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デットマール・クラマー氏の訃報に際し、大仁会長、川淵最高顧問よりお悔やみの言葉
2015年09月18日
「日本サッカーの父」と称されたデットマール・クラマー氏が9月17日(ドイツ時間)、ライト・イム・ヴィンクル(ドイツ)で逝去されました。享年90歳。
ここに故人の生前のご功績を偲ぶとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。
クラマー氏の訃報に接し、公益財団法人 日本サッカー協会会長 大仁邦彌、最高顧問 川淵三郎からのお悔やみの言葉をお伝えいたします。
公益財団法人 日本サッカー協会会長 大仁邦彌
突然の訃報に驚いています。
日本サッカーの近代化は、クラマーさんによってもたらされたと言っていいでしょう。私も現役時代にクラマーさんの指導を受け、基本を徹底的に教えられました。特にインサイドキックを繰り返し指導されたことが懐かしく思い出されます。クラマーさんのお陰で日本サッカーリーグ(JSL)が創設され、それがJリーグにつながりました。クラマーさんがいらっしゃらなかったら今の日本サッカーの発展はなかったでしょう。
サッカーの話をし出すと止まらず、その熱意にはいつも驚かされました。サッカーへの情熱は最後まで変わらなかったと思います。
日本サッカーの大恩人の訃報を、日本全国のファンも関係者も悲しんでいると思います。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
公益財団法人 日本サッカー協会最高顧問 川淵三郎
クラマーさんと初めてお会いしてから55年。サッカーだけでなく、人生そのものを教えてくださった恩師で、今の僕があるのもクラマーさんがいてくれたからこそです。
これまでも何か気づくと必ずアドバイスの電話をくださり、その度に勇気づけられました。息子さんを亡くされたときに初めてクラマーさんの涙声を聞き、僕は「日本に僕たちクラマーさんの息子が大勢いるんだから、いつでも会いに来てください」と伝えました。
最後に話したのは去年。そのとき、「寂しいね」と、初めてクラマーさんの弱音を聞きました。
1960年当時、日本はアジアの弱小国でしたが、クラマーさんは、選手を一人前の紳士として扱ってくれた数少ない指導者で、あれほど真摯に、すべてを懸けてサッカーと人生哲学を伝えようとした指導者を僕はクラマーさん以外に知りません。クラマーさん、心から感謝しています。安らかにお眠りください。
デットマール・クラマー氏 略歴
1925年4月4日、西ドイツ・ドルトムント生まれ
1960年、第18回オリンピック競技大会(1964/東京)に向けた強化・指導にあたるため日本代表コーチとして来日。以後、わが国の強化、指導者養成、ユース育成等の礎を築き、日本サッカーの父と称される。第19回オリンピック競技大会(1968/メキシコシティ)ではアドバイザー的役割を果たし、日本の3位入賞・銅メダルに多大な貢献をする。1969年、千葉で開催された第1回FIFAコーチングスクールでは、スクールマスターを務める。その後もFIFA専任コーチとして世界70ヶ国を巡回指導。
1988年、茨城で開催されたFIFAコカ・コーラワールドユースアカデミーでの講師を務め、1989年、JFAの招聘により9回目の来日。2年間にわたり特別コーチを務める。
本国では、西ドイツ協会コーチ、バイエルン・ミュンヘン、バイヤー・レバークーゼン等のビッグクラブの監督を歴任。バイエルン・ミュンヘンの監督として、ヨーロッパチャンピオンズカップ(現・UEFAチャンピオンズリーグ)2連覇を果たす。
また、アメリカナショナルチーム監督、サウジアラビア代表監督、韓国オリンピック代表コーチ、サウジアラビアやギリシャのトップクラブの監督を務める。
1971年 勲三等瑞宝章、1996年 日本サッカー協会75周年記念功労賞
2005年 第1回日本サッカー殿堂入り
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