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ザッケローニSAMURAI BLUE監督手記IL MIO GIAPPONE “私の日本”最終回「いつかまた、どこかで」
2014年07月10日
いつか、この日が来ることは覚悟していましたが、現実に皆さんに別れを告げる日が来てみると、私の心は寂しさでいっぱいです。
寂しさの理由は二つあります。一つはワールドカップが残念な結果に終わったことです。ブラジル大会が始まる前は選手もスタッフも全員が素晴らしいワールドカップになる予感を抱いていました。そのポジティブな雰囲気をうまく大会で表現できなかった。これまで自分たちが積み上げてきたものを全て出し切ることなく大会を終えてしまった。その寂しさ、悔しさは言葉では言い表せないほどです。私と選手は、ワールドカップという貴重な機会を十分に生かせなかった事実を厳粛に受けとめています。なぜ、どうして、力をフルに発揮できなかったのか。私の場合、長いキャリアの中でそういう経験がないわけではありません。むしろサッカーとは常に自分たちの思うようにはいかないスポーツという認識を持っています。しっかり準備を整えた、自分たちはいい仕事をしている、そういう確信めいたものをチームに関わった全員が持っていながら、なぜか結果につながらない。チームにも個人にもサッカーではそういうことが時に起きるものです。その理由を「これだ」とシンプルに特定することは難しい。いろいろな要素が重なってうまくいかなかったのだと思っています。今も悔しさは晴れません。救いがあるとすれば、将来的につながるグループをこの4年間で形成できたと個人的には確信しています。サッカーのスタイルとしても、チームの年齢構成にしてもそういったことがいえると思います。今回参加したほとんどの選手は次のワールドカップも戦えるはずです。個人的にうれしかったのは、そういう私の仕事をしっかり理解してくれる人たちがいるということです。ブラジルから日本に戻ってきて、私と接する人々の温かい態度にそれは感じました。日本協会もこの4年間に積み上げたものをベースに、それをさらにブラッシュアップしていくと話してくれました。ワールドカップの10日間の出来が悪かったからといって、4年間積み重ねたすべてを消去するような考えを協会もサポーターの人たちも持っていない。それはすごくうれしいことでした。
胸に去来する寂しさのもう一つの理由は、大好きな日本、そして日本代表からついに離れるときがきたことです。日本での暮らしは想像以上に快適でした。誰に聞かれても「素晴らしい」と答えるしかないほど、すべての面で最高でした。暮らし始めてすぐに自分が快く迎え入れられていることに気づき、元気づけられました。初めての海外生活という新しい環境にこの年齢で飛び込んで円滑に仕事ができたのは、日本の皆さんの思いやりあふれる受容の精神のおかげだと断言できます。生活面でいいことが起きると仕事も自然とうまくいきます。一緒にコラボレートしてくれたスタッフもいい人たちばかりで、おかげで仕事がスムーズに運んだと思います。欧州で選手を視察し、海外で試合を行っても、日本が自分の帰るべき「家」になっていました。本当に濃密な4年間で、良い思い出だけがありすぎるくらいあります。日本の方々は老若男女を問わず、ずっと日本代表を声援してくれました。どんな苦境に陥っても「フォルツァ」「がんばりましょう」と言い続けてくれたことはすごく力になりました。特に埼玉スタジアムの試合の素晴らしい雰囲気は最高の思い出ですね。埼玉スタジアムのホームの雰囲気は欧州のどこにも負けないと思います。日本の文化が反映された日々の生活はあまりにも心地よく、快適な日本の暮らしに慣れてしまったことで今後のことがかえって不安になっているくらいです。この4年で自分の半分は、いや、半分以上は日本人になった気がするくらいで、日本以外での暮らしに馴染めるかどうか心配になっているのです。おそらく、日本人の血が私の体のどこかに流れてしまっているのでしょう。今はイタリアの故郷に戻っていますが、ここでの暮らしにですらアジャストできるのか不安でなりません。
この4年間、日本代表というチームを、私は心血を注いで育ててきたという自負があります。急いで高い建物を建てるのではなく、時間がかかってもレンガを一つ一つ積み上げるように土台のしっかりしたものをつくろうと思いました。全員で成長していこう、全員で次のステップに進むのだという気持ちでやってきました。その気持ちは誰を呼んでも共有できましたし、チームとしてのまとまりを欠いたことは一度としてありませんでした。私が監督になってから代表に本格的にデビューした選手もたくさんいます。今後も代表チームの顔としてやっていくメンバーを育てられたのは大変うれしいことです。最終的にワールドカップには23人しか連れていけませんでしたが、それ以外のメンバーのことも私は決して忘れません。呼ばれる回数が多かった選手も、短い時間しか接することができなかった選手も、全員がこのチームのためにやろうという姿勢を持って私と同じ時を刻んでくれました。それは日本の選手の素晴らしい資質だと思いますし、本当に心から感謝しています。そんなチームを離れるタイミングが来た。そう悟った私は、ブラジルのイトゥでの最終日、選手、スタッフ、みんなに別れを告げました。さすがに、こみあげてくるものを抑えることができませんでした。このチームは4年間、本当にいいグループであり続けました。それは、私だけの手でつくれるものではなく、選手たちの協力とスタッフを始めこのチームにかかわったすべての人々がそれぞれの役割を全うすることで可能になりました。みんなで、日本代表を育てているような実感があり、やがてそれは確信へと変わりました。最後の最後で結果は出せませんでしたが、結果でも中身でもサポーターを喜ばせたいという強い願いを私も選手も常に共有してきました。
世界に足跡を残せたか、と問われれば、親善試合で数回程度だったかもしれません。しかし、アジアレベルでは決定的な差を他のチームにつけたなと思っています。就任してすぐにアルゼンチン、韓国と親善試合をしましたが、当時は韓国の方が力は上というパワーバランスだったことを記憶しています。今はまぎれもなくアジアナンバーワンだと思います。この4年の間にアジアの中でほかのどの国よりも成長したのは日本だと思います。世界レベルに届く、その直前まで来ていることも間違いない。何かのきっかけがあれば、というところまで本当に来ているのです。ここからもうひと伸び。その仕事は後任の方に託します。次のチームにメッセージを一つ残すことが許されるならば、これまで以上に「やるんだ」「ワールドカップでも主役を演じるのだ」という強い気持ちを示せるようになれることが大事ではないかと思います。中身が伴わないと根拠のない自信になってしまいますが、他の強豪国の監督さんたちは「日本代表は強い」「脅威だ」と本心から私に打ち明けてくれています。外部の評価がそうなっているのだから、日本自身が強い自信を持たないと本当にもったいないと思います。4年という歳月をかけて積み上げてきたものは、間違いなく次代に生きると思っています。次のロシア大会に向けてさらにスタイルに磨きをかけ、本物の自信を培い、世界のメーンキャストの仲間入りを果たす野心を胸に、より一層の成長を遂げてほしいと心から願っています。日本のサッカー文化の特徴を他国のそれと比べたとき、日本の進むべき道は、結果だけを求めてサッカーを小さくまとめるのではなく、内容で上回るサッカーをして結果も出す。そこを求めていくのが日本の道だと信じています。中身を充実させることが日本が勝利に近づく最短距離だと信じています。
これまで長い間、このコラムを読んでいたただいてありがとうございました。私にとって、このような形で自分の思いを伝えるのは初めてのことでしたが、日本での暮らしとともに貴重な経験になりました。また、どこかで皆さんと会える日を楽しみにしています。もし、どこかで私の姿を見かけたら気軽に声をかけてください。私の心はいつも日本と、そして代表チームとともにあります。
vol.1~35はこちら vol.36、37は下記関連ニュース参照
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