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第11回日本サッカー殿堂 掲額者発表
2014年08月04日
日本サッカー協会は、第11回日本サッカー殿堂に故・諸橋晋六氏、小澤通宏氏、野村六彦氏の3人(特別選考)を掲額することを決定しました。なお、今回は投票選考の実施は、いたしませんでした。日本サッカー殿堂(日本サッカーミュージアム内地下1階)に掲額された方々の総数は、今回の3人を加え68人となります。
特別選考(3名)
故 諸橋 晋六(もろはし しんろく) 1922年7月13日生まれ
東京高等師範学校附属中学校でサッカーを始め、戦後、三菱商事入社後も実業団でプレーを続けた。同社ロンドン支店赴任中の1967年、当時の篠島秀雄JFA副会長に英国のサッカー番組を紹介。これを機に日本初のサッカーテレビ番組「三菱ダイヤモンドサッカー」がスタートした。同番組は、1968年から20年にわたって1,000回近く放送され、1970年からはFIFAワールドカップを初めて国内で放送するなど、日本サッカーの普及発展に大きく寄与した。また、1995年には2002年FIFAワールドカップ日本招致委員会副会長に就任し、ワールドカップの日本招致に尽力した。2013年没。
小澤 通宏(おざわ みちひろ) 1932年12月25日生まれ
栃木県立宇都宮高校、東京教育大学では、高校、大学の全国選手権に優勝。東洋工業の黄金期を支えたディフェンダー。メルボルンオリンピック、第3回(東京)、第4回(ジャカルタ)アジア大会に出場し、日本代表の中心選手として活躍。1950~1960年代半ばまで日本のトッププレーヤーであり、主将として日本代表チームを牽引。1962年の年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)受賞。1984年よりマツダサッカー部長をつとめ、サンフレッチェ広島の設立に尽力した。
野村 六彦(のむら むつひこ) 1940年2月10日生まれ
広島市立舟入高校、中央大学を経て日立製作所に入社。中央大学時代には全日本大学選手権3回優勝、関東大学リーグに初優勝し2連覇、4年時には天皇杯を含め、4大会に優勝。日立製作所では1965年第1回日本サッカーリーグ(JSL)得点王。1972年日本リーグ、天皇杯優勝時には年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)受賞。選手として、大学、日本リーグで長きに渡り国内トップレベルで活躍。選手引退後は日立の監督を経て、JSLやJリーグの試合を担当するマッチコミッショナーを務めた。また、2006年よりJリーグ規律委員長を務めるなど、20年以上にわたりJリーグの発展に貢献した。
※生年月日順
■投票選考(実施せず)
日本サッカー殿堂委員会にて、前回同様、日本代表50試合以上出場またはJSL1部150試合以上出場または年間最優秀選手受賞者を対象に候補者の選出を図ったが、「日本サッカー界に永年にわたり、顕著な貢献をした者」という内規に鑑み、議論の結果、今回は候補者選出が困難であると判断し、理事会にて「第11回日本サッカー殿堂」の投票選考は行わないこととした。