った。1930年の極東大会制覇の唯一の経験者でもあり、チームからの信頼も厚く、また、3FB制という新技術に対する優れた理解力と実行力で優勝候補の一角、スウェーデンを破る快挙に大きく貢献した。
オリンピック後は、単身ヨーロッパ各地を訪ね、現地のサッカー事情をJFAへ報告、世界の最新情報を提供することで日本のサッカーの技術向上に貢献した。

JFA代議員、関東協会理事、第12回オリンピック競技大会(幻の東京オリンピック)蹴球準備委員会審判部次長・技術部委員をつとめ、技術指導、審判育成に力を注いだ。
1946年4月12日、シベリア抑留中に病没

竹内 悌三

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