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【ホットピ!~HotTopic~】能登半島の今とこれから~北野孝一JFA復興支援特任リーダー
2024年10月31日
今年1月に発生した令和6年度能登半島地震を受けて、日本サッカー協会(JFA)は復興支援プロジェクトを立ち上げて支援活動に取り組んでいます。9月の記録的豪雨による被害もあり、能登半島の継続した支援が求められています。JFA復興支援特任リーダーを務める北野孝一氏(石川県サッカー協会会長)に、能登半島の現状や必要な支援などについて聞きました。
※このインタビューは2024年10月17日に実施しました。
子どもたちが笑顔になれる瞬間を少しでも多く
――2月にJFA復興支援特任リーダーに任命され(当時は石川県サッカー協会常務理事)、4月から本格的に被害状況や必要な支援の把握などに努められています。能登半島の現状はいかがですか。
北野 私自身、3月まで小学校教員をしていましたので、それまでは石川県サッカー協会(FA)のメンバーと手分けしてできる範囲で動いていました。4月から専念して動けるようになり、石川県FAの中にも正式に復興プロジェクトチームを立ち上げました。活動していて感じることは、実際に現地の状況を見たり、そこにいる人々と直接話したりしなければ本当のニーズは分からないということです。こちらが「大丈夫ですか?」と声を掛けた時に、何に困っていて何が必要なのか言ってくれる人もいるのですが、そうじゃない人がほとんどなんです。我慢してしまう人が多いのか、そこにはいろいろな理由があるのでしょうが、なかなか声を上げにくいようです。
――JFAも被災地のニーズに寄り添った支援を重視しており、ニーズの把握はとても大事です。
北野 支援する側の自己満足になってはいけないですし、無理に押しつけてもいけないのですが、「ここにこれがありますよ」「こういう支援がありますよ」と用意して待っているだけではなく、現状を少しずつでも把握しながら、こちらから届けていくという姿勢が大事なのだと感じます。
――北野さんも1月1日は地震を経験されたのですか。
北野 そうですね。SAMURAI BLUE(日本代表)の試合をテレビで見終わった後、車で移動中に地震がありました。一番心配だったのは、実家である能登の志賀町に住んでいる母のことです。家も古かったので潰れているかもしれないと…。ようやく連絡が取れたのは朝方にかけて、近所の知り合いが避難所にいることを教えてくれました。実家も見に行きましたが、ぐちゃぐちゃになっている様子に呆然としてしまって。そのときにJFAの田嶋幸三会長(当時)から連絡をもらって、大丈夫かと。「大丈夫じゃないです」と言ったら、「なんでもする。JFAがサポートする」と言ってくださって心強かったですし、その後にJFAで復興支援プロジェクトチームが立ち上がり、連携して取り組めるようになったことは精神的にも大きかったです。
――当時は金沢市内の小学校に勤められていました。子どもたちの様子はどうだったのでしょう。
北野 もちろん場所によるのですが、私がいた金沢市内は被害がほとんどなく、冬休みが終わって再会した子どもたちは普段通りに元気で、すぐ日常に戻っていました。
――同じ石川県でも、能登半島と金沢市では被害状況も日常の戻り方にも違いがあるのですね。
北野 私は実家の能登と金沢を行ったり来たりして、向こうの惨状を目の当たりにしていましたから、正直、そのギャップに耐えかねるときもなかったと言えば嘘になります。子どもたちや先生方もニュースなどで能登の被害状況を知ってはいても、やはり実感の仕方には違いがあるんだなと。能登の子どもたちを金沢市内の学校で受け入れてもいるのですが、誰にも打ち明けられない、こちらが想像もできないような苦しみや悩みを抱えている子どもたちはいます。
――苦しんでいる子どもたちにサッカー界は何をしてあげられるでしょうか。
北野 いろいろな活動を通して子どもや大人の様子を見てきましたが、サッカー選手やそのOB・OG、アスリートや元アスリートが学校や園を訪問したときに子どもたちは一瞬で笑顔になるんですね。先生方も「子どもたちはこんな笑顔をするんだ。こんなに楽しそうに笑うんだ」と言っていて、そう話している先生方も笑顔でうれしそうなんです。6月には石川県FAに1千万円の寄付をしてくれたSAMURAI BLUEの遠藤航選手も来てくれて、金沢ゴーゴーカレースタジアムで石川県FA復興支援フェスティバルを開催しました。子どもたちにとっては特別な時間になりましたし、とても楽しそうでしたね。
物資の支援なども大事ですが、われわれがすべきことはこういうことなんだと。サッカーやスポーツを通して、苦しんでいる子どもたちが少しでも日常を忘れられる時間をつくること。そして、たとえ夢を与えるまではいかなくとも、心の底から楽しいと思えることや笑顔になれる時間が、子どもたちには必要だと思っています。そういう意味では、JFAが中心となって日本財団HEROsさんと協力し、能登半島被災地域の小・中学校、高校、幼稚園・保育園のほとんどを訪問できたことは、とても意義のあることでした。
JFAキッズプロジェクトのメンバーでもある北野孝一JFA復興支援特任リーダー(写真右)。
自らも各園や学校を訪問しながら子どもたちがサッカーを通して笑顔になれる機会を届けている
復旧復興には多大な時間と費用がかかる
――七尾市の和倉温泉運動公園多目的グラウンドや能登島グラウンド、輪島市のマリンタウン競技場など多くのグラウンドやスポーツ施設も被害を受けました。ハード面での復旧についてはいかがですか。
北野 地割れや隆起、陥没の影響から復旧の見通しはまだ立っていません。和倉温泉のピッチ3面、能登島の2面、マリンタウンの1面が使用できないことは、サッカー界にとっても大きな損失です。和倉温泉の施設は復旧への動きがありますが、それでも数年はかかりますし、マリンタウンは仮設住宅が建っていますのでさらに時間がかかるでしょう。それ以外に学校のグラウンドも使えないところが多い。復旧には多大な費用もかかりますから、長い戦いになると感じています。
今は輪島市にある日本航空高校石川(現在は東京都へ一時移転)が、学校の施設を地域の人々が使えるように無料で開放してくれているので、輪島市のチームはそこを拠点に活動することができてきます。
――9月の記録的豪雨の影響も大きかったでしょうか。
北野 地震とはまた違った被害の大きさでした。水害はそこにあったものを根こそぎ奪い去ってしまいます。崖崩れで家が倒壊したり、物が流されたり、土砂が流入して新しく立て直したものやその途中だったものも全てダメにしてしまう。そこで生活することができない、というとても厳しい状況でした。自然災害はいつどこで起きてもおかしくはないのですが、その時ばかりはどうして能登ばかり、と。そう思ってしまいました。
能登半島では地震で倒壊した家屋などがいまだそのまま残っているところも。
豪雨による多大な被害により、復旧復興への道のりはさらに長いものに
――みんなで助け合うことが求められます。全国のサッカーファミリーに伝えたいことをお聞かせください。
北野 能登の皆さんも言っていることですが、「忘れないでほしい」ということです。長い戦いになりますので、能登半島で生きている人たちがいることを少しでも心の片隅に置いてもらえたらと思います。
――引き続きの支援もお願いしたいところです。
北野 例えば、10円でも支援してくださる、その気持ちがわれわれはうれしいんです。金額ではなくて、忘れないでいてくれること、被災地やそこの人々に心を寄せて行動してくれたことに「ありがとう」と思っています。石川県FAもスタッフは多くいませんので、何か大それた支援活動ができるわけではありません。だからこそ、「できることをできるところからやろう」という思いでみんなが日々取り組んでいます。
7月13日、金沢ゴーゴーカレースタジアムで開催されたなでしこジャパン
「MS&ADカップ2024 ~能登半島地震復興支援マッチ がんばろう能登~」。
復興に向けてサッカー界の力を結集させたい
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