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【心をひとつに~能登半島復興へ】第4回「サッカーと出合えて良かった。そう思える時間だった」FBC能登・河端逸美さん

2025年05月02日

【心をひとつに~能登半島復興へ】第4回「サッカーと出合えて良かった。そう思える時間だった」FBC能登・河端逸美さん

石川県能登町を拠点に活動している4種サッカーチームのFBC能登。チームの保護者である河端逸美さんにチームの活動状況や地震から約1年3カ月がたって思うことなどを聞きました。

※このインタビューは2025年4月5日に実施しました。

地震と豪雨による被害の痛ましさ、その中で励みになった温かい声掛け

――FBC能登はどのようなチームか教えていただけますか。

河端 小学生を対象としたサッカーチームで、能登町にある4種チームはFBC能登だけです。最近では子どもの数が少なくなり、公式戦に出られない状況が続いていますが、サッカーを楽しむことを大切にして活動しています。2024年度は6年生が4人、5年生が2人、4年生が2人、3年生が1人いました。年度が変わって6年生は抜けてしまいましたが、新たに数人が入団予定です。

――珠洲市の珠洲エスペランサフットボールクラブとは、2024年に合同チームで活動しようとお話されていたと聞いています(関連記事はこちら)。

河端 そうなんです。昨年は地震の影響で活動ができず、今年度は私たちが珠洲エスペランサさんのメンバーとして登録し、公式戦に参加することが決まっています。

――河端さんはどのようなきっかけでチームに関わられるようになったのでしょうか。

河端 私は子どもが3人いまして、この4月に中学3年生になった一番上の子が小学校に入学したとき、サッカーを始めたのがきっかけです。下の2人も同じようにFBC能登でサッカーを始めました。上の2人はすでに卒団し、小学5年生になる末っ子が所属しています。

――卒団されたお二人は今もサッカーを続けられているのですか。

河端 能登町は中学校にサッカー部がないので他のスポーツをしています。それはチームメートだった子どもたちも同じですね。小学生まで楽しくサッカーをしていたので続けられないのはもったいないね、と保護者の皆さんとも話していて、今後は環境が変わっていくといいなと思っています。

体育館での練習風景。能登町の復旧・復興は少しずつ進むものの環境はあまり変わっていない。河端さんは
「そのような環境でもサッカーを楽しんでいる子どもたちがいることに目を向け、見守ってもらえたら」と話す

――昨年の能登半島地震で環境は一変しました。地震があった当時のことをお聞かせいただけますか。

河端 私は家族と自宅にいました。すごく大きな地震でした。ひとまず外に出たのですが、そこには見たこともない景色が広がっていました。私は役場職員なので職場に行っていろいろ対応しなければならず、でも職場にもたどり着けない状況で、いったん地域の避難所で皆さんのサポートをしていました。ライフラインをはじめ通信も完全に遮断され、全く情報が入ってこなくて困ったのを覚えています。

――地域の皆さんやご家族のこと、いろいろ考えなければならない立場だった思います。どのような心境だったのでしょうか。

河端 正直、当時のことをあまり詳しく思い出せなくなってきていまして…。子どもたちを守らなければ、ということは考えていました。避難所では地域の皆さんがどのような状況なのか情報を集めたり、みんなで食材を持ち寄って炊き出しをしたり、目まぐるしく動いていた記憶があります。

――9月には記録的豪雨もありました。

河端 能登町も大きな水害がありました。私も被害調査に行ったのですが、信じられないような光景に心が痛みました。その時に心に残っているのが、石川県サッカー協会の北野孝一会長(JFA復興支援特任リーダー)とツエーゲン金沢の廣井友信クラブキャプテンが、飲料水などの支援物資を持ってすぐに駆けつけてくださったことです。寄り添ってくださっているのだと感じましたし、私も子どもと一緒に立ち合ったのですが、「今度、一緒にサッカーしような」と子どもに声をかけてくださって、それがすごくうれしかったと言っていました。お気持ちが本当にありがたかったです。

「サッカーが楽しい!」子どもたちがサッカーを楽しむ姿は保護者の励みに

――チームもサッカー活動ができなくなったのでしょうか。

河端 能登町立柳田小学校のグラウンドと体育館が主な活動場所なのですが、震災後は避難所になったので利用できず、練習もできなくなりました。練習が再開されたのは、4月9日です。久しぶりに体を思いきり動かせることが子どもたちはすごく楽しかったみたいで「サッカーが楽しい!」とずっと言っていました。

――保護者の皆さんもほっとされたのでは。

河端 私たち保護者は、子どもたちがずっと我慢しているのを知っていたので、大好きなサッカーを楽しんでいる様子をほほ笑ましく見ていましたし、玉西剛士監督も「ホッとした気持ちの方が強かった。みんなの顔が見られて安心した」とおっしゃって、私たちと同じ気持ちだったこともうれしかったです。

――玉西監督はどんな方なのですか。

河端 子どもたちがサッカーを楽しむことを第一に考えてくださっています。震災にあたっても、体を動かすことで少しでも子どもたちの気持ちが前向きなれたらと。「監督としてはなるべく自由に、精神的にリラックスしながら練習できるようにしたい」とお話しされていました。

――さまざまな形の支援があったと思います。印象に残っていることはありますか。

河端 時系列でお話しすると、昨年2月18日に金沢ゴーゴーカレースタジアムのこけら落としのオープニングマッチに招待していただきました。これはちょんまげ隊のツン(角田寛和)さんが企画してくださって、3月20日にも柳田小学校体育館で奥能登復興記念サッカーフェスを開いてくださいました。石川県サッカー協会、ツエーゲン金沢の皆さまも協力してくださり、奥能登のサッカー少年少女たちが久しぶりにサッカーを楽しんだ日でした。3月7日には、SAMURAI BLUE(日本代表)の森保一監督がリモート交流会を開いて子どもたちに寄り添ってくださいました。サッカー関係者の皆さまの行動の速さや熱量がとてもうれしく、心強かったです。4月20日には「令和6年能登半島地震復興応援チャリティーマッチ」が金沢ゴーゴーカレースタジアムで開催され、被災地のサッカーファミリーが招待されました。私たちも観戦させてもらい、ツエーゲン金沢の選手やOBの皆さんからのメッセージがダイレクトに伝わってきて、とても励みになりました。

あと、JFAとキリンさんは昨年5月から、復興支援プロジェクトの一環として「JFA・キリン ビッグスマイルフィールド」を被災地で開催されていますが、その1回目が能登町だったんですね。役場の職員として、たまたま私が初回の対応をさせていただき、関係各所と連絡調整しながらイベントを実施することができました。当日は子どもから年配の方まで参加し、サッカー経験問わず、皆さん笑顔で楽しそうに体を動かされていたのが印象的でした。元サッカー日本代表の巻誠一郎さんも明るくみんなを楽しませてくださって、こうして支えてくださる人たちがたくさんいるのだと実感し、感動したのを覚えています。

河端さんも準備に携わったJFA・キリン ビッグスマイルフィールド in 能登町(昨年5月12日開催)。
「JFAさんからの提案が早くて熱量に感動した。外から応援してくださる方がいることが地域の皆さんの
心の支えになる」(河端さん)

――6月1日には高円宮記念JFA夢フィールドでの「夢キャンプ2024 with SAMURAI BLUE」(詳細はこちら)にも参加されています。

河端 そうなんです。森保監督が保護者の元にもいらっしゃって、「大変ですよね。頑張ってくださいね」と声をかけ、手を差し伸べて握手をしてくださったのがうれしかったです。SAMURAI BLUEの選手たちと一緒にボールを蹴るというのは子どもたちにとって貴重な経験で、選手の皆さんが寄り添うように接してくださっているのを感じました。わずかな時間でも被災していることを忘れることができたのは、子どもにも大人にもありがたかったです。

昨年6月1日に参加した「夢キャンプ2024 with SAMURAI BLUE」では「代表選手と一緒にサッカーが
できるとあって子どもたちはすごくテンションが上がっていた。ずっと心に残る経験ができ、保護者
としてもうれしかった」と河端さん

7月13日には、なでしこジャパン(日本女子代表)の「MS&ADカップ2024~能登半島地震復興支援マッチ がんばろう能登~」にも招待してもらい、「なでしこジャパンのサッカーってこんなに面白いんだ!」と、試合も楽しみながら応援しました。

昨年7月13日に金沢ゴーゴーカレースタジアム(石川県)で開催された「MS&ADカップ2024
~能登半島地震復興支援マッチ がんばろう能登~」には、石川県出身の北川ひかる選手(中央)も参加した

――地震からもう少しで1年半です。今、どのようなことを感じられていますか。

河端 復旧・復興に向けて少しずつ進んではいますが、あまり変わったように見えない、というのが正直なところです。それだけ大きな災害であり、元通りにはまだまだ時間がかかります。FBC能登にも、今もなお仮設住宅で生活している家族がいます。震災前と生活はがらりと変わって、それでも適応しようとみんな頑張っています。

――FBC能登は子どもたちにとって、どんな場所になっているのでしょうか。

河端 震災で辛いことはありましたが、保護者としても、子どもたちがFBC能登でサッカーと出合えてよかった、という気持ちになっています。というのも、震災後、JFAや石川県サッカー協会、ツエーゲン金沢の皆さんをはじめ、サッカーを通じて多くの方々が目を向け、思いを寄せてくださっているんですね。最初は「こんな状況でサッカーをしていてもいいのかな。サッカーをしている場合ではないんじゃないか」という気持ちもありました。でも、サッカーを通してさまざまな経験をし、多くの思いを受け取りました。そうした経験も踏まえて、サッカーがある日常が戻ってきたことはうれしいです。サッカーのできる環境は少しずつ増えていますが、復興まで時間がかかります。全国の皆さんには、これからも継続して能登のサッカー少年少女たちに関わっていただけたらありがたいです。また、能登には美味しいものもたくさんあるので、ぜひ遊びに来てもらいたいですね。

FBC能登の皆さん。サッカーができる日常は戻りつつあるが復旧・復興はまだ道半ば。
「以前のように元気でにぎやかな町を取り戻せると信じている」と河端さんは前を向く

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