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変えられないことを受け入れる落ち着き ~いつも心にリスペクト Vol.82~
2020年03月26日
「神よ、変えることのできないものを受け入れる落ち着きと、変えるべきものを変える勇気と、そして、両者を見分ける知恵を与え給え」
アメリカの神学者であるラインホルド・ニーバー(1892~1971)がつくったと言われる有名な祈りの言葉です。アルコール依存との戦いで使われて広く知られるようになりましたが、「リスペクト」の精神もよく表れています。
1月にタイで開催されたAFC U-23選手権は、アジアサッカー連盟(AFC)主催で初めて大会を通じてビデオアシスタントレフェリー(VAR)が採用された歴史的な大会でした。
ただしかし、日本が3試合連続でVARが入った結果のPKで失点し、3試合目にはVARがMF田中碧を退場に追い込んだことをまったく考慮外に置いても、残念ながらこの大会のVARを使ったレフェリングは問題点が多かったように感じました。
「針小棒大」(針ほどの小さなことを棒ぐらいの大きさに誇張して表現すること)ということわざがありますが、そう言いたくなるような判定がいくつもありました。1次リーグA組の最終戦、準々決勝進出をかけた「タイ×イラク」でも、そんなシーンがありました。
開始わずか2分のタイのCK。ペナルティーエリア中央での競り合いの後、高く上がったボールを拾ったタイがシュート、右に外しました。主審がプレーを止めたのは、ゴールキックでプレーが再開されてからしばらく後のことでした。
VARから主審へのアドバイスは、CK時にイラク選手の手にボールが当たっているからPKの可能性が高く、映像を確認するようにというものでした。競り合い時に、タイ選手がヘッドしたボールが、イラクのナジム・シュワン・アリ・アルクレシの手に当たっていたのです。
競り合いのためにジャンプし、落ちかけたときだったので、彼の左手は高く上がり、そこにボールが当たっていました。
手や腕を高く上げているときには、こうした避けられないケースでも「ハンド」の反則になると競技規則に明記されていますから、PK判定は間違ってはいません。
しかしタイの選手たちさえ気づかなかった瞬間的な事象を、1分半もたってから反則とることが果たしてサッカーにとっていいことなのか、私には大きな疑問でした。ある英国人記者は、「判定は正しくても、VARはサッカーを殺す」と話していました。
当然、イラクの選手たちは猛烈に抗議します。しかし混乱はすぐに収まりました。小柄なイラクのMF、背番号10のモハンマド・リダ・ジャリル・アルエラヤウィのおかげでした。
彼は主審に詰め寄る味方選手たちを両手を広げて制し、早くポジションにつくようにうながしたのです。彼の言葉で冷静さを取り戻したイラクの選手たちは、すぐに主審を取り囲んでいた輪を解き、それぞれのポジションに戻っていきました。
驚いたのは、モハンマド・リダはイラクの出場選手中最年少で、この試合時には19歳という若さだったことです。彼は2017年にインドで開催されたFIFA U-17ワールドカップで攻撃の中心として活躍、国際経験豊富と言っていい選手でした。
VARに限らず、サッカーでは判定に異議を唱えても益はありません。何人もの審判員がさまざまな角度からの映像を繰り返し見て下したVARを使っての判定ならなおさらです。
たとえ「針小棒大」でも、絶対に変わることのないVARを使ってのPK判定に異議を唱えて時間を無駄にするより、GKの好守に期待し、また、まだたっぷりある時間を有効にプレーすることのほうがはるかに有益だと、彼は判断したのでしょう。
冒頭の「ニーバーの祈り」はキリスト教のものですが、もしかすると、イスラムやイスラム社会にも、同じような祈りあるいは格言があるのかもしれません。モハンマド・リダは、「落ち着き」と「勇気」と「知恵」とをもった、リスペクト精神あふれる若者でした。
寄稿:大住良之(サッカージャーナリスト)
※このコラムは、公益財団法人日本サッカー協会機関誌『JFAnews』2020年2月号より転載しています。
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