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【中村憲剛の教えてファミリー】サッカー以外の視点を作ることも大事~植木理子選手のご両親インタビュー
2022年08月24日
日本代表まで登り詰める選手はどのような幼少期を過ごしてきたのでしょうか。JFAロールモデルコーチとして育成年代に関わり、昨年4月、登録制度改革本部のJFA Growth Strategist(JFAグロース・ストラテジスト)にも就任した中村憲剛氏の発案により、トップレベルの選手のご両親へのインタビューを実施しました。第二回はなでしこジャパン(日本女子代表)として活躍する植木理子選手(日テレ・東京ヴェルディベレーザ)の父・修さんと母・由紀子さんにご登場いただきました。
○オンライン取材日:2022年6月22日
憲剛 植木選手がサッカーを始めたのは何歳の頃ですか?
修 小学5年生です。AC等々力というクラブチームで始めました。
憲剛 今の子どもたちを考えるとけっこう遅い印象なんですけど、それまでは習い事はしていたんですか?
修 小さい頃から体を動かすことが好きな子ではありました。3歳で水泳を始め、その後ドッジボールやテニスをやりましたし、私が高校まで野球をしていたので、公園でキャッチボールなどもしていました。
憲剛 運動が得意なのかな、と感じた瞬間はありますか?
由紀子 幼稚園の年少さんの頃だったと思いますが、担任の先生が私のところに来て「お母さん、理子ちゃん、逆上がりができたんですよ! 帰ったら褒めてあげてください!」と言われて。逆上がりって小学校に入ってから練習するぐらいのイメージだったのですが、ある日、突然できてしまったらしいです。
憲剛 幼稚園児でなかなかできるものではないですよね。3歳から水泳を始めたのが大きかったかもしれないですね。いろいろな運動をする中で、サッカーを始めたきっかけは?
修 小学校で昼休みなどに友だちとサッカーをしていたのが楽しかったらしく、「サッカーをやりたい」と言い始めて。当時はテニスと水泳をやっていて、テニスは選手育成コースの方向に進んでいたので、コーチにはすごく残念がられました。その後、地域のチームの練習会に参加させてもらったんですけど、女子の受け入れに慣れていない様子で断念。半年ぐらい停滞し、その間に川崎市のタウンニュース(情報誌)にAC等々力の練習会の告知が入っていたのを妻が見つけて連絡しました。今はAC等々力マーメイドという小学生女子チームがあるのですが、当時はまだなかったので、女子の中学生チームで練習することになりました。
憲剛 初心者で中学生と一緒だと、苦労もあったんじゃないですか?
修 苦労していた記憶はあまりなく、楽しくやっていた気がします。年上のお姉さんたちにかわいがっていただいていましたし、初心者ながらわりとできていたので、試合にも出させてもらっていました。
憲剛 ご両親からアドバイスすることはありましたか?
修 サッカーの知識がないので何もできなかったですし、当時AC等々力にいらっしゃった吉本宏美コーチという方が元なでしこリーグ選手で、理子も私たちもすごく信頼していたので、親が何かを言う必要はありませんでした。
憲剛 その頃の植木選手はどのような夢や目標を持っていたのでしょうか。
修 漠然とですが、なでしこリーグの選手になりたいと思っていたようです。吉本コーチへの憧れが強かったので、サッカーを始めた頃から選手になりたいと思っていたようですし、2011年のFIFA女子ワールドカップでなでしこジャパンが優勝した時は、夏休みの自由課題で優勝の記事を模造紙2枚に書いて作っていたので、なでしこジャパンへの憧れもあったと思います。
憲剛 中学から日テレ・メニーナ・セリアス(現、日テレ・東京ヴェルディメニーナ)に移るんですよね。
修 吉本コーチから「セリアスというチームができるからセレクションを受けてみなよ」と言っていただき、実際に受けたら合格をいただきました。ただ、本人はAC等々力で続けるつもりだったので、最初はセリアスに行くのを拒否していました。1週間ぐらい泣いていたんですけど、いろいろな人の説得があって行くことを決心し、今に至ります。
憲剛 セリアスでの3年間はどのような感じだったのでしょうか。
修 1期生として入ったので当初はメンバーの大半が1年生で、試合にはたくさん出ていましたが、東京都の大会でも最初はなかなか勝てない状態でした。でも、3年生の時に全日本U-15女子サッカー選手権大会で全国優勝しているので、大変だった半面、いい思い出も多かったと思います。
憲剛 1年生から試合に出ることでかなり鍛えられたでしょうし、3年間でかなりの経験値を積み上げたことが全国制覇につながったんでしょうね。その後、メニーナに進むんですよね。
修 はい。上げていただきました。でも、この時も1週間ぐらい、「無理!無理!無理!」と行くのを拒否していました(苦笑)。実際に入ってからも「みんなうまいので大変だ」という話はしていました。基礎的な技術の差があったので、そこで苦労していたみたいです。
憲剛 そこからめきめきと頭角を現していったんですよね。トップチームのベレーザに絡むようになったのはいつ頃ですか?
修 高校2年生の頃から少しずつ呼んでいただくようになりました。
憲剛 今までの話を聞く限り、それも拒否していそうな気がするんですけど(笑)、いかがでしたか?
修 メニーナに上がった時みたいに「周りがうますぎて無理」というのはずっと言っていました。でも、その頃からは「うまい人たちの中で点を取れた」といったことが少しずつ自信になっていったようで、「無理だ」とあまり言わなくなってきましたね。
憲剛 そうやって成長していく中で、ご両親はどのような信念を持っていらっしゃったのでしょうか。
由紀子 小学生でサッカーを始めた頃から、サッカー選手ではないんだから、まずは学校のことをちゃんとやるんだよ、というのは口酸っぱく言っていました。サッカーだけうまくなればいい、という考えには抵抗があったので。
憲剛 サッカーで進学したいお子さん、子どもに夢を託したい親御さんも多いと思いますが、それは難しい道でもあるので、すごく大事なことだと思います。
由紀子 そうやって選択肢を早いうちから狭めていって、いつかサッカーをやっていたことを後悔する日が来てしまうと不本意ですからね。
憲剛 親御さんがそうやって客観的な目線をつくってあげることはすごく大事だと思います。親御さんが自分の子だけを主観的に見てしまうと、子どもの“逃げ道”がなくなってしまいますからね。お二人からお話が聞けて、ものすごく学びになる親御さんが多いのではないかと思います。本日はありがとうございました!
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