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これからも共に ~Jリーグ30周年の記念すべき日によせて~|【コラム】 田嶋幸三の「フットボールがつなぐもの」vol.19

2023年05月15日

これからも共に ~Jリーグ30周年の記念すべき日によせて~|【コラム】 田嶋幸三の「フットボールがつなぐもの」vol.19

日本ではマイナーだったサッカー

1993年5月15日、国立競技場でJリーグが幕を開けてから今年でちょうど30年。あの日、私はテレビの解説を頼まれて国立競技場の放送ブースにいました。長いトンネルの先にあった華々しい舞台、あの光景を私は一生、忘れることはないでしょう。

今から63年前、日本蹴球協会(現、日本サッカー協会/JFA)の野津謙会長の英断で、JFAはドイツサッカー連盟に指導者の招聘(しょうへい)と日本代表の欧州遠征の協力をお願いしました。

今の若い人たちはJリーグ開幕前の日本サッカーをご存知ないと思いますが、当時、サッカーは日本ではマイナースポーツで、アジアでも弱小国。4年後に地元で開催されるオリンピックで無様な戦いはできないと、JFAは、日本代表の強化に乗り出したのです。

1960年8月、日本代表チームは約50日にわたる遠征をスタートさせました。ソ連(当時)などを経由し、西ドイツ(当時)で、のちに日本代表のコーチとなるデットマール・クラマーさんに指導を仰ぎます。川淵三郎さん(JFA相談役)ら日本代表チームの面々は、クラマーコーチの理論的で実践的なコーチングに感銘を受けたそうですが、何より、合宿地となったデュイスブルクのスポーツシューレの素晴らしいスポーツ環境は衝撃的だったといいます。

JFAを挙げての強化策は奏功し、1968年のメキシコオリンピックで銅メダルの快挙を成し遂げました。その影響でサッカー少年団が全国に誕生するなど人気を博しましたが、数年のうちに鎮静化し、その後、日本サッカーは長い間、暗黒の時代に突入します。クラマーさんの提言を受けて1965年にスタートした日本サッカーリーグ(JSL)も低迷し、観客も数えるほどに。日本代表もオリンピックはおろか、ワールドカップなど夢のまた夢といった状況でした。

メキシコオリンピックから20年後、JSLの活性化に向けた検討が始まり、サッカーのプロ化に行き着くわけですが、プロ化をけん引した川淵さんら諸先輩はスポーツシューレで見た感動を忘れてはいませんでした。スポーツが人々の生活に根ざし、誰もが目的やレベルに合わせてスポーツができる環境――。つまり、日本に欧州のようなスポーツ文化を創造しようという壮大な夢を掲げ、Jリーグを誕生させたのです。

プロ化するにあたってはさまざまな困難がありましたが、「失うものは何もない」と、川淵さんらサッカー関係者は奔走。ついにJリーグ創設にこぎつけました。

Jリーグの進化に隔世の感

国立競技場で行われた開幕戦は、忘れもしません。日本のスポーツの新しい時代の到来。閑古鳥が鳴くJSLでプレーした経験がある私としても涙なくしては見られませんでした。

Jリーグが開幕すると、瞬く間にサッカーは人気スポーツとなり、今や国民的スポーツになりました。Jリーグの取り組みによってサッカーの裾野が拡大し、トップレベルも急速に力をつけていきました。開幕3年目の1996年にはU-23日本代表が28年ぶりにオリンピック(アトランタ大会)に出場。FIFAワールドカップは、1993年の“ドーハの悲劇”を経て1998年に悲願の初出場を達成しました。以来、7大会連続で本大会に出場しています。そして今、Jリーグで研さんを積んだ多くの選手がヨーロッパのトップリーグで躍進するまでになっています。

Jリーグ開幕の前年(1992年)、私はプロ選手やプロチームの指導ができるS級コーチライセンスの立ち上げに関わりました。プロ選手を育てるためには指導者もプロでなくてはなりません。以降、指導者養成講習会の内容も日本サッカーの成長に鑑みて改善を重ね、現在、S級のライセンス保有者は520人を超え、多くの指導者がJリーグや日本代表チーム、アジア各国で活躍しています。

レフェリーも同様にトップレベルを追求し続けています。Jリーグ草創期は欧州から経験豊富なレフェリーを招聘するなどして伝統とトレンドを学びました。今では日本人プロフェッショナルレフェリー(PR)も増え、2022年には女性PRも誕生。J1リーグで素晴らしい活躍を見せています。

「Jリーグ百年構想」をキーワードに発信してきたJリーグの理念は、プロ野球やBリーグ(バスケットボール)にも波及し、地域スポーツの発展はもちろん、地域活性化にも貢献しています。

Jリーグの社会連携活動「シャレン!」は全国で年間2万5000件も行われており、スポーツ先進国の環境に近づいていることを感じます。これからもJクラブは、地域に根を張り、自治体や地域住民、企業との協力体制を維持しながら発展し続けていくでしょう。30年でこれだけ成長し続けているのですからあと数十年後には、「Jリーグ百年構想」が掲げる「スポーツで、もっと、幸せな国へ」が具現化されているのではないでしょうか。

日本サッカーにとって、Jリーグにとって、またクラブにとって、そして選手や審判員、ホームタウンの皆さま、サッカーファミリーや支えてくださる企業、そして日本社会にとって何ができるのか。これからもJFAとJリーグは車の両輪となって豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献していく考えです。

開幕から30年、10クラブでスタートしたJリーグが60クラブにまで拡大したことに隔世の感を禁じえません。しかも、その記念すべき年に浦和レッズが大会史上最多3度目のアジア王者となり、開幕30周年に華を添えてくれました。

多くの人々がJクラブを支え、大切に育ててくださっているからこそ、現在のJリーグがあります。サッカーに関わってくださった多くの皆さま、そして、物心両面で支えてくださった皆さまにあらためて感謝の意をお伝えしたいと思います。これからもJリーグを応援していただきますようよろしくお願いします。

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