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チェンジメーカー 第8回 住田優(すみだ・まさる) NPO法人レオーネ山口スポーツクラブ理事長
2012年02月02日
Profile
住田 優 / SUMIDA Masaru さん
NPO法人レオーネ山口スポーツクラブ理事長
2008年度SMC本講座修了(5期生)
1978年3月、岡山県生まれ。
岡山県立倉敷青陵高校を3年製の7月に中退後、実家から追い出され、たまたま雑誌で見つけた千葉県船橋市の新聞販売所に住み込みで勤務。その後全国を点々としながらも、「真面目に生きよう」と思い、24歳でJAPANサッカーカレッジに1期生として入学。2005年2月にレオーネ山口に入社。2006年〜2009年までゼネラルマネジャー。
2008年、高円宮杯第20回全日本ユースU-15で監督として全国ベスト4へ導く。2009年3月、NPO法人化し現職。
その1 「やっぱ、サッカーかな」
坂口:では、よろしくお願いします。
住田:よろしくお願いします。
坂口:まず、今の仕事の内容と、これまでの経緯を話してもらえますか?
住田:今の仕事は、NPO法人レオーネ山口スポーツクラブの理事長という立場で働いています。
でも、理事長ってのは肩書き上って感じで、実際の業務内容は、基本はチームの指導。指導以外の役割として大きいのは、新たな事業を立ち上げたりとか、事務仕事ですね。対外的な事務方の仕事とか。
で、ここまで来た経緯っていうのは・・・
簡単に、ですよね? 笑
坂口:では・・・
専門学校に行こう、と思ったくらいからでどうですか?
住田:それくらいからですね。JAPANサッカーカレッジに入学したのが24歳。それまではいろんな仕事をやりましたが、どれも長続きしなくて。「このままじゃ、ダメ人間になるなぁ」って。一生続けられる仕事をなんか探そう、ってなったときに、「やっぱサッカーかな」って。新潟にサッカーの専門学校ができるっていうので、そこに行くことにしました。
JAPANサッカーカレッジに入って、指導者目指して毎日勉強していく中で、いろんなことを、勉強したい、って気持ちが強くありました。24っていう年齢のせいもあったと思います。周りは18歳の子たちで、まだ、「勉強とか、かったりー」「サッカーしとくのが楽しい」っていう子ばかり。
少し歳くってるからか、俺は少し違って、サッカーするのも楽しいんだけど、クラブの経営がどうなってるんだろうとか、ビジネスの仕組みとか、あとトレーナーのテーピングとかもすごく興味があった。それから英会話の授業も英語は必要やな、って感じていたし、すべてが新鮮で、全部吸収してやろうってつもりでやっていました。そういう意味ではいちばん良い時期に入ったと思います。
その中でも、アルビレックス新潟の方たちの授業はすごく衝撃的でした。
当時の中野社長の授業も楽しかったし、小山部長の授業では、アルビがどうやって大きくなってきたか、新潟っていう米と酒しかない町でここまでやってきたんだよって、実践的な話を聞いたうえで、仮の状況設定をして、そういう街のクラブがあった場合、どう盛り上げますかってシミュレーションをしました。その授業はすごく楽しくて、クラブづくりっていうのにも徐々に興味が湧いて。将来、自分が指導者としてキャリアを積んでいった先に自分のクラブを持ちたいな、って夢を持つようになりました。
そうこうしているうちに、卒業の時期になって、インターンシップでこの山口に来たときに、子供たちの目が夢を持ってキラキラ輝いてるの見て、「あっ、ここやな」って。
いちばんの理由は、来てほしいって言ってもらえたことですが。求められるところで働かないと面白くないなと思ったので、山口に来て今の仕事に就いてます。坂口:今、何年目ですか?
住田:7年目です。
坂口:7年間の中で、仕事内容は結構変わってきましたか?
住田:そうですね。1年目、まず最初は指導の現場に慣れていくことから始まったんですが、昼間の空き時間どうする?ってことになりました。そこで最初からスタートダッシュをかけました。新潟で勉強してきたことを実践で生かしてやろうと思って。
まず、クラブの冊子を作ったんですよ。自主制作みたいな感じで。その広告スポンサー集めをして回りました。そうすれば、お金がちょっと集まるじゃないですか。それによってクラブの情報も発信できるし、協賛企業も集まれば、街にファンも増えていくかなって。
それと並行して、幼稚園の巡回指導を始めました。
昼間、幼稚園の授業としてサッカーを教えて、それに対価をいただくっていうのを1年目ですぐにとっかかったんですよ。営業なんか、全部飛び込みですよね。もう、山口で知った人なんかいないから。そこで、過去の経験が活きました。営業ですよ、新聞屋の。
17歳の時に家を追い出されて、新聞屋で住み込みして働いていましたから。
その2 「レオーネのサッカーってどんなん?」
坂口:それ、千葉でしたよね?
住田:そうそう。千葉県の船橋です。金髪の小僧が「新聞とってください」って言って回ってました。山口でも、商店街を一軒一軒しらみつぶしに回って「広告出してください」っていう営業のときに、役立ちました。一口2,000円。一日10件くらいです。僕ともう一人、若いスタッフとで、二手に分かれて回りました。
若いスタッフの方は、「ダメでしたー」って言って戻ってくるときに、「俺はもう6件とれたよ」。「なんでそんなとれるんですかー?」「ま、経験の違いや」って。 笑
少し遠回りして生きてきた経験が、そういう所で活きました。
坂口:(うん、うん。)
住田:で、山口で仕事を始めて、3年目かな・・・
3年目の時に、クラブにとってひとつ目の大きなステップアップの機会がありました。指定管理者制度に応募して通ったんですよ。市の施設の指定管理者になって、クラブとしてだいぶ大きく成長できました。
日本の指定管理の場合、そこがホームグラウンドにできるっていうわけではないけど、グラウンドのスケジュール管理とかは経験としてクラブに活かせますよね。指定管理者になったことで、クラブの運営がすごく安定してきました。活動場所、練習場所の確保もしやすくなったし、それと同時に、もちろん財政面もですね。やっぱり、指定管理で入ってくる委託料っていうのは大きかったんで。それによって、スタッフをしっかり雇用できたりとか。
それが3年目にあって、4年目、5年目・・・5年目ですかね。5年目の時に、SMCを受講しました。これから先、自分がクラブ運営に関わっていくのに必要な知識を学べるってことで、以前から興味を持っていました。
SMCに参加して、その内容に衝撃を受けて、いい人脈ができて。さらにそこでtotoの助成金って存在を知って、それを申請したら通って、そこでまた次の飛躍ができました。
SMC同期の山本君に「totoってありますよ」って教えてもらったんです。
自分たちがそれまでやってきた、スポーツで街を活性化するって考えに助成金を出してくれる人たち、団体がいて、それによって、またパワーをもらって、新しい事業を立ち上げられました。SMCの事業計画書を作りながら、totoの申請書も作って。事業計画書の締切とtotoの締切がちょうど同時期でしたからね。
相当しんどかったですけど。 笑
坂口:ちょうどSMC期間中にクラブユースでしたっけ?
住田:高円(高円宮杯)ですね。高円宮杯U15での大躍進もありました。
僕思うんですけど、クラブのサッカーの勝ち負けって本当に時の運っていうのもあります。で、勝ち負け、そこだけにこだわるんだったら、人集めてくるところに金をかければ、どうにかなることじゃないですか。
じゃあ、そういうクラブが、未来永劫続くかって言ったら、絶対続かない。やっぱり、お金じゃなくて、人に愛されて、そこに人が集まって、強いクラブになっていくっていうか。ほんとの意味の強いクラブって勝ち負けじゃないなって。そのクラブのアイデンティティーやスタイルを確立させていて、俺たちのクラブはこうだとか、俺たちのサッカーはこうだ、っていうスタイルがあって、それを何年、何十年経っても、変わらず持ち続けている。強いクラブってそういうクラブだろうなって思って。
だから、まだまだです。今、うちのクラブも全国に出たりするようになったんですけど、まだまだその辺のプレースタイルっていうか、クラブのアイデンティティーってものが弱いですね。
レオーネに来た子たちが全員、来た瞬間から、レオーネのサッカーはこうだから、こういうプレーした方がいいっていうか、こういうプレーしなきゃ試合出れねぇぞ、ってわかっている、とかね。
今日もちびちゃんたちに、「レオーネのサッカーってどんなん?」って聞いたんですよ。そうしたら、1人、2人の子は、「前にぶち蹴らないようにする」とか、答えられるんですよ。
まあ、基本、そこだよね、俺たちのサッカーは。ボール大事にして、こうこうこういうふうにするのが、レオーネのスタイルだから、そのために普段のフェイントの練習とかあるんだぞ、って。
そういうところが自然に、外から見てる人たちにも、感じられるようなクラブが、ほんとの強いってやつなんかなって思いますよね。
その3 この町のすべてになるとこまで
坂口:レオーネ山口が今やっているチーム、スクール、そのカテゴリーについて簡単に教えてください。
住田:スクールは、いちばんちっちゃい子は幼稚園年少さんからいて、上が小学校3年生までですね。チームの方が、小学校1年生から中学校3年生まで。チームのカテゴリーは、今、バンビーノ、プリマヴェーラ、アリーバ、U-12、13、14、15の7つのカテゴリーがあります。入会時のセレクションはしない代わりに、入ってきた子たち、集まってきた子たちを、実力別のグループに分けてプレーさせています。
坂口:スクール、クラブで何人くらいいらっしゃるんですか?
住田:全部合わせて380人くらいです。規模的にはそれほどでかくはないですよね。
坂口:でも、山口って場所を考えたら・・・。
住田:人口と比較したら、うちがひとり勝ちって感じもしますけど、まだまだです。レオーネがこの町のすべてになるとこまで持っていきたいですね。
坂口:SMCを受講して感じたこととか、そのあと役立っていることがあれば教えてください。
住田:SMCに行ったとき、初っ端、ほんと最初に感じたことは、わかんない言葉がいっぱいあるな、と。俺、知らない言葉がいっぱいあるぞって。けど、分からないことがあったら、ネットでも電子辞書でも調べればすぐ出てくるから調べてくださいって坂口さんが言われて。そういうことが実際大事だなって。おとなになってくるとわかんないことあったら、人に聞けばこうだよって教えてくれる。子供のころは、一生懸命調べていたような気がして。
その衝撃から始まって、いろいろな講座が始まると、まんまと講師たちの狙いにはまっていって。 笑
だけど、やっててすごく心地よかった。頭使ってすげえ頭がキューンってなるんだけど、その先に進むと、それが自分の中に入ってきたって感じで、次に似たことがあったら、絶対できるぞっていう自信が出てくる。そんな感覚と、講義の繰り返しが続いて。だから、長い時間やっていても、飽きることがなかったですね。
まぁ、途中、ホスピタリティの講座とか「なんだよ、この野郎、ふざけんなよ」と思ったりもあったけど、 笑今思えば、とても大事なことやな、と。そういうことも含めて発見で、すごく勉強になりましたね。本当に楽しい時間でした。
あと、いろんな人に出会えたことはやっぱり大きかった。講師の人たちにしても、受講生にしても、いろんな分野や地域の人がいて、サッカーだけじゃないっていうのが、またいいですね。山本君みたいな、サッカーとは関係ない人もいて。SMC受けて、良かったです。良かったことはいっぱいあり過ぎるんですけど・・・。
坂口:5期生は、みんな仲良かったしね。
住田:だから、SMC修了してからもこんなに交流してる代はないんじゃないのって同期で言ってます。きっと、それぞれ他の代の人たちも交流してるんでしょうけどね。SMCが終わって役に立ったことは、限りなくいっぱいありますね。
その4 「俺成長したな」って
坂口:その、SMCが終わって役に立ったことと、これからの展開なんかも教えてもらえますか?
住田:一番は、自分の思いや考えを企画書で表現できるようになったこと。その力がしっかり身についたなと。それまでは、自分はこういうことがしたいってときは、人に会いに行って、「いやー、こういうのがやりたいんですよ」って自分のイメージを口頭で話すことしかできませんでした。
SMCのあとは、紙芝居じゃないですけど、「こうですから、こうなんです、だから、こういうのがやりたいんです」っていう企画書に、きちっと順序立てて、落とし込むことができるようになりました。これは、すごく役立ってるなあ、って思います。
SMCを受講してからいろんなものに興味を持つようになって、本もだいぶ読みましたね。だから、なんで俺、SMC行く前にドラッカーとか知らんかったんやろって思います。けど、逆なんですよね。SMC行ったから興味が湧いて、ドラッカーとかああいうものも読むようになって。で、読んだら、更に仕事に結びついていって・・・大いに役立ってますよ。
SMCが始まったばかりの最初の事業計画書って、みんな自分にとって相当都合のいい事業計画になってましたよね。行政から金もらうとか、廃校をもらうとか、空いている土地をタダで借りるとか。笑
自分に都合のいい状況を設定していたのが、最終提出のころになると、より厳しい条件でもやれるぞ、っていう方向でプランニングできるようになりましたよね。
『芝生グラウンド予定地』
今、芝生のグラウンドをつくる話が進行中ですが、そんな力が、そこで実際に活きました。SMCで作った事業計画書は、スクールやチームの事業で剰余金を貯めて、グラウンドの工事費用にあてるってプランでしたが、これはレオーネ単独ではなく、地主さんとの共同事業として進んでいます。地主さんが「その土地でなにか事業をしたいんだよな」っていうので、じゃあ僕が企画書を作ります、って。その中に、地主さんの要望と、こっちの都合も盛り込んで。この企画は、SMCで学んだことをめいっぱい、表現できたと思っています。
あと、文科省のスポーツコミュニティーの形成促進事業も受託できました。申請時の企画提案書に自由記述の部分があって。A4、1枚なんですが。
うちのクラブが今後、スポーツコミュニティーの形成をどう進めていくかについて書いてくださいっていう項目です。思い切って、図で描いて提出したんですよ。自分のクラブが真ん中にあって、片方にアスリートやプロの指導者がいて、逆側に地域の人たちがいて。そのアスリートと地域の人たちを結ぶハブみたいな存在になりたいです、っていうものを提出したんです。
意味を自分の中できちっと理解して、自信持って描いて、提出できた。「俺成長したな」って、自分で思いましたね。その図が評価されたかは、文科省の人に聞いてみないとわからないですけど。笑
んなケースだと、以前だったら、なんか文字でバーッて書いて出すだけだったのかな。見る側にとって見やすい企画書をつくろうって考えられるようになったと思います。これはSMCのおかげです。だって、ステークホルダーって考え方は、以前はなかったですもんね。やっぱ、自分の利益しか考えてなかったですからね。
SMCでやったことは、まずステークホルダーを書き出して、それをどうつなげていくか、ですよね。で、つなげようと思ったら、やっぱその人たちにとってもメリットなかったらつながらんし。あれが、考え方の基本になってますね。僕は、ほんと、成長させてもらったなって思ってます。
僕みたいな高校中退の人間からしたら、知らないことがいっぱいあったし、考えさせられることもたくさんありました。めっちゃ新鮮で、強烈で、しかも身になって。
ただ、こういうのって、何でもそうだけど、タイミング・・・
その本人が、やろうって、学ぼうって、思ったときじゃないとダメですよね。
坂口:そうですよね、きっとそうなんです。
SMCは、手を挙げた人だけが来ているところなので、自分で何かしらそういう時期を選んできてるはずなんだけど、特に住田さんはそういういい時期に来たんだなって感じていましたね。
住田:今振り返っても、いちばんいい時期に行けたんかなって。めっちゃ吸収できましたもんね。
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