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【東京オリンピックに向けて】菅原由勢選手インタビュー
2019年10月31日
2020年7月に開幕する東京オリンピックに向けて強化を進めるU-22日本代表。今回は、2017年のFIFA U-17ワールドカップ、今年のU-20ワールドカップに出場し、10月のブラジル遠征でU-22日本代表に初招集された菅原由勢選手に話を聞きました。
――U-20ワールドカップが終わった今年6月、名古屋グランパスからオランダのAZアルクマールに期限付き移籍をして4か月。クラブが発信するSNSからは、早くもファン・サポーターから愛され、チームに溶け込んでいる様子が伝わってきます。
菅原 AZの選手やスタッフ、街の人たちは温かく迎え入れてくれて、誰もが「難しいことがあったら言ってくれ」と言ってくれましたし、監督もよく声を掛けてくれて、僕が100%の力を出せる環境を作ってくれています。同じポジションで、ノルウェー出身の(ヨナス・)スヴェンソン選手は英語がしゃべれるので、僕が合流した日はずっと一緒にいてくれたし、練習中もオランダ語の指示を英語で教えてくれる。そうやって周りにサポートしてもらっているので、充実した毎日を過ごせています。
――スヴェンソン選手にとって菅原選手は、右サイドバックを争うライバルなのに、手を差し伸べてくれたんですね。
菅原 彼は本当に優しくて、バスも隣同士で座っています。選手としても素晴らしいので、彼から多くのことを吸収していて、一緒に居残りでクロスやシュートの練習もやっています。僕にとって師匠というか、海外風に言うと、“brother”みたいな関係。ただ、彼からポジションを奪わなければいけないのも確かなので、心の中で「彼を越えたい」と思いながら、練習に励んでいます。
――子どもの頃からヨーロッパでプレーするのが夢だったそうですが、本格的に世界を意識したのは、初めての国際大会となった17年のU-17ワールドカップですか?
菅原 そうですね。特にラウンド16のイングランド戦は今でも強烈に覚えています。あのときのイングランド代表は史上最強と言われていて、今、チャンピオンズリーグやA代表で活躍している選手たちがいた(※マンチェスター・シティのフィル・フォデン、チェルシーのカラム・ハドソン=オドイ、マンチェスター・ユナイテッドのアンヘル・ゴメス、レスターのデマレイ・グレイなど)。歯が立たないというか、「今まで自分は何をしてきたんだろう」と思わせられるくらいの90分間でした。あの試合のあと、「このまま日本にいたらダメだな」と感じて、それ以降、世界基準を本気で意識するようになりました。
――すると、U-17ワールドカップを終えたときには、2年後のU-20ワールドカップで欧州のクラブからのオファーを掴み取るんだ、という野心が芽生えていた?
菅原 正直、完全にそれを狙っていましたね。「U-20ワールドカップで自分の人生を変えるんだ」というのは、U-17ワールドカップを終えた時点で、新しく立てた目標でした。それからの2年間は自分でも驚くぐらい、その目標が頭によぎるというか。実際、いろいろなものを犠牲にしてきましたし、それだけ僕はU-20ワールドカップに懸けていた。だから、僕は今、オランダにいると思います。もちろん、そういう舞台を用意してくれた周りの方々、送り出してくれたグランパスの方々にも感謝しています。
――U-17ワールドカップの翌年、18年シーズンのJ1開幕戦では、高校2年生ながらスタメンの座を射止めました。その時点では、思い描いた目標に着々と近づいている手応えがあったと思いますが、夏にチームが選手を補強すると、出場機会を失ってしまった。戸惑いや焦りも強かったのではないか、と想像します。
菅原 最初、スタメンになったときは「これは、来たぞ!」と思いました。しっかりアピールして、プロ契約を勝ち取ろうと思ったし、実際に勝ち取れましたけど、やっぱりプロの世界は簡単ではなかったですね。出られなくなってからは、もがきにもがいたというか。正直、何が正解か分からなくなって、「どうしたら試合に出られるんだろう」と悩んで、迷走して……。そんなとき、ふと携帯に入れていたU-17ワールドカップのイングランド戦の映像を見たんですよね。そうしたら、自分が情けなくなってきたというか。自分は何をやっているんだと。それで、改めて「世界を目指す」という目標を確認してからは、練習も前向きに取り組めるようになりました。試合には出られないけど、その間、自主練をしたり、筋トレをしたり、試行錯誤しながらU-20ワールドカップまでの時間を過ごしていました。
――名古屋グランパスで試合に出られなくなり、もがき苦しんでいるときに支えとなったのが、「U-20で人生を変えるんだ」という熱い想いと、それへのモチベーション。
菅原 間違いないですね。U-20日本代表の中で、このワールドカップに懸ける想いが一番強いのは自分だと思っていたし、それに対して取り組んできた自信もありました。だから、U-20ワールドカップを迎えたときには「ついに来たな」と思えましたし、「あとは楽しんでやるだけ」というマインドになれたんです。実際、初戦のエクアドル戦が始まってすぐ「やれるぞ」と感じたし、試合終盤になっても「このままずっと試合をしていたいな」と思えるくらいでした。難しい時期を乗り越えた先には、こうした良いことが待っているんだな、と実感できた。もちろん、まずはチームの勝利のために、という考えも忘れていませんでしたが、大会を通して、自分の持っているものを表現できたと思います。
――実際、U-20ワールドカップで菅原選手は攻守両面で頼もしく、素晴らしいプレーを披露したと思います。ただラウンド16の韓国戦、ラストワンプレーで菅原選手のパスミスから決勝点を奪われてしまった。あのプレーをどう受け止め、そこからどう立ち直ったんですか?
菅原 あのミスは、絶対に許されないミス。みんなには本当に申し訳なく思っています。ただ、映像を見返して思ったのは、決して悪い選択ではなかったということ。自分としては、あそこで繋いでカウンターから点を狙いたかったんです。だから、パスを選択したことに後悔はなくて、自分の技術が足りなかっただけと捉えていて。もちろん、ショックを受けて難しい時期もありましたし、「このミスから、強くならなきゃいけない」という使命感も生まれました。いろんな感情が芽生えましたけど、今は、挑戦した結果のミスだと、ポジティブに捉えることができるようになりました。
――このブラジル遠征では、東京五輪世代であるU-22日本代表に初招集されました。東京五輪については、どう思っていますか?
菅原 日本代表というのは自分にとって特別な場所ですし、これまで日本代表としてU-17、U-20のワールドカップに出場させてもらったのは、本当に光栄なことだと感じています。やっぱり日の丸を背負うと、力がみなぎってくるんですよね。特に東京五輪は自国開催ですし、自分に参加資格があると分かったときから目指してきました。これまで東京五輪世代の代表には呼ばれていなかったので、多少の焦りはありましたけど、気負いすぎず、自分としっかり向き合っていれば、いつかチャンスが来るはずだと思っていました。その結果、今回呼んでもらいましたけど、ただ、次も呼んでもらえる保証はない。だから、ラストチャンスという気持ちでいます。東京五輪で金メダルを獲りたいという気持ちを誰よりも強く持っている自信があるし、今回、初めて参加させてもらって、東京五輪への想いが、一層強くなりました。
――最年少で、初招集だけど、そんなことは関係なく、「やってやるぞ」と。
菅原 僕は本当に、サッカーでは年齢は関係ないと思っていて。実際、AZのFWは僕より1歳年下ですし。そういうのを見ると、ピッチに立てば、実力がすべて。みんな平等なんだなって。だから、自分の持っているものや気持ちをピッチ内で表現して、結果を残していきたいと思います。
(インタビュー:2019年10月上旬)
第32回オリンピック競技大会(2020/東京)
サッカー競技日程:2020/7/22(水)~2020/8/8(土)