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朝日新聞 日本サッカー協会100周年企画 「あなたが選ぶ日本サッカー名勝負10番」(前編)
2021年07月26日
サポーティングカンパニーの朝日新聞は、日本サッカー協会の創立100周年を記念して「あなたが選ぶ日本サッカー名勝負10番」を募集しています。
https://www.asahi.com/sports/events/
meishobu10/
今回の企画に際してリストアップした名勝負250試合から、「田嶋幸三会長が選ぶ日本サッカー名勝負10番(前編)」をご紹介します。
あなたが選ぶ名勝負10番
公益財団法人日本サッカー協会
会長 田嶋幸三
今年、日本サッカー協会は創立100年を迎えます。日本サッカー黎明期、過渡期、成長期と、その時代ごとに語り継がれる名勝負や歴史的な一戦がありました。1993年のJリーグ開幕と2002年のFIFAワールドカップ日韓大会以降、日本サッカーは長足の進歩を遂げました。サッカーの人気やレベルが上がるにつれて底辺も拡大。ユース年代や女子の選手の育成・強化も進み、有能な選手が続々と輩出されています。次の100年も日本のサッカーを彩る名勝負、名場面がその歴史に刻まれていくのでしょう。
さて、私が選ぶ「名勝負10番」――少年時代から最近の試合までを時代を追って振り返ってみたいと思います。
①No.21 1970年8月29日 国際親善試合 日本vsベンフィカ・リスボン(ポルトガル)
この試合を観戦したのは私が中学1年生のときで、このとき初めて国立競技場を訪れました。エウゼビオ選手が、角度のないところからボールをつま先でちょんと浮かせると、そのボールはGKの頭を越えてゴールに吸い込まれていきました。
エウゼビオ選手はペレ選手と並び称されるスーパースターで、陸上選手並みのスピードと強烈なシュートで他を圧倒。また、どこからでもゴールを決められるぞ、という自信に満ちたプレーが、13歳の私には衝撃的でした。「世界ってすごいんだなぁ」と心底、驚きましたし、「もっと頑張らなきゃいけない」「ああいったプレーを目指さなければ!」という思いを強くしたのを覚えています。
②No.48 1984年4月15日 ロサンゼルスオリンピックアジア/オセアニア地区最終予選 日本vsタイ
ロサンゼルスオリンピックは初めてプロ選手の参加が認められた大会です。アジア予選はシンガポールで行われました。私と一緒にJSLなどでプレーしていた仲間たちが日本代表として頑張っていて、このタイとの一戦は、「オリンピックに行けるぞ」とワクワクしながら観ました。
ところがその期待とは裏腹に、この試合でハットトリックを達成したピヤポン(・プオン)選手に先制されると、その約10分後にチヤロール選手に追加点を挙げられ、前半で2失点。後半も開始早々、立て続けに2点を奪われました。
毎回、アジア予選を見ていて気が抜けないのはこの試合がトラウマになっているから。現在は日本も強くなり、相手チームの戦術や選手の特徴を分析するスカウティングがしっかりしていますが、この頃はまだ相手チームの情報を入手する術もわからなかった。アジアでの予選の怖さを知った印象的な試合でした。
③No.80 1993年10月25日 FIFAワールドカップアメリカ‘94アジア最終予選 日本vs韓国
この前年に広島でAFCアジアカップが開催され、日本は初のアジア王者に。翌年にはJリーグが開幕して爆発的な盛り上がりとなりました。この年に行われたワールドカップ予選は、“夢のまた夢”だったワールドカップがにわかに現実味を帯び、日本はその勢いに乗って最終予選まで進みました。
相手はそれまでなかなか勝てなかった韓国。森保一選手(現、日本代表監督)が警告の累計で出場できず、オフト監督はラモス瑠偉選手をボランチに置き、運動量豊富な北澤豪選手をスタメンに起用する策に打って出ました。決勝点を決めたのは三浦知良(カズ)選手。貪欲にもぎ取った、カズらしいゴールで、彼が持つオーラと運の強さを感じました。それまでなかなか韓国に勝てなかっただけに、「よし、これでワールドカップに行ける」と自信を新たにしました。
イラクとの最終戦は岡田武史さんとテレビの解説を務めることになっていたため、この試合の後、帰国の途に就きました。高揚感に浸って帰国した私はその翌日、あの「ドーハの悲劇」を味わうのです。
④No.85 1994年10月30日 アジアユース(U-16)選手権 日本vsオマーン
小野伸二選手、稲本潤一選手、高原直泰選手ら、後に「黄金世代」と謳われたメンバーで臨んだ大会。序盤は苦戦を強いられるも3戦目で韓国に3-0で勝ち、次のバーレーン戦も3-0で勝利、オマーンとの準決勝を迎えました。
日本は終盤までオマーンにリードされていましたが、試合終了間際に同点とし、試合は延長戦へ。ゴールデンゴールのルールが採用されていたため、高原選手がゴールを決めた時点で試合終了。タフな戦いだっただけに決勝戦よりも鮮明に覚えていますが、選手たちはどの相手にも全く動じることなく、堂々とプレーしていました。「次の10年、日本はやれる!」と確信できる試合でした。
⑤No.93 1996年3月24日 アトランタオリンピック1996最終予選 日本vsサウジアラビア
アトランタオリンピックの最終予選はマレーシア近郊のシャーアラームという街で行われました。強化委員会(現、技術委員会)の委員長だった加藤久さんと副委員長の私は、サウジアラビア代表の練習場近くのマンションに行き、グラウンドが見渡せるお宅に入れてもらって練習の様子を撮影するなど、オリンピックに出場するため日本サッカーを挙げてこの試合に臨みました。それがピッチにいる選手にも伝わったと思います。
このことは、後に技術委員長や専務理事になったときに、勝つためにはチームだけが努力するのではなく、サッカー界が一丸となって取り組まなければならない。それがピッチにいる選手やスタッフに伝播し、ファンやサポーターに伝わり、大きな力になるのだと痛感しました。
オリンピック出場を逃すわけにはいきません。28年ぶりのオリンピック出場を目指し、日本サッカー界の総力を結集して臨んだ試合でした。日本はこの試合を勝利して最終予選を3勝1分とし、韓国との最終戦を残して本大会出場を決めました。今までの苦労が報われた、そんな思いでした。
苦しい試合ではありましたが、中田英寿選手、前園真聖選手、伊東輝悦選手ら、次の日本代表を担う若い選手が相手を圧倒し、日本は強くなったと誰もが思うような戦いぶりでした。この勝利がワールドカップ初出場、そして今につながっていると思います。
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