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生命へのリスペクト ~いつも心にリスペクト Vol.41~
2016年09月29日
オリンピックが終わって始まったパラリンピックを見て、その迫力や競技性の高さに驚き、感動した人も少なくないと思います。
パラリンピックを見ていると、そもそも「障がい」とは何だろうと考えてしまいます。一般社団法人日本障がい者サッカー連盟が本誌に毎号出している告知によれば、日本の人口の6パーセントが障がい者だと言います。100人に6人、学校の1クラスに2人から3人。耳が聞こえない。目が見えない。何らかの理由で、自分の足だけでは歩くことができない…。そういった「障がい」がある人が、ごく普通に社会生活を送れない現状が大きな問題です。
以前、タイに長く住んでいた人から「タイの障がい者はすごく美しいんですよ」という話を聞いたことがあります。車椅子であろうと、義手であろうと、自分のもっているものをフルに生かして堂々と社会生活を送り、人生を楽しんでいる姿が、ほれぼれするほど美しく見えるというのです。
人間というのは奇跡のような生き物です。生命の進化の中でたくさんの器官が発達し、それを子孫に伝え、言語や高度な社会性など、他の生物にはない要素を発展させてきました。
しかし現在、個体数が72億を超えていると推定されている人類は、そのすべてが同じではありません。いや、72億人すべてが違う人格を持ち、肉体的にもそれぞれの違い、個性を持っています。そして、すべての人が自分自身の生命を大切に思い、精いっぱい生きています。
先天的に目が見えない人がいます。耳が聞こえない人もいます。さぞかし不便だろうと思うのですが、いろいろな道具や周囲の人のほんの少しのアシストがあれば、それぞれの人生を自分自身の力で歩むことができます。
ヘレン・ケラー(1880~1968)は聴覚と視覚の重複障がいがありながら教育者として世界的に影響力をもった人でした。「障がいは不便です。しかし不幸ではありません」という彼女の言葉は、どんな種類の障がいをもった人にも当てはまるものではないでしょうか。
なかには、施設のようなところに入って他人の助けを受けないと自分自身を守っていけないような、重度の、あるいは重複した障がいがある人もいるでしょう。そうした人びともそれぞれの生命を精いっぱい生きており、その姿に励まされる人がいます。たくさんの不自由が重なり、苦しみばかりなのではないかとさえ思える人びとも、一日一日を懸命に生きているのです。
私たちは、生命という永遠に人間が自由にできないものに対し、心からのリスペクトの気持ちを持ち、それを若い世代に伝えていかなければならないと思います。
ブラジルのリオデジャネイロでオリンピックが始まる直前、7月26日の未明に神奈川県の相模原市で起こった障害者施設での大量殺傷事件ほど胸が痛む時間はありませんでした。逮捕された被疑者は自分のしたことを「世の中のため」と主張していたそうですが、それが大きな間違いであることは、生命へのリスペクトの心を理解する人には簡単にわかるはずです。
ことし4月、7つの障がい者サッカー組織が集まり、一般社団法人日本障がい者サッカー連盟を組織しました。公益財団法人日本サッカー協会も連携して「あらゆる人」がサッカーを楽しみ、それぞれの人生を豊かにする活動をしていこうという理念を掲げています。もっと早くこうした動きがあってよかったとは思いますが、すばらしいことに違いありません。
速く歩く人がいます。ゆっくりと歩く人もいます。速く歩く人は、早く目的地に着くでしょう。ゆっくり歩く人は、空の青さや雲の白さ、木々の緑、そしてほほをなでてゆく風を感じ取ることができるでしょう。
「違い」はあります。しかし誰もが懸命に生きています。そしてそれぞれの生命には無限の価値があります。一生懸命に生き、プレーする姿は、どれも同じように美しいはずです。
寄稿:大住良之(サッカージャーナリスト)
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