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第19回日本サッカー殿堂 掲額者決定
2023年06月22日
公益財団法人 日本サッカー協会は、第19回日本サッカー殿堂に、大澤英雄氏、大仁邦彌氏、セルジオ越後氏、高橋陽一氏の4名とFIFA女子ワールドカップドイツ2011 なでしこジャパン(日本女子代表チーム)を掲額することになりましたのでお知らせいたします。
投票選考
投票の結果、該当者なし
特別選考(4名および1チーム)
※生年月日順。各候補者の年齢は9月10日の日本サッカー殿堂掲額式典開催時のもの
1.大澤 英雄(おおさわ ひでお)
1936年1月22日生(87歳)
北海道出身
国士舘大学サッカー部創部時から選手としてプレー。卒業後は、同部のコーチ、監督などを務める。60年以上の長きにわたる指導で、同大学を全国屈指の強豪校にするとともに、数多くのプロ選手を育て上げた。
指導者の養成にも力を注ぎ、同大学から優秀な監督、コーチ、さらにはサッカー協会、クラブスタッフ等、多くの人材を日本サッカー界に送り出した。また、少年(第4種)育成にも目を向け、全日本少年サッカー大会(現、JFA全日本U-12サッカー選手権大会)の創設に尽力。JFAの4種担当理事、特任理事として少人数制(8人制)サッカー導入への道筋をつけた。
2003年には、全国の大学サッカー部に所属する全ての選手に出場機会を提供すべく、「インディペンデンスリーグ(Iリーグ)」を創設。大学サッカーのすそ野の拡大はもとより、Iリーグで出場機会を得て、日本代表に選出されるなど大きく飛躍した選手もおり、トップレベルの選手強化にも大きく貢献した。
日本サッカー指導者協会の初代理事長も務め、指導者の組織化にも尽力した。
現在は学校法人国士舘の理事長を務める。
2019年旭日中綬章受賞。
2.大仁 邦彌(だいに くにや)
1944年10月12日生(78歳)
兵庫県出身
神戸市立本山中学校でサッカーを始める。兵庫県立神戸高校卒業後、1964年に慶應義塾大学に入学し、同大学ソッカー部でプレー。在学中、全ての公式戦にフル出場。
1970年に三菱重工株式会社に入社し、同サッカー部に入部。1972年に日本代表に選出される。日本サッカーリーグ(JSL)では1978年の引退までの8年間で119試合に出場し、1得点、4アシスト。日本代表としてはインターナショナルAマッチに44試合出場。1978年には、現役選手としてプレーを続ける傍ら三菱重工サッカー部のコーチに就任。引退後は専任のコーチとなり、1984年に監督に昇格、1989年まで指導に携わる。
1992年に日本サッカー協会(JFA)の施設委員長に就き、2002年FIFAワールドカップのスタジアム整備や開催地の検討を進める。1996年にJFA理事に就任。同年、強化委員会(現、技術委員会)の委員長に就き、次期監督人事などに携わる。1999年以降、2002年強化推進本部副本部長としてフィリップ・トルシエ監督率いる日本代表チームを支え、2002FIFAワールドカップ日本/韓国でのベスト16に貢献。
JFA常務理事、女子委員長、株式会社日本フットボールヴィレッジ代表取締役副社長、日本フットサル連盟会長等を歴任した後、2006年にJFA副会長、2007年には日本フットサルリーグ最高責任者(COO)に就く。2012年にJFA会長に就任し、2014FIFAワールドカップブラジル出場、女子サッカーの充実、東日本大震災復興支援、JFAの組織改革、高円宮記念JFA夢フィールドの建設等をけん引した。
2016年旭日小綬章受章。
3.セルジオ 越後(せるじお えちご)
1945年7月28日生(77歳)
ブラジル・サンパウロ出身
ブラジル・サンパウロで生まれ育ち、同国の名門クラブであるコリンチャンスなどでプレー。1972年に来日し、藤和不動産サッカー部(現:湘南ベルマーレ)に所属、日本サッカーリーグ(JSL)初の元プロ選手として活躍した。
引退後、JSL1部の永大産業のコーチを務める。1978年より「さわやかサッカー教室」の認定指導員として全国各地を回り、25年間で1000回以上実施、50万人以上の少年少女を指導した。
ブラジル仕込みの卓越したボールテクニックを披露することで少年少女に刺激を与え、受講者から、後にJリーグ選手や日本代表選手になった者は枚挙にいとまがない。全国各地でサッカーの種をまき、その後の日本サッカーの発展に大きく貢献した。また、日本サッカー協会の強化委員(現、技術委員)としても活躍。
現在はサッカー解説者として、サッカーの楽しみ方や魅力を伝えるほか、厳しい視点で問題点を追求するなど辛口のコメンテーターとしても知られている。また、プロアイスホッケークラブのH.C.栃木日光アイスバックスや日本アンプティサッカー協会などの役員を務めるなどサッカー以外のスポーツの振興にも尽力している。
2006年文部科学省生涯スポーツ功労者表彰、2013年外務大臣表彰、2017年旭日双光章を受賞。
4.高橋 陽一(たかはし よういち)
1960年7月28日生(62歳)
東京都出身
1981年に「週刊少年ジャンプ」で連載が始まり、世界中で大ヒットしたサッカー漫画「キャプテン翼」の作者。主人公の大空翼を中心に、個性的なチームメイトやライバルとサッカーを通じて成長していく姿が描かれたこの作品は、連載当初から子どもたちの心をつかみ、多くの少年少女にとってサッカーをプレーするきっかけとなった。「キャプテン翼」の影響でプロサッカー選手になった者も多く、それが後のJリーグ人気にもつながり、日本サッカーの普及と発展に多大なる貢献を果たしたと言える。
テレビアニメも世界各国で放送され、後に世界的サッカープレーヤーとなる多くの選手にも影響を与えた。現在も続編が連載されており、今なお世界中のサッカーファンを魅了し続けている。2013年から「キャプテン翼 ライジングサン」が「グランドジャンプ」で連載中。
コミックスの世界累計発行部数は9000万部を超え、1983、1994、2001年にはテレビアニメ化され、劇場版も製作。舞台化もされた。
また、2019年には自身の出身である東京都葛飾区に誕生したサッカークラブ「南葛SC」のオーナーとなり、Jリーグ昇格を目指している。
5.FIFA女子ワールドカップドイツ2011 なでしこジャパン(日本女子代表チーム)
2011年にドイツで開催されたFIFA女子ワールドカップを制したなでしこジャパン(日本女子代表チーム)。
グループステージを2勝1敗の2位で勝ち上がり、ノックアウトステージでは準々決勝で開催国の強豪ドイツを延長戦の末1-0で下すと、準決勝でもスウェーデンを3-1で退け、初の決勝に進出。
優勝候補のアメリカとの決勝戦で、日本は2度リードを許すも、後半終了間際にMF宮間あや、延長の終了間際にもMF澤穂希がそれぞれ同点ゴールを決めて追いつく驚異的な粘りを見せる。延長戦では決着がつかず、迎えたPK戦でGK海堀あゆみが相手のキック2本を止めるファインセーブを見せて、日本サッカー史上初のFIFA大会制覇を果たした。
主将の澤は大会最優秀選手と得点王(5得点)に輝き、チームはフェアプレー賞を受賞した。
なお、この年は大会前の3月に東日本大震災が発生。日本中が悲嘆に暮れる中、なでしこジャパンがひたむきに、決して諦めることなく戦い、優勝を果たしたことが日本全体を勇気づけたとして、団体としては初の国民栄誉賞に輝いた。