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2018シーズン 1級審判員・1級インストラクターの勇退者を表彰
2019年02月20日
2018年のシーズンをもって勇退するサッカー/フットサル1級・女子1級審判員ならびに1級審判インストラクターの表彰式が、1月26日(土)、2月2日(土)、10日(日)、それぞれJFAハウスにて行われました。
長らくサッカーやフットサルにおける日本のトップの大会・リーグを支えていただいた功績をたたえ、勇退者の皆様には記念品の授与が行われました。
▼勇退者一覧
※カテゴリー毎に五十音順
サッカー1級審判員
大西 保(1995年~2018年/大阪府)
廣瀬 格(2002年~2018年/京都府)
見付 和昭(2010年~2018年/青森県)
吉田 寿光(1993年~2018年/東京都)
サッカー女子1審判員
松浦 波瑠夏(2015年~2018年/新潟県)
米村 真由美(2007年~2018年/広島県)
サッカー1級審判インストラクター
内田 直人(2003年~2018年/山梨県)
大庭 弘毅(2009年~2018年/佐賀県)
岡田 昭 (1997年~2018年/大阪府)
小田川 正二(2001年~2018年/和歌山県)
菊地 秀夫(1999年~2018年/東京都)
木島 栄(2009年~2018年/北海道)※フットサル1級審判インストラクターも合わせて勇退
佐藤 満(1999年~2018年/群馬県)
塩屋園 文一(1999年~2018年/東京都)
田中 賢二(1999年~2018年/大阪府)
長岡 康規(1992年~2018年/兵庫県)
林 則治(1997年~2018年/愛知県)
森津 陽太郎(1996年~2018年/滋賀県)
フットサル1審判員
池田 浩之(2009年~2018年/三重県)
磯崎 政克(2006年~2018年/茨城県)
吉田 愛(2014年~2018年/京都府)
勇退者コメント
大西保 サッカー1級審判員(大阪府)
家族の理解と多くのサッカー仲間に支えられ、これまで1級審判員として活動をさせていただきました。何より、審判仲間の皆さんには、勇気とたくさんのご協力をいただき心より御礼を申し上げます。特に関西の審判仲間には、出来の悪い私をいつも温かく、時に厳しく、審判員としてどうあるべきかを学ばせていただき感謝しております。私一人ではここまでやってこられなかったと思っています。審判人生に一区切りとなりますが、自分らしい審判人生に納得しております。それぞれの試合におけるチームスタッフ、マッチオフィシャルのスタッフ、サッカーに関わるすべての方々に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
廣瀬格 サッカー1級審判員(京都府)
1992年に審判活動を始めてからこれまでの27年間はかけがえのない時間でした。仕事をしながらトレーニングを行い、コンディションを維持する時間を確保するのは容易なことではありませんでしたが、次の試合が日々のエネルギーとなり、ここまで続けることができました。審判活動を理解してくれる職場の同僚や管理職、大会を運営して下さる方々、週末には温かく送り出してくれる家族のおかげで試合に集中できる環境が整いました。そして、支え合う審判仲間がいて安心して試合に臨み、適切な助言をくださる指導者の方々のおかげで目標を持って自身を高め続けることができました。そして、我々の判定や判断を受け入れて共に良い試合へと導いてくれる選手やチームスタッフの方々にも感謝の気持ちでいっぱいです。選手がゴールを目指して懸命にプレーし、それに観客が引き込まれるスタジアムの中に身を置けることが幸せでした。
現役審判員の皆さん、選手やスタッフがその日までに積み重ねたことが思う存分発揮され、それを観ている人に幸せや感動、生きる力を与えられる試合を演出し、サッカーを通して日本を活気づけてください。私もこれから、そのお手伝いが少しでもできればと考えています。今後ともどうぞよろしくお願いします。
見付和昭 サッカー1級審判員(青森県)
東日本大震災があった2011年、1級審判員としての活動が始まりました。当初は震災の影響で審判活動もままならなかったのですが、たくさんの方々のご支援により審判活動をすることができました。また、多くの経験と貴重な体験をさせていただいたことに、感謝の言葉しかありません。審判員としての活動が、私を大きく成長させてくれました。まだまだ不完全燃焼なところはありますが、また次のステップに向けて頑張っていきたいと思っています。長い間本当にお世話になりました。ありがとうございました。
吉田寿光 サッカー1級審判員(東京都)
2018年7月7日、体力テスト不合格の日をもって、ワッペンは1級ですが、実質2級審判員としてピッチに立たせていただいております。
級が変われども、選手がプレーに専念できる環境を作るためにピッチに立つことは変わりません。活動を許されるカテゴリーで割当てられる試合に、今まで同様の準備をして臨みたいと思います。
皆様の御活躍は、一サッカーファンとして陰ながら応援させていただきます。
これまで私に関わりを持っていただいた皆様に心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
松浦波瑠夏 サッカー女子1級審判員(新潟県)
女子1級としての活動は、実質1年程度のものでしたが、本当に夢のような時間でした。大好きなサッカーにどんな形でもいいから関わっていたいという気持ちから審判を始め、ここまでやってきました。審判という世界を知り、そこで得たいろいろな経験や出会えた人々は、私の人生の財産です。
また、ここまで育ててくださった新潟県をはじめ北信越の皆様には、感謝してもしきれないほど、大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
いつかまたどこかで出会えた時、胸を張って皆さんにお会いできるように精進していきます。影ながら皆様の活躍を応援しております。
私の審判員としての活動に関わってくださった全ての皆様へ感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
米村真由美 サッカー女子1級審判員(広島県)
審判部の皆様、指導者の皆様、ここまで育ててくださった皆様、一緒に切磋琢磨した審判仲間の皆様、お世話になりました。本年度をもって女子一級審判員としての活動を退かせていただきます。
皆様に支えていただき、活動できました。ありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。
女子一級での活動は、楽しいことばかりではありませんでしたが、色々なことにチャレンジし、成長することができました。
怪我も多く、何度か心が折れそうになりましたが、色々サポートして、励ましてくれた仲間のお陰で最後は「フィールドの上で笛を吹く!」と誓い、頑張れました。実現でき、多くの仲間に見守られ本当に幸せです。
悔いなく、次の一歩を踏み出せます。
サッカーと出逢い、多くの方と出会い、たくさん学び、美味しいものを食べ、素敵な仲間と一緒に過ごした時間はかけがえのない宝物です。
「審判をやっていてよかった」そう思います。
本当に本当にありがとうございました。
内田直人 サッカー1級審判インストラクター(山梨県)
みなさまのおかげをもちまして、無事に職責を全うすることが出来ました。真にありがとうございました。
また、中銀スタジアムでお会いしましょう。
「計画は繊細に、行動は大胆に」
大庭弘毅 サッカー1級審判インストラクター(佐賀県)
大学(東京)から始めたサッカー、縁あって約半世紀、これまで長く関わりを持ち続け、九州(佐賀)での選手時代から指導者や審判員、審判指導者としてやってきました。
周囲の勧めもあり、50代で1級審判インストラクターにチャレンジ、当時最高齢で皆さんの仲間入りをして10年が経過しました。”これからが大変だよ”と聞いてはいましたが、大学同期との再会をはじめ、地域育成やNCにも関わらせていただき、学びや刺激の多い、感謝いっぱいの10年でした。全国大会では、若手の1,2級審判員や審判インストラクター、サッカー関係者との交流、出会いはかけがえのない大きな財産です。
これからは、また違った形で、各サッカー協会とも関わり、出来れば2023年の佐賀での国民スポーツ大会で皆さんと再会できることを楽しみにしたいと思います。”成せば成る、焦らず、あきらめず”を胸に、皆さまの活躍を応援しています。これまでお付き合いいただいた皆様にお礼申し上げます。ありがとう。
岡田昭 サッカー1級審判インストラクター(大阪府)
私は、昭和54年滋賀県のインターハイで1級昇格テストを受け、そこで合格しインターハイ・全国社会人リーグ・高校選手権を担うこととなりました。当時、国際審判員には、私の大先輩にあたる長岡さんや高田さん、田中さん、森津さん、十河さん、舘さん、菊池さんと、錚々たるメンバーが在籍されてご指導いただきました。長い任期の中でたくさんのことが思い出されます。中でも、印象的な思い出としては、30年近く前のゲームなのですが、ペナルティーエリア内での接触プレーで誤ってペナルティーキックの判定を行い、試合を5分間中断させてしまいした。当時はすごく落ち込みましたが、今となってはいい思い出です。このようなことがありながらも、私は皆さんに支えられ助けられて今日までくることができました。
一昨年の夏に3度目の脳梗塞を患い、思うように言葉が出てこなくなるなど、自分に限界を感じ、家族にも相談した結果、引退させていただくことにしました。皆様にはたくさんご迷惑をかけたことと思います。本当に長い間お世話になりました。ありがとうございました。
小田川正二 サッカー1級審判インストラクター(和歌山県)
現役の審判活動よりも長い18年間1級インストラクターとして携われたことは何物にも代えがたい最大なる財産となりました。女子カテゴリーから始まったアセッサー活動も最後は日本のトップレフェリー担当となり幅広く携われたことも貴重な経験でした。また、全国大会でのインストラクターや1級審査などを含めると年間50試合ほど審判員を拝見しましたが中でも将来を期待される優秀審判の発掘に携われたことと世界で活躍するトップレフェリーと時間共有ができたことも忘れ難い思い出です。また、日本のトップリーグと代表選手のプレーを特等席で観れることも任務とはいえ何より楽しみでした。そして若手審判員の新しいサッカー観や国際審判員の世界で培ったサッカー観と世界の流れ、競技規則の変遷などを学べたことも有意義でした。これからはお世話になった地元の審判育成と世界で活躍できる素晴らしいレフェリー輩出に向け微力ながら携わって行けたら幸いです。最後に残す言葉として「驥は自ら千里に至る者ならず伯楽を持ちて後に至るなり」を贈ります。”優れた才能もそれを見抜いた人によって初めて発揮される”との意です。長い間お世話になりました。
菊地秀夫 サッカー1級審判インストラクター(東京都)
思い出:Jリーグや全国大会等でアセッサーを担当しましたが現役時代の審判活動からアセッサーになってからも引き続き毎年高校サッカー選手権に泊まり込みで関わったのが印象強いです。我が家では、年末年始は父親は家に居ないのが慣例となってしまった感がありました。
審判員へ:自分の目標を明確に持ち日々努力しチャレンジしてほしい「あの時しておけばよかった」と悔いることのないように。
指導者の皆様へ:指導者一人一人が自分を超える審判員を育て上げ輩出されることを願っています。
木島栄 サッカー1級審判インストラクター/フットサル1級審判インストラクター(北海道)
1級審判員17年、1級インストラクター10年、フットサルインストラクターは13年間と長い間大変お世話になりました。
沢山の関係者と出会えたことが私の宝です。
現役諸君へ
カテゴリーはジュニアからユース、シニアそしてJリーグとさまざまですが
どのカテゴリーでも謙虚に真摯に立ち居振る舞うことが1級審判員としての使命です。
日本の審判員の見本となって欲しいと思います。
佐藤満 サッカー1級審判インストラクター(群馬県)
35歳で1級審判員になり、10年間JSL審判、45歳の時Jリーグが始まり、今までになかった競技場の雰囲気に変わりました。50歳で現役審判員を引退、翌年からインストラクターに係わりました。20年間があっという間に過ぎました。来シーズンから何をしようか戸惑っています。
長い間、好きなサッカーに関われたことは、家族や職場の理解があればこそと感謝しています。
現役審判員に何か良いコメントをといつも思って会場に行っていましたが、これといったアドバイスができず心苦しく思っています。長い間お世話になりました。日本サッカーの益々の発展を祈念しています。
塩屋園文一 サッカー1級審判インストラクター(東京都)
現役審判を定年の2年前に挫折し引退。その後、インスペクター→アセッサー業務を定年まで全う出来た事は、本当に嬉しい限りです。自分がアセッサーを担当しての喜びは、担当審判員4名がマニュアルに縛られずに工夫して臨機応変に対応する姿を見つけ出す事でした。また、試合は生き物で選手達にとっても審判員達にとっても、最後の最後まで何が起こるかわからないのがサッカーであり、どんな試合でも無事に(?)試合終了のホイッスルを吹いた審判団に敬意を表したいと思ってアセッサーに取り組みました。現役インストラクターの皆さんには、審判団の創意工夫を見つけてあげて欲しいと思います。
田中賢二 サッカー1級審判インストラクター(大阪府)
1977年、1級審判員になり、当時の日本サッカーリーグ、国際審判員、Jリーグ等々の審判員を担当、審判員を退任後は、マッチコミッショナー、審判インストラクターを担当させて頂きました、先輩から教えられた「平常心是道」という言葉を大切にしながら、自分の心に素直に40数年間、問題に突き当たった時、この言葉を思い出し前に進んできました、素晴らしい先輩、素晴らしい仲間と過ごした最高の時間も平成とともに幕を閉じます、これから新たな道を進んでいきます。皆様には長い間大変お世話になりました、ありがとうございました。
長岡康規 サッカー1級審判インストラクター(兵庫県)
これまでお付き合いいただき、ありがとうございました。引退となると、少しさびしいと同時に、「こうなったらいいのに」「もっとこうすればよかった」と思うことがあります。
①審判の世界は楽しい!
「審判はおもしろそうだ」と多様な人材が飛び込んでくるところ、また「若造」も4級審判員も自由に何でも言えるオープンでフラットなところ、今以上にそんな審判界になったらいいなあと願っています。そうなれば、きっと日本の審判員のプレゼンスにもプラスになるでしょう。
②審判はおもしろい!楽しい!
技術面のアドバイスはいろいろしましたが、「審判を楽しんでいる?」「審判はこんなところもおもしろいよ」と、もっと伝えられたらよかったと振り返っています。
③インストラクターはおもしろい!楽しい!
審判員に貴重な経験を聞かせてもらったり、あれこれ尋ねたり、教えてもらったりしたのはこの2、3年です。もっと出会いを楽しんだらよかったです。インストラクターが楽しいと、審判員も楽しいはずですから、残念です。
林則治 サッカー1級審判インストラクター(愛知県)
今もこれから先もサッカー大好き人間です。審判の立場でサッカーに関わったことは、人生の最大の喜びでした。皆様にはお世話になり感謝の言葉『有難う御座いました』の一言です。
森津陽太郎 サッカー1級審判インストラクター(滋賀県)
昨年は1級審判インストラクターとしての最後のシーズンでしたが、何とか無事に任務を終えることができました。ありがとうございました。
思い返せば、1980年に1級審判員に合格し、国際審判員としての活動やJリーグのスタートにも立ち会えるという素晴らしい経験させていただきました。審判員をリタイヤした後は1級審判インストラクターとしての活動をスタート。その間、審判委員会のメンバーとしても活動する機会をいただきました。いずれも私にとっては本当に貴重な経験だったと思っています。本当にたくさんの皆様に支えていただきました。改めて感謝申し上げます。
今しばらく、関西地域や滋賀県で活動させていただき、今までの経験を少しでも若い審判員の方々に伝えられればと思っています。
池田浩之 フットサル1級審判員(三重県)
今年度末をもってフットサル1級審判員としての活動から退かせていただくことにしました。
私自身、東海地域から初めてのフットサル専任の1級審判員として活動させていただきましたが、その活動は審判員としてだけでなく人間としても大きく成長させていただけた幸せな時間でした。
これも、一重にここまで支えてきてくださった日本サッカー協会・日本フットサル連盟・Fリーグの関係者の皆様をはじめ、時には厳しく時には優しくご指導いただいたインストラクターの先生方、苦楽を共にした全国の審判仲間、そして職場や家族の理解のおかげだと、心より感謝しています。
ピッチで過ごした時間は、私自身大変誇りであり、これからの人生の支えになるものと確信しています。
第一線を退きますが、これからはお世話になった皆様や日本フットサル界の更なる発展のために、少しでも恩返ししていきたいと考えています。
フットサルを愛する者として、皆様とまたピッチでお会いできる日を楽しみにしております。本当にありがとうございました。
磯崎政克 フットサル1級審判員(茨城県)
今シーズンをもって、フットサル1級審判を勇退させていただくこととなりました。
JFA審判部の皆様を始め、指導者の方々、1級審判の仲間、地域でサポートしていただいた方々等多くの支えがあって無事にフットサル1級審判を勤め上げることができました。あらためて支えていただいた多くの皆様に感謝申し上げるとともに、家族にも感謝の気持ちを伝えたいと思います。
フットサル専任の1級審判員としてFリーグの初年度からピッチに立ち、数々の経験をさせていただいたことは、自分自身にとって大きな財産となりました。
今後は少しでも恩返しができるようフットサルに携わっていきたいと思います。