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日本サッカー殿堂

掲額者

下村 幸男SHIMOMURA Sachio
特別選考 2015年第12回日本サッカー殿堂入り
下村 幸男
1932年1月25日、広島県生まれ

修道高校でサッカーを始め、GKとして活躍、1949年度には国民体育大会で3位に入った。1950年から東洋工業(後のマツダ/サンフレッチェ広島の前身)でプレーし、1954年度には実業団チームとして初めて天皇杯全日本選手権の決勝戦に進出、実業団時代到来の口火を切った。1956年度には全国実業団選手権で初優勝を果たす。

1954年FIFAワールドカップスイス予選、1956年メルボルンオリンピック、1958年第3回アジア競技大会(東京)に日本代表GKとして選出される。

1958年には、プレーヤーを続ける傍ら、母校修道高校サッカー部の指導を始める。基礎的な技術、戦術の習得を重視したコーチングで、4年目の1961年度には、国民体育大会と全国高校選手権優勝の二冠を達成した。

日本サッカーリーグ(JSL)が創設された1965年に東洋の監督に就任。小城得達、松本育夫など多くの俊英を集め、攻守にわたる組織的なプレーでチーム力を安定させた。「第3の動き」と呼ばれるコンビネーションプレーを叩き込むなど優れた手腕を発揮し、JSL初年度から4連覇を達成。Jリーグまで続く日本のトップリーグで4年連続優勝はこの時の東洋のみである。1970年度にも5回目のリーグ優勝を果たし、天皇杯も3回優勝するなど功績を残した。70年のJSL優勝の時は歴代最少の14試合でわずか5失点という強固なディフェンスをつくり上げた。

1972年に藤和不動産(後にフジタ工業/湘南ベルマーレの前身)の監督となり、後に日本一を争うチームの基礎を築く。1979年からは日本代表の監督を務め、勝負に徹したサッカーで日韓定期戦を制するなど、指導者としての実績を重ねた。

また、JSLの総務主事(第4代/1977〜78年度)も務め、組織の運営においても貢献した。
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