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2021シーズンで勇退したサッカー1級・女子1級・フットサル1級審判員を表彰

2022年03月07日

2021シーズンで勇退したサッカー1級・女子1級・フットサル1級審判員を表彰

2021年のシーズンをもって勇退したサッカー1級・女子1級審判員の表彰式が、1月15日(土)にオンラインで行われました。(フットサル1級審判員の表彰式は後日開催)
日本トップの大会・リーグを長きにわたり支えた功績をたたえ、勇退審判員には表彰状が授与されました。なお、フットサル1級の勇退審判員の表彰は後日行われる予定です。

勇退者一覧 ※カテゴリー毎に五十音順

サッカー1級審判員

家本 政明(1996~2021/神奈川県サッカー協会)
岡野 宇広(2002~2021/新潟県サッカー協会)
日高 晴樹(2008~2021/宮崎県サッカー協会)
村上 伸次(2002~2021/岐阜県サッカー協会)

女子1級

平山 歩(2008~2021/熊本県サッカー協会)

フットサル1級審判員

小野寺 祐(2006~2021/神奈川サッカー協会)
間島 宗一(1997~2021/三重県サッカー協会)

勇退者コメント

家本政明 審判員(神奈川県サッカー協会)
長きに渡り、我々審判員が何不自由なく、そして気持ちよく審判活動できるよういつも夜遅くまで尽力いただいた歴代の日本サッカー協会審判部の皆さま、本当にありがとうございました。そして浅見さん、高田さんをはじめ歴代の審判委員会の皆さま、審判指導者の皆さま、現役審判員の皆さま、本当にありがとうございました。中でも、特に僕がお礼を申し上げたいのは、中道さん、中熊さん、森崎さんをはじめ京都時代に関わったすべての京都府サッカー協会所属の審判仲間の皆さま、森津さん、河内さんをはじめ関西サッカー協会所属時代に関わったすべての審判仲間の皆さま、そして神奈川県サッカー協会所属の審判仲間の皆さまです。皆さまの支えがなければ、わがままで、やんちゃで、どうしようもなかった僕が、今日まで臆することなく自由気ままに審判活動を続けられたことも、このような立場でお礼を申し上げることもありませんでした。僕を育てていただきまして、本当にありがとうございました。審判 家本政明は、2021年をもって卒業します。皆さま、今まで本当にありがとうございました。

岡野宇広 審判員(新潟県サッカー協会)
毎シーズン、毎月、毎週のFIXTUREを眺めながら、試合が出来る喜びで過ごすのは、19年の時間の経過を殊更早め、人生の半分以上をこの活動に費やしてきたのが信じられないほど充実した時間でした。まずはこの場を借りて、審判活動を始め、継続するにあたって良い方向へ導いて下さった先輩方、フィールドの内外で時間を共にしてくれた仲間、また常に活動を裏で支えて下さったJFA及びJリーグのスタッフの皆様に感謝申し上げます。私自身審判活動は常に仕事との兼ね合いが悩みでした。しかしそうした「兼務」で活動していく人たちが今後も審判界の大きな部分を支えていくのは変わりないはずです。大変だとは思いますが、日本のサッカーを発展させていくフィールド上のプロとしての誇りをもって頑張って下さい。ワールドカップのベスト8や4、優勝を目指して日本のサッカーが埋めていくべきことはまだあると思います。審判は間違いなくそのための1ピースです。よく試合の時に言っていました。「競技規則の正しさを教えて、選手のプレイを上達させてやれるのは、審判しかいない」と。今後は皆さんの活躍を陰から応援していきます。

日高晴樹 審判員(宮崎県サッカー協会)
2021年シーズンをもって、1級審判員を勇退することになりました。これまで活動をともにさせていただいた審判員の皆様、ここまで導いてくださった指導者や審判委員会の皆様にはいろいろと大変お世話になりました。審判活動を通して、多くの経験と貴重な体験させていただいたことは私の人生の財産となりました。みなさまの今後のご活躍を心から願っております。これまで私に関わりを持っていただいた皆様に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

村上伸次 審判員(岐阜県サッカー協会)
各都道府県FA Jリーグをはじめ各クラブの皆様、JFA そして全国各地の審判員のみなさま、大変お世話になりました。1級審判員村上伸次は2021シーズンをもって現役を引退しピッチから去ることを決めました。選手としてJリーグのピッチに立つことを目標にしてきましたが願いは叶わず、路頭に迷っている時にレフェリーとしてなら違う立場でピッチに立てるのではないか?という思いから審判の勉強を始めました。1997年の事です。あれから24年が経ちJリーグ506試合 通算600試合以上のレフェリーを務めることができました。博や学はないインパクトだけはある一審判員をここまでサポートして頂いた皆様にこの場をお借りして感謝申し上げます。特に近年はコロナ対応が大変な中、各クラブ、Jリーグ、JFAの皆様には試合の事前連絡、移動動線の連絡など、きめ細やかなご対応にも感謝申し上げます。
審判員の皆様においては、時には楽しく時には厳しい言葉を掛けたことが今となっては良い思い出となり、「90分は仕事をする」と割り切った気持ちで仲間と試合を創ったことは財産になっています。今後は審判員をサポートする立場で愚直に取り組みたいと思います。皆様のご活躍を祈念し結びの挨拶とさせていただきます。

平山歩 審判員(熊本県サッカー協会)
サッカーの審判を始めてちょうど20年。これまで家族や審判員の方々、指導者の方々、試合運営の方々、職場の方々、たくさんの方々のおかげで女子1級審判員として活動することができました。心より御礼を申し上げます。女子1級審判員になってからは、嬉しい時も辛い時も苦しい時もたくさんありましたが、人間としても成長することができたと感じております。また、仕事と子育てと審判との両立で心が折れそうになったときもありましたが、支えてくれた家族のおかげで、自分らしく続けることができたのかなと思っています。感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

小野寺祐 審判員(神奈川県サッカー協会)
JFAの職員の皆様、JFA審判委員会の皆様、レフリーインストラクターの皆様、チーム関係者の皆様、フットサル、サッカー、ビーチサッカーレフリーの皆さん、本当にありがとうございました。そして、すべてのフットボールファミリーの皆さんにも感謝の気持ちで一杯です。
16歳からサッカー審判員として始めて、2007年からフットサル1級審判員として活動してきました。たくさんの失敗があり、たくさんの成功があり、いろいろな経験をさせていただきました。Fリーグの元年からレフリーとして参加できたことは、とても光栄なことでした。
2008年から2015年まではビーチサッカーの国際審判員として、2008年、2009年、2011年、3回のFIFAビーチサッカーワールドカップに参加できました。ワールドカップでは、2008年、準決勝の第2審判員、2009年は準決勝の主審を務めることができました。世界のレフェリー、世界の選手と同じ舞台に立ち、レフェリングができたことは一生の思い出になりました。これも、フットサル1級審判員にとして活動ができたからこそ、ビーチサッカーの国際審判員として、成果を残すことができました。
これからは、自分を育ててくれた、サッカー、フットサル、そしてビーチサッカーに少しでも、自分の経験を次世代の皆さんに伝えていけたらと考えています。
最後に、自分を支えてくれた妻、子どもたちに感謝を伝えたいと思います。

間島宗一 審判員(三重県サッカー協会)
フットサルは、1997年第2回全国フットサル選手権にアポイントをいただきフットサル審判が始まりました。そこから毎年フットサルの大会に参加するたびに、目まぐるしくレベルアップして行く競技技術、それに対応できるレフェリング、フットサルの魅力を追い求めてきた25年間でした。JリーグとFリーグの2つのステージで審判させていただき、年間を通して活動をしていたのは大変なこともありましたが、そのお陰で怪我が少なかったと思います。大会中に起きた東日本大震災やバリ島爆破テロ事件の一週間後に行われたインドネシアでのアジア選手など様々な出来事を体験したのもフットサルでした。色々な経験と多くの方々との出会いが、人として成長させていただいた審判活動だと感じております。
この25年間はたくさんの方々にお世話になりました。JFAの皆様、日本フットサル連盟の皆様、Fリーグの皆様、東海および三重県のフットサル連盟の皆様、ご指導をいただいたインストラクターの皆様、共に切磋琢磨し、試合中・試合外でもご協力いただいたフットサル審判員の皆様、多くの方々に支えていただいたお陰です。心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

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