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【オリンピックへつなぐたすき】森本貴幸選手インタビュー(アビスパ福岡/元日本代表)
2020年03月18日
目の前の試合に全力でぶつかることで、必ず自分に返ってくるものがある
若くしてJリーグデビューを果たし、早々と海を渡った森本貴幸選手(アビスパ福岡/元日本代表)。2008年の北京オリンピックでの悔しさを糧に、クラブや代表チームでさらにステップアップを遂げました。オリンピックを経験して感じたこと、その後のサッカー人生、そしてオリンピック代表へのメッセージを聞きました。
日本を代表して戦うことに気が引き締まった
――2008年の北京オリンピックに出場しましたが、まずは当時のメンバー争いについて振り返ってください。
森本 実は僕、予選に1試合も出ていないんです。最後の最後で、メンバーに滑り込んだ形でした。
――オリンピック出場メンバーに選ばれたときの気持ちは。
森本 サッカーの世界では一般的にワールドカップの方がメジャーな大会だという見方があると思いますが、それでもオリンピックは誰もが知っている大会なので、そこに参加できることは素直にうれしかったです。それと同時に、日の丸を背負って、日本を代表して戦うことに対して気が引き締まりました。
――当然喜ばしいことだったと思いますが、チームになじむという点では難しさもあったのではないでしょうか。
森本 8月のオリンピックに向け、長い期間をかけて準備を進めていたU-23日本代表でしたが、僕が初めてそのチームに招集されて合流したのが、本大会の3カ月前、5月にフランスで行われた第36回トゥーロン国際大会でした。しかも、毎日一緒に練習するわけではないので、トゥーロン国際大会の後の国内合宿では、他の選手とのコミュニケーションを深めること、それから反町康治監督の戦術を理解するためにかなり集中して臨んでいたことを思い出します。
――当時のU-23日本代表で、海外クラブに所属していたのはカターニア(イタリア)の森本選手とオランダのVVVフェンロに在籍していた本田圭佑選手の2人だけでした。オリンピック後に多くの選手が海を渡ることになりますが、当時、海外でプレーすることについて他の選手たちとは話をしましたか。
森本 みんなが海外でのプレーに興味津々で、たくさんの選手からいろいろなことを聞かれました。そのときに僕が話したことは、まず海外でのプレーは面白い、と。日本とは異なる厳しさ、激しさがあり、その中でもまれることによって選手として、それから人間的にも成長できるんじゃないか、という話をしましたね。圭佑なんかがそのときに近くにいたりすると「そう、オモロイで」と会話に入ってきたりしましたね。
うまく歯車がかみ合わず、3連敗でグループステージ敗退
――オリンピックではアメリカ、ナイジェリア、オランダと戦いました。初戦のアメリカ戦で先発して72分までプレーしましたが、結果は0-1の敗戦でした。
森本 アメリカ戦では、自分が思っていたプレーができず、チームとしても良くなくて。まず会場の天津がすごく暑くて、僕だけではなく、他の選手も体が重い感じで、チーム全体として走れていませんでした。それでアメリカに一発ドンッと決められて、気持ち的に落ち込んで、そのまま敗れたんですよね。
――敗因をどう考えますか。
森本 敗因は一つではないと思います。コンディションが悪かったのは確かですが、それはアメリカも同じですから言い訳にはなりませんし、歯が立たないくらいアメリカが強かったかというと、そうでもないですしね。でも、チームとして戦う、という面では相手の方が上だったと思います。僕らはうまく歯車がかみ合っていない感じがありました。僕らのチームはその顔触れがすごかったけど、その分、個の力で勝負するという意識が強かったんだと思います。
――2戦目のナイジェリア戦では出番はなく1-2で敗れ、3戦目のオランダ戦は80分から出場しましたが、0-1で敗れて3連敗でグループステージ敗退となりました。
森本 3試合を中2日のスケジュールで戦っていたので「本当に一瞬でオリンピックが終わってしまったな」という感じでした。(長友)佑都君やウッチー(内田篤人)はそのときすでに日本代表でプレーしていましたから、最強と言っていいメンバーです。それだけに、グループステージ敗退という事実はなかなか受け止めることができませんでした。ただ、後々に振り返ったときに、先ほども言ったように、チームとしてのまとまりというか、グループとしての力が足りなかったんだろうな、と考えるようになりました。
長いサッカー人生で、3連敗は本当に良い糧になった
――オリンピックでの悔しさをばねに、次に向けてどう動き出しましたか。
森本 とにかく悔しかったので、クラブに戻って活躍しようという気持ちになりました。同じFWの岡崎慎司君とも「今シーズンはそれぞれのクラブで点を取りまくろうぜ」と話しました。それと2年後に控えていた2010FIFAワールドカップ南アフリカも「絶対に行こうぜ」と約束しました。
――オリンピックからクラブに戻った後のカターニアでの成績は。
森本 2008-09シーズンは確か7得点(23試合出場)を挙げてイタリアでの自己最多得点で、翌年も5得点(27試合出場)を取りましたね。岡崎君も確か、清水エスパルスでレギュラーをつかんでゴールを重ね(10得点、08年)、翌年も確か15ゴール近く(14得点)を挙げたんじゃなかったですかね。
――北京での悔しさが成長のエネルギーになったということですね。
森本 結局、北京オリンピックを戦ったメンバーそれぞれのその後を考えると、あの3連敗の悔しさが相当の力になったと思いますね。周囲の評価も厳しくて、メディアでも「オリンピック史上最弱のチーム」という言い方をされましたので、悔しさを晴らすためには、自分たちが世界レベルに近づかなければならないという強い思いが生まれて、そのためにそれぞれが海外クラブでのプレーを選んでいくわけですからね。僕自身も悔しさと同時に強い危機感を持ったので、日々のトレーニングに臨む熱が相当上がっていたと思います。それがピッチでのパフォーマンスにつながったんだと思います。
――後々「あの3連敗があって良かった」と思うことができたのでしょうか。
森本 他の選手はどうか分かりませんが、少なくとも僕は良かったなと思えるようになりました。もちろん、一つでも勝ちたかったという思いもありましたけどね。当時の僕たちは20歳そこそこで、その後のサッカー人生がまだ長かったわけですから、あの3連敗は本当に良い糧になったと思います。
――そうした経験をした森本選手だからこそ、東京オリンピックを目指す選手たちに贈ることができる言葉もあると思います。
森本 もちろん勝利を目指して戦うのですが、今回は自国開催ですから相当なプレッシャーもかかってくるでしょう。勝負の世界ですから結果がどうなるか分かりません。ですから、どうなるか分からない結果を気にし過ぎるのではなく、まずは目の前の試合に恐れず全力でぶつかること。そうすることで、何かしら必ず自分に返ってくるものがあります。返ってくるものの大きさは、きっと今みんなが思っている以上のものになるはずです。それをしっかりと受け止めて、その後の自分に生かしてほしいと思います。
正直、自国開催のオリンピックに出られることはうらやましい。「めったにないチャンスを全力で楽しんでやろう」、それくらいの気持ちで臨んでほしいですね。
(このインタビューは2月下旬に実施しました)
プロフィール
森本 貴幸(もりもと たかゆき)
アビスパ福岡所属
1988年5月7日生まれ/神奈川県出身
東京ヴェルディジュニアユース所属時の2004年にトップチームデビュー。06年にはイタリアのカターニアへ移籍し、5シーズンにわたって活躍した。その後は、ノヴァーラ(イタリア)、カターニア、アルナスルSC(アラブ首長国連邦)と海外でプレーを続け、13年に国内復帰。帰国後は、ジェフユナイテッド千葉、川崎フロンターレ、18年からは福岡に所属。代表では、05年にFIFAワールドユース選手権(現FIFA U-20ワールドカップ)、08年に北京オリンピックに出場。日本代表でも2010FIFAワールドカップ南アフリカのメンバーに選出される。国際Aマッチ10試合出場、3得点。