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ファンを大切にする ~いつも心にリスペクト Vol.134~
2024年07月25日
「ドイツ代表のキャンプを見に行きませんか」
そう誘ってくれたのは日本サッカー協会(JFA)広報部の加藤秀樹さん。1996年6月、イングランドで開催された欧州選手権の取材中のことでした。
前月末に2002年ワールドカップの日韓共同開催が決まり、日本のサッカー界は6年後のワールドカップに向けて本格的な準備に取りかかろうとしていたときでした。加藤さんの目的は、大会参加チームが「ベースキャンプ」でどのように過ごしているか、中でも、メディアに対してどんな対応をしているかの視察でした。
ドイツ代表は、マンチェスターの南30キロほどのところにあるマックルズフィールドという小さな町の北の郊外にあるゴルフ場を借り切り、そのロッジを合宿所にして、トレーニングはこの町のクラブのスタジアムを使用していました。合宿所には大きなテント建ての「メディアセンター」が仮設され、記者やカメラマンが仕事しやすいよう、あらゆる施設が整っていました。メディアサービスのためにスポンサーもつき、サービスは行き届いていました。このときの加藤さんの視察が、その後ワールドカップなどに出場したときの日本代表のメディアに対する行き届いたサービスとして生きたのは間違いありません。
さて私は、もちろん、自分の仕事に直結する「メディア対応」にも興味がありましたが、欧州選手権のような大きな大会に参加中のチームの合宿を見るというのは初めての経験で、どんな雰囲気でトレーニングをしているのかを見るのが大きな楽しみでした。
4部までのイングランドのプロリーグのすぐ下に当たるリーグでプレーしていた「マックルズフィールド・タウンFC(当時)」のホーム「モスローズ」は町の南の外れにありました。この日、ドイツ代表は一般のファンにもトレーニング見学を許し、北側のスタンド(立ち見席)を開放していました。
スタンドに上がると、たくさんの町民がトレーニングを見に来ていました。中でも目についたのが、制服姿の地元ハイスクールの生徒たちでした。聞くと、授業の一部をドイツ代表のトレーニング見学に充てたのだそうです。マックルズフィールドは人口6万人弱という小さな町ですが、宇宙工学で高名な大学もあり、教育レベルが高いことで知られています。
ただ見学を許しただけでなく、ドイツ代表は広報が中心になって見学者にドイツ代表チームのパンフレットやハンドブックを配り、ハンドブックに掲載された写真を見ながら選手に呼び掛けるファンもいました。町のお年寄り、サッカー好きで仕事を抜けてきた男性、そして中学生たち……。誰もが幸せそうな笑顔を浮かべていました。
コロナ禍以来、プロサッカー選手とファンの距離は離れたままになっています。Jリーグでは、コロナ禍前には多くのクラブがトレーニングを「原則公開」し、連日数十~数百人のファンが訪れ、練習後には選手たちが時間をかけてファンにサインをしている風景が当たり前でした。しかしコロナ禍でそれができなくなり、それが過ぎた今も「原則非公開」のところが多いようで、残念でなりません。
欧州では、以前は毎日ファンにトレーニングを公開していましたが、今世紀に入って「ビッグビジネス化」してからは、まったく非公開になってしまったところが多いと聞いています。
現代のプロサッカーでは、タイトル獲得だけでなく、一つの勝利、一つの勝ち点が大きな経済的意味(収入増)を持っています。その結果、クラブやチームはただ「勝つ」ことだけに集中し、彼らがよって立つファンの存在が希薄になっているように思えてなりません。
チームやスター選手がファンに感謝の気持ちを表現し、ファンもチームに親近感を持ち、応援しようという気持ちが強くなる――。そうした「相互関係」こそ、この社会におけるサッカーの最大の意味なのではないでしょうか。
28年前にイングランドの小さな町で撮影した1枚の写真、そこに映った少女の幸せそうな笑顔を見て、そんなことを考えました。
寄稿:大住良之(サッカージャーナリスト)
※このコラムは、公益財団法人日本サッカー協会機関誌『JFAnews』2024年6月号より転載しています。
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