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日本サッカー殿堂

掲額者

鬼武 健二ONITAKE Kenji
特別選考 2015年第12回日本サッカー殿堂入り
鬼武 健二
1939年9月19日、広島県生まれ

広島大学附属中学校でサッカーを始めた。同附属高校を経て、1958年より早稲田大学でプレー。関東大学リーグで優勝2回、東西学生王者決定戦で優勝1回。

1962年にヤンマーディーゼル(セレッソ大阪の前身)に入社し、1965年に開幕した日本サッカーリーグ(JSL)の1、2年目は主将を務め、3シーズン目に監督に就任した。釜本邦茂という不世出のストライカーを生かしながら、選手の個性を最大限に発揮させ、攻撃力のあるチームをつくり、1967〜77年度まで、JSL174戦で93勝を記録した最多勝監督。1968年度天皇杯全日本選手権、1971年度JSLでそれぞれ初優勝を果たし、JSLと天皇杯でともに優勝3回という偉業を成し遂げた。ヤンマーの黄金時代を築くとともに、吉村ネルソンを皮切りにブラジル出身の選手をうまくチームに溶け込ませ、個人のテクニックをベースにした新しいスタイルを構築して、その後の日本サッカーの重要な方向性のひとつを提示した。バックラインでボールを回しながら、チャンスをうかがうプレーなど、それまでの日本のチームには見られなかったものだった。

1992年にヤンマーのサッカープロ化推進室長、1993年からはセレッソ大阪代表取締役社長を務め、チームのプロ化とJリーグ加盟を果たした。

Jリーグ専務理事(2004年就任)を経て、2006年第3代Jリーグチェアマンに就任。ACLサポートプロジェクトの立ち上げによるJクラブのレベルアップ、U-13リーグ創設に代表されるアカデミー活動の充実、イレブンミリオンプロジェクトによる集客施策や環境改善に尽力した。

2011〜14年、大阪府サッカー協会会長として関西のサッカーの発展にも努めた。
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