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異なったものをリスペクトする ~サッカーの活動における暴力根絶に向けてVol.98~

2020年09月03日

異なったものをリスペクトする ~サッカーの活動における暴力根絶に向けてVol.98~

サッカーが戻ってきた。

この冬に始まり、さまざまに世の中を震撼させてきた新型コロナウイルス感染症による未曽有の事態。緊急事態宣言も解除され、まだまだ多くの制限があるものの、Jリーグも再開し、かつての日常に向けて進み出している。近くには、その他さまざまなサッカーの活動も再開されていくに違いない。

聞き捨てならないと感じるのが、感染者(濃厚接触者を含む)、医療従事者などに対する誤解に基づく偏見と差別。誰とて感染したいわけではなく、感染してしまっただけである。ましてや医療従事者の方々は、新型コロナウイルス感染症対策の最前線で働いていただいている。風評やデマを信じての行動は、新型コロナウイルスそのものよりもずっと怖い。

逆に、感染を心配して行動を自粛しようとしている人への差別も心配だ。サッカーが始まったが、参加に二の足を踏む人もいるだろう。この人たちを逆に遠ざけたり、排除したりしようとすることは絶対に許されない。そんなふうに思う仲間が不安と感じることを理解するとともに、安心してプレーできる環境をつくり、早い復帰を可能にすることが肝要だ。

アメリカを中心に、黒人に対する人種差別が大きな社会問題になっている。差別にはいくつかの類型があるのだろうが、原因の一つに他者排除が考えられる。何か“異なったもの”が入ってくると、それまで安定していた状態が崩れる。“異なったもの”は、もしかすると人種であったり、宗教や性的指向、あるいは信条やものの考え方であったりする。自分とは相容れないものは怖く、不快に感じ、排除する。村社会である。異なったものがあることのすばらしさ、異なったものをリスペクトすることの必要性は感じられないのだろうか。

もう一つは、弱者に対する差別。マイノリティーに対して、また、残念ながらまだ存在する男性の女性に対する差別。差別ではないかもしれないが、自分の優位性を盾に、弱者に対しての攻撃。とても怖い。

2019年の日本サッカー協会(JFA)の暴力等根絶相談窓口へ相談件数を見ても分かるが、相談の約7割が18歳未満の選手などに関する相談だ(4種:36%、3種:21%、2種:12%)。相談の全てに暴力や暴言などの事実があるとは言わないが、大人から子どもという弱者に対する攻撃は後を絶たない。

2019年8月、国際サッカー連盟(FIFA)は「FIFA Guardians(子ども安全保護プログラム)」を発行した。「児童の権利に関する条約」に規定される子どもたちの権利を、サッカーを通してリスペクトし、推進しようというものだ。アジアサッカー連盟(AFC)も本プログラムの担当者を設置するなど、サッカー界は子どもたちを守ろうと動き出している。JFAも言わずもがな。これまでも、「プレーヤーズファースト」「グリーンカード」「ウェルフェアオフィサー」などさまざまなプログラムを行ってきているが、FIFAのプログラムと連携し、これまで以上に強化していく必要がある。

子どもたちを守ることについて、先進的だと感じるのは、イングランドサッカー協会(The FA)だ。イギリス政府による、2006年の子どもの安全保護の共同取り組みに基づき、18歳未満の選手に関わる人(運営、指導者、審判など)の犯罪履歴のチェックと安全保護に関するワークショップへの参加義務を設けた。さらにはワークショップ/ウェルフェアオフィサー研修会に参加した担当者がいないクラブは大会に参加できないという、しっかりとした建て付けになっている。法的な裏付けもなく、ここまで日本で実施することはできないが、その良さやエッセンスをカスタマイズして取り入れることは可能である。また、日本の文化や日本人の行動様式を念頭に入れたプログラムも作成し、実行していくのだろう。

最近、より良いレフェリングのための手法の一つとして、「ゲーム・エンパシー」を考えることがある。審判員の立場からの観点のみでゲームマネジメントをするのではなく、判定を行うときに選手はどのように感じて、あるいはサッカーとしてどのようなことを期待しているのかを考えてレフェリングをしようというもの。競技規則を逸脱しての判定はできないが、ゴールラインを越える・越えないなどのファクト(事実)以外、判定は審判員の裁量に基づいて下されるものであり、エンパシーを持って、その場に最も良い判定を行おうというものだ。

エンパシー(empathy)は同じく「共感」と訳され、シンパシー(sympathy)と混同されることもあるが、シンパシーが相手を同情する、思いやるというのに対して、エンパシーは相手の立場に立って考えてみるというもの。物の本によると、イギリスでは、人種の違い、経済格差、あるいは価値観の多様性に適用するための教育が小中学校で行われているが、エンパシーの理解もその一つだという。「自分で誰かの靴を履いてみること」という(英語にある)表現は、理解しやすい考え方かもしれない。

新型コロナウイルス感染症対策で、これまで以上にしっかりとした衛生環境を構築する、自分の生活手順を変えていく。なかなか厄介だ。しかし、われわれのサッカーが戻ってきて、それを楽しめることは何よりである。この機会に、新しい環境に順応し、さらには自らをより良いものとしていきたい。それらは、この困難から生じた、あるいは明らかになった、“異なったもの”を相手の立場に立って柔軟に受け入れることだったり、子どもたちを含むさまざまな弱者への対応に順応していくことだったり。そしてわれわれは、これらがトップからグラスルーツまで広く、かつ深く浸透するように行動(活動)していかなければならない。

【報告者】松崎康弘(前JFAリスペクト・フェアプレー委員長)

※このコラムは、公益財団法人日本サッカー協会『テクニカルニュース』2020年7月号より転載しています。

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