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なぜ暴力・暴言・ハラスメントはダメなのか?

暴力・暴言・ハラスメントはスポーツにおいて「やむを得ない」と思っていますか。
なぜ暴力・暴言・ハラスメントを用いることはいけないことなのか。
明確な根拠を持ってそれを説明することはできますでしょうか。

サッカーの本質に反する

サッカーの指導において暴力・暴言等を用いてしまうことは、力、恐怖、苦痛で相手を支配しようとすることです。
それが常態化してしまうと、そういった刺激に対してプレーしてしまうようになる、そういった刺激でしかプレーできなくなると言われています。萎縮して、あるいは強制されて、自分自身の力が発揮できない、チャレンジができない。
これはサッカーの楽しさと本質的に反することです。

子どもに与える悪影響

暴力・暴言等を受けた体験がトラウマとなり、深刻なケースでは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥ってしまう場合もあります。そして最悪の場合には、致命的な結果を招くことがあることは、ご存知のとおりです。スポーツ界でこのようなことは二度と起こしたくありません。
また、暴力・暴言等が子どもの発育・発達に悪影響を与えることは科学的にも明らかになっています。その中には子どもの脳の成長や発達に深刻な影響を及ぼすという研究もあります。

その研究によると、 子ども時代に厳しい体罰を受けた脳は、感情や理性をコントロールする「前頭前野」の容積が、平均して19.1%少なく、萎縮していました。(※1) 子ども時代に暴言を受けた脳は、
コミュニケーションを取るときに重要な役割を果たす「聴覚野」が変形し、容積が平均して14.1%増加していました。(※2)

保護者や指導者にとっては「愛のムチ」のつもりであっても、子どもにとってはとても怖いことであり、目に見えない大きなダメージを与えているかもしれません。

負の連鎖

「自分は暴力・暴言を受けて育ってきた」「そういう辛い経験があったからこそ成長できた」と考える人がいて、その考えに基づいて指導をしてしまい、それが子どもに連鎖してしまうとも言われます。

大人がやっていることだから、自分も周りの人に同じように振る舞っても良いんだ、と子どもが誤解してしまうことにもなり得ます。暴力・暴言等を受けながらも、それに耐えて競技を続けてきた人もいる一方で、サッカーをやめてしまった人、心から楽しめなくなってしまった人がどれだけたくさんいるか分かりません。

この負の連鎖は、強い意思を持って、断ち切って行かなくてはなりません。次の世代に残すことは許されません。

サッカーを楽しむ権利がある

スポーツは本来、気晴らし、楽しみのために、自発的にするものです。
自分で判断して主体的にプレーすることが、サッカーの楽しみの一つです。サッカーは世界中で愛される魅力のあるスポーツであり、嫌いになったり、競技が続けられなくなったり、楽しみ続けられなくなるようなことがあっては残念でなりません。子どもたちの笑顔を失うことがあってはなりません。

サッカー、スポーツを楽しむことは、すべての人の権利です。そのためには安心・安全が大前提です。そのベースにはリスペクトがあるべきです。

【文献】
※1:Tomoda, A et al (2009) Reduced prefrontal cortical gray matter volume in young adults exposed to harsh corporal punishment. Neuroimage, 47 Suppl 2, T66-71.
※2:Tomoda A et al (2011) Exposure to parental verbal abuse is associated with increased gray matter volume in superior temporal gyrus. Neuroimage, 54 Suppl 1, S280-286.
厚生労働省(2020), 体罰等によらない子育てのために ~みんなで育児を支える社会に~
厚生労働省(2017), 子どもを健やかに育むために ~愛の鞭ゼロ作戦~

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