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世界で最も美しいスタジアム ~いつも心にリスペクト Vol.131~
2024年04月23日
時計が95分を回ったころ、ヴァンフォーレ甲府が右CKから最後の攻撃をかけます。DFの小林岩魚選手がゴール前に送ったボールを蔚山現代FCのGK趙賢祐(チョ・ヒョヌ)選手がパンチング、落下点にいた蔚山の選手がヘディングでタッチラインに逃げます。
ムード・ボニアディファルド主審(イラン)の笛が長く吹かれたのはそのときでした。2022年の天皇杯から始まり、23年秋にスタートしたAFCチャンピオンズリーグ(ACL)のグループステージを経てこの日のノックアウトステージ「ラウンド16」の第2戦まで続いた甲府の勇敢な挑戦が、ようやく幕を閉じたのです。
Jリーグ2部(J2)に所属する甲府。22年度天皇杯でたて続けに5つのJ1クラブを下して優勝を飾って23/24シーズンのACLに出場しました。しかしJ2のクラブがACLに出場するのは異例のこと。グループステージを勝ち抜くのは難しいのではないかという見方が圧倒的でした。
もうひとつ問題がありました。甲府が普段使用している地元のJITリサイクルインクスタジアムが、ACLの施設基準に合わず、使用することができなかったのです。さまざまな調整の結果、ホーム試合は東京の国立競技場で開催されることになりました。
しかし7万人を収用する国立競技場。甲府市から100キロ以上離れたスタジアムでのウイークデーの夜間ゲームに、何人のファン・サポーターが来てくれるのでしょう。ちなみに、22年のJ2リーグでの甲府の1試合平均入場者数は、まだ新型コロナウイルスの影響もあってわずか4930人でした。「どうしたら、国立競技場に人を集めることができるのか」
頭を痛めていた甲府の運営スタッフでしたが、ここで大きな発想の転換が生まれます。「甲府だけでなく、他のクラブのファンにも見に来てもらおう」――。
「Jサポに告ぐ、#甲府にチカラを」というコピーを入れたポスターをJR渋谷駅に掲出すると、若者たちの間で話題になりました。SNSで拡散され、J2からアジアに挑戦する甲府を応援に行こうという機運が生まれたのです。
昨年の9月20日、ACLのグループステージがスタートします。甲府の初戦はオーストラリアのメルボルン・シティとのアウェイゲームで、0-0の引き分け。しかし1試合を通じて攻めに攻めた甲府の果敢な姿勢が、またファンの心をつかみました。
ホーム初戦はタイのブリーラム・ユナイテッド戦。甲府はこの試合も攻撃的に戦い、ついに終了間際に長谷川元希選手が決勝点を挙げて歴史的な初勝利を記録します。1万1802人ものファンが勝利を後押ししました。サポーターの中には、他のクラブのユニフォームを着た人々がたくさん交じっていました。
続く浙江FC(中国)とのホームゲームは1万2256人、メルボルン・シティとの試合は1万5877人。そしてラウンド16の蔚山現代FC(韓国)戦では、冷たい雨にもかかわらず1万5932人と、試合を追うごとに入場者数は増えていきました。
そしてその声援に応えるように、甲府の選手たちはどの試合でも果敢な攻守を見せてスタンドを沸かせ続けました。1-2で敗れた蔚山戦も、シュート数では18-7と圧倒、パスをつないで走り、相手ゴールを脅かし続けました。
そして「多クラブ籍」のサポーターたちは、試合終了の瞬間まで声をからして歌い続けました。
こうしたことを蔚山の選手たちも知っていたのでしょう。試合が終わると、全員で甲府サポーターのところまで行き、敬意を込めて手を振りました。大きな拍手が送られたのは当然です。
さまざまなクラブのサポーターが集まって一つのクラブを応援するのは、サッカーの世界では奇跡といっていい現象です。全身全霊をかけて攻め続けた甲府の選手たち。その甲府を見くびることなく、鉄壁の守備を敷いた蔚山。そして声援を送り続けたサポーターたち。この日、国立競技場は、「世界一美しいスタジアム」でした。
寄稿:大住良之(サッカージャーナリスト)
※このコラムは、公益財団法人日本サッカー協会機関誌『JFAnews』2024年3月号より転載しています。
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