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【心をひとつに~能登半島復興へ】第3回「多くの支援に感謝。この経験を未来につなげられるように」珠洲エスペランサフットボールクラブ・砂山誠吾代表、和嶋昌樹コーチ

2025年04月01日

【心をひとつに~能登半島復興へ】第3回「多くの支援に感謝。この経験を未来につなげられるように」珠洲エスペランサフットボールクラブ・砂山誠吾代表、和嶋昌樹コーチ

石川県珠洲市にある唯一の小学生サッカーチーム、珠洲エスペランサフットボールクラブ。砂山誠吾代表と和嶋昌樹コーチにチームの活動状況や珠洲市の現状などについて聞きました。

※このインタビューは2025年2月11日に実施しました。

サッカーでつながった新たな絆、さまざまな支援に感謝

――2024年1月1日に能登半島地震があって以降、チームはどう活動されてきたのでしょうか。

砂山 例年、冬は体育館でフットサルをプレーしていて、昨年も1月の石川県少年フットサル大会に向けて練習を積んでいるところでした。しかし、地震によって大会自体が中止となり、市内の被害も深刻で、とてもチームが活動できるような状況ではありませんでした。十数人が所属する小さなチームなのですが引っ越して退団した選手もいて、練習場所も被災してしまいました。結局、12月に練習したきり、チームとして活動を再開できたのは4月下旬。以前の練習時間では、終了後に自衛隊のお風呂に入れなくなってしまうこともあって、練習時間を早めて再開したという感じです。


珠洲市立直小学校の体育館での練習風景。冬は積雪などもあるため体育館で練習している

――現在は何人の選手が所属されているのですか。

砂山 今は小学1年生から6年生まで14人(うち5人が女子)います。小学生は8人制サッカーなので一昨年までは4~6年生の3学年で何とか試合には出ていたのですが、人数的に限界を感じていて、能登町にある4種のFBC能登と合同チームで大会に参加しようと話していたんです。地震でそれも実現できませんでした。昨年はサッカーの公式戦に出ることはできず、フットサルの大会や招待試合などに参加して活動を続けてきました。

――外でサッカーをする環境もあるのですか。

砂山 珠洲市の珠洲市健民体育館の近くに人工芝のフットサルコートがあって、練習はそこを使わせてもらっています。とはいえ、地震の影響でガタガタしている部分があって、使えるのは半分ほど。ナイター設備があるので夜も練習することができます。基本的に冬は体育館、春から秋はフットサルコートで活動しています。


屋外で練習できるときは珠洲市健民体育館の近くにある人工芝のフットサルコートを使用。
地震の影響で陥没している部分があり、全面は使えない

――活動再開にあたってはどのような思いがありましたか。

砂山 選手たちの顔を見て安心しましたし、サッカーを楽しそうにプレーしている姿を見ることができて良かったです。活動再開は4月下旬だったのですが、4月1日と2日には、神戸コスモFCさん(兵庫県神戸市)に招待いただいて、選手たちは神戸市でサッカー交流に参加しました。当時小学6年生だった子どもたちは地震の影響でチームとして卒団式をしてあげられなかったのですが、そこでは卒団式もしていただいて本当にありがたかったです。

和嶋 当日は私が引率で選手と一緒に参加させてもらいました。子どもたちは元気に楽しそうにサッカーをしていて、試合以外にも交流の場を設けていただき、とても有意義な時間でした。神戸市も阪神・淡路大震災(1995年)を経験されており、指導者の皆さんと話していてもとても励みになりました。珠洲には自分たちではどうしようもない状況があります。けれども、こうして手を差し伸べてくださる方がいるんだと。サッカーができる環境をまた整えられるように自分も頑張ろうという気持ちになりました。

砂山 昨年の夏には神戸コスモFCの皆さんが能登に来て、輪島市内のグラウンドで練習試合をしました。今後も交流を続けていけたらという話をしています。


「あっという間の一年だった」という砂山代表。
これまでつながりのなかった他県のチームとの縁もでき、人と人を結びつけるスポーツの力を実感しているという

――新たな交流が生まれているのですね。

砂山 珠洲市と姉妹都市になっている北海道江差町のコラソンFCさん、宮城県石巻市のFCクラーロさん、Playground communityさんからもチームに義援金をいただきました。江差町も過去に地震による被害を経験され、石巻市も東日本大震災がありました。神戸市も江差町も石巻市も、震災を経験されている地域の皆さんは特別な思いを持たれているのかなと感じます。

和嶋 昨年は2月にツエーゲン金沢のスペシャルマッチ、6月には高円宮記念JFA夢フィールドでの夢キャンプ2024 with SAMURAI BLUE、7月にはなでしこジャパン(日本女子代表)のMS&ADカップ2024~能登半島地震復興支援マッチ がんばろう能登~(金沢ゴーゴーカレースタジアムで開催)など、いろいろな場に招待いただきました。転校した選手とそこで再会できたり、一緒に活動したりすることもあります。サッカーを続けていれば、またどこかで会えるんですね。SAMURAI BLUE(日本代表)の森保一監督やJFAの宮本恒靖会長、元日本代表の巻誠一郎さんなど、これまで機会のなかった方々とお会いできたことも励みになりました。


昨年7月14日にはJFAの宮本会長やSAMURAI BLUEの森保監督が珠洲市を訪問。
ウォーキングフットボール交流イベント「JFA・キリン ビッグスマイルフィールド」で人々と交流した

砂山 夢フィールドは日本代表チームがトレーニングをしている特別な場所ですし、夢キャンプでは代表選手の皆さんとも交流できて、他ではできない貴重な経験になりましたね。その他にも石川県サッカー協会や知り合いのサッカー指導者の方がボランティアで珠洲まで来てくれたり、支援物資を届けてくださったりといろいろな支援をいただいています。こちらに来られなくても心配して連絡をくださった方もいれば、こういう状況なので連絡してもいいものかと迷われていたという方もいて、皆さんからの気持ちに本当に感謝しています。


2024年6月1日には「夢キャンプ2024 with SAMURAI BLUE」にも参加。
通常であればできない経験や出会うことのなかった人々との関わりは励みになっている

変わってしまった町の姿、今でも信じられない

――地震後の生活はどうされていたのですか。

砂山 私は珠洲市が地元なのですが、実家は損壊しました。子どもがまだ小さかったので家族は遠方の姉のところに避難させてもらい、自分は仕事の都合もあり、珠洲に残りました。5カ月ほど車中泊をし、5月下旬から仮設住宅で暮らしています。

和嶋 うちも家族や親戚が珠洲市にいて、一時期は父の家に三家族で生活していました。家が住めるような状況ではなかったので。とにかく生きていてよかったとそれに尽きます。

――珠洲市における震災の影響をどう感じられていますか。

砂山 どこも悲惨な状況です。家屋の解体作業がかなり進んで、町の風景もずいぶんと変わってしまいました。珠洲市では数年前から群発地震が続いており、2022年6月、2023年5月と立て続けに大きな地震が続いていました。ただ、能登半島地震は地震の規模がこれまでと比べものにならないくらい大きく、被害が甚大だった上に、9月の豪雨による被害が追い打ちをかけました。家を建て直したのにまた壊れてしまったという人が結構いて、本当に心が折れますよね。そこにあったものが壊れ、流され、解体されてなくなっていく。町の姿を見ても、いまだに信じられません。

和嶋 珠洲市から引っ越す人も多くて、若い世代が町からどんどんいなくなっているのも感じます。若い人たちがまた戻って来てくれるような町になってくれたらと思います。

サッカーを続けられる環境を守っていきたい

――サッカーをする子どもたちを見て感じられることは?

砂山 きっと、サッカーをすることが以前より楽しくなったんじゃないかなと思います。災害でいろいろなことを経験して、生活環境も変わりました。練習できることが当たり前ではないんだと身をもって感じたでしょうし、サッカーに対する意識が少し変わった気がします。

和嶋 サッカー活動を通して、大人も子どもたちからパワーや元気をもらっていますよね。夢キャンプのときに巻さんも子どもたちに話されていたことですが、大変なときに支えてもらった分、今度はみんなが困っている人や苦しんでいる人を支えられるようになってほしい。サッカーを通して、いろいろなことを学んでくれたらと思います。


和嶋コーチは「子どもたちは本当にたくましい」と話す。
子どもたちにはサッカーを楽しみながら成長していってほしいと願う

――サッカー活動に望むことはありますか。

砂山 人工芝のフットサルコートも半分しか使えない状況なので、スポーツ環境が少しでも早く整うといいなと。珠洲市はサッカーがあまり盛んではない地域で、その中で和嶋コーチと共に立ち上げたのが珠洲エスペランサなんです。珠洲市では唯一の4種チームなので、子どもたちのためにも、サッカーを楽しむことを大切にしながら活動を維持していくことが大事だと感じています。

和嶋 そうですね。私は自分の子どもがサッカーをできるようにとチームを創設しました。練習には、当初から保護者や地域のサッカー好きの大人たちも参加して、子どもと一緒になって大人もサッカーを楽しんでいます。多少環境が整っていなくても、人さえ集まれば何とか活動はできるかなと。でも、持ち運びできるゴールがだいぶ古くなってきたので、新しいゴールはほしいですね(笑)。「エスペランサ」は、スペイン語で「希望」を意味します。地域の希望になれるようなチームになりたい、という思いがチーム名には込められていて、そういう存在になれるように活動してきたいと思います。


練習には保護者や地域の顔見知りの大人も参加して、子どもたちにサッカーを教えながら一緒にプレー。
和気あいあいとした雰囲気の中でサッカー活動を楽しんでいる

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