参加者が語るシニアサッカーの魅力 JFA第18回全日本O-60サッカー大会
2018年05月30日
JFA第18回全日本O-60サッカー大会は、兵庫県シニア60選抜(関西/兵庫)の優勝で幕を閉じました。この大会に参加した多くの選手の中から、今回の開催地である福島県、さらに相馬地区を“ホーム”とする福島シニア選抜の本多栄一選手に、冷めやらぬサッカーへの思いについて語っていただきました。
――サッカーを始めたのは、いつですか?
本多氏 横浜に住んでいた中学1年生の時です。学校にはサッカー部がなく、クラブチームでプレーしていました。中学3年の時に福島に戻って、それからずっとこちらにいます。社会人になってからも会社のサッカー部やクラブチームと、これまでずっと途切れることなくサッカーをしてきました。
――学業や仕事でのブランクもなく続けるというのは、簡単ではないことです。
本多氏 就職する時にも、サッカー部がある会社を紹介してもらいました。その後、独立しても、やはり生活の中心にはサッカーがありました。
――ずっと観戦よりもプレーが主体ですか?
本多氏 見ることも大好きです。国立競技場に日本代表の試合を見に行ったり、鹿島にJリーグの試合を見に行ったりしました。Jヴィレッジに、なでしこジャパンの試合を見に行ったこともあります。(2011年の)FIFA女子ワールドカップでの優勝は、うれしかったですね。
――今は地元でプレーしているのですか?
本多氏 相馬市を拠点にするクラブチームである相馬四十雀に所属しています。正確な人数は分かりませんが70~80人はいると思います。飲み会になると30~40人は集まりますよ(笑)。
――東日本大震災で、大きな影響を受けたのではないでしょうか?
本多氏 震災直後、当分サッカーはできないのではないかと思いました。相馬近辺も悲惨な状況でした。私の友だちにも、仕事で関係のある方にも、亡くなった方がいます。サッカーどころではありませんでした。
しかし、震災の数カ月後、「シニアの選手で集まってサッカーをやりましょう」と声をかけてもらいました。福島市内の十六沼というところに集まると、かなりの人数がいました。70人以上だったと思います。あれは良かったですね。その年の秋には、シニアの大会も行いました。
――そうした時期を経て、シニアの現在の活動状況はどのようなものですか?
本多氏 週に1回くらいは練習したいのですが、仕事もあるので月に2回くらいですかね。練習は、主に県選抜チームで行っています。毎週練習の予定はあるのですが、会場が福島市や郡山市、相馬や会津、いわきと転々とします。練習会場の近くの人が集まるのですが、なかなか全員でまとまって練習ができません。
今大会も新人が何人か入っていましたし、まだ意思の統一ができていません。今回も4点取られて負けた試合がありました。でも、まだまだやれることはあります。つまり、伸びしろがあるということです。連係さえうまくいけば、もっと良くなると思います。
――それだけのめり込めるのは、なぜですか?
本多氏 やはり、サッカーが好きだからですよ。それに、60代に入ると仕事も落ち着いてきますからね。
――シニアならではの楽しみはどのようなところですか?
本多氏 「飲ミニケーション」がありますからね。先日も静岡に遠征したし、去年はねんりんピックで秋田、一昨年は長崎へ行きました。これが楽しいんですよ。サッカーをやってきて良かったのは、仲間が途切れないことです。それがいいんです。
――Jヴィレッジの復活(7月28日)も近づいています。
本多氏 良いですね。日本代表も来てくれることでしょう。
震災後、仕事の関係で、Jヴィレッジにも行きました。悲惨でしたね。トラックが止まっていて、芝生の上には鉄板ばかり。サッカーどころではありませんでした。
でも、7年でここまでサッカーを取り巻く環境が戻ってくると思わなかったから、最高ですね。福島県民にとっても、良いことだと思います。
――まだまだ現役でプレーを続けていけそうですか?
本多氏 20年ほど前、Jヴィレッジで60代の試合で審判をしたことがあります。当時の60代のレベルは今の70代、今の60代は昔の50代に相当するように思います。レベルが上がっているんです。だからこそ、続けたいですよね。80歳以上でリーグ戦をやっている県もあるんですから。
最後に相馬光陽サッカー場の施設建設にご支援いただいた日本サッカー協会に感謝申し上げます。また、ワールドカップロシアに出場する日本代表に、エールを送ります。
大会期間:2018年5月26日(土)~5月28日(月)
大会会場:福島県相馬市/相馬光陽サッカー場[天然芝3面/人工芝1面]