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ボールは丸い ~いつも心にリスペクト Vol.94~
2021年04月21日
イビチャ・オシムさんが日本代表の監督をしていたころ、あるアジアのチームとのアウェイゲームの前日の記者会見でこんなやりとりがありました。
「明日は何得点が目標ですか」
相手はFIFAランキング100位台のチーム。グループ全体の得失点差争いも重要な焦点でした。しかしオシムさんは顔を真っ赤にしてこう話しました。
「何をバカなことを言っているんだ! 国際試合に楽勝などない。相手も必死にやってくるし、どんな結果もありうるのがサッカーだ」
この連載の最初のころ、試合前のロッカールームでヨハン・クライフがチームメートたちに言った言葉を紹介しました。ある選手の相手チームを侮るジョークに、みんなが大笑いしていたときです。
「どんな試合も、0-0から始まるんだぞ!」
今回は、デットマール・クラマーさんが日本のサッカーに残した言葉を紹介しようと思います。
「ボールは丸い」
多くの人が聞いたことがあるに違いありません。丸いボールはどう転がるか、どっちに弾むか分からない。だからどんな結果でも起こり得る。大逆転劇や、圧倒的に押されていたチームが一発のカウンターアタックで勝ってしまったときなど、「ボールは丸いよね」などと話します。
しかし、この言葉はクラマーさんが考え出したわけではなく、クラマーさんの「師」にあたる人から受け継がれたものです。そして、そのニュアンスも、私たちがいま使っているのとは少し違います。
クラマーさんの師は、ゼップ・ヘルベルガーさんという人です。第二次世界大戦前からドイツ代表の監督を務め、戦後、1950年に「西ドイツ」として国際舞台への復帰を認められると監督に就任しました。復帰第1回の1954年ワールドカップ・スイス大会で、絶対的な優勝候補と言われたハンガリーに0-2から逆転勝ちして優勝(「ベルンの奇跡」と呼ばれています)、戦後復興の真っただ中にあった国民を大きく勇気づけるとともに、世界が称賛する「最後まで諦めない」ドイツサッカーの姿勢を植えつけた人です。
クラマーさんは、後に西ドイツ監督となるヘルムート・シェーンさん、クラブチームを率いて革新的なサッカーを見せたヘネス・バイスバイラーさんと共に、アシスタントコーチとしてヘルベルガーさんの薫陶を受けました。「ボールは丸い」の完全版は、次のようなヘルベルガーさんの言葉です。
「ボールは丸い。試合は90分間続く。それ以外は、すべて論理的な帰結だ」
この言葉は、54年のワールドカップの決勝を前に選手たちに語ったものです。相手は4年間負けを知らないハンガリー。西ドイツはこの大会の1次リーグで対戦したのですが、3-8という衝撃的なスコアで敗れていました。
「サッカーには不可能などない。大事なのは、相手を恐れることなく、キックオフから終了のホイッスルが吹かれるまで、集中して勝利のために戦うことだ。あとは君たちがこれまでどんな努力をしてきたかが決めてくれる」
ハンガリーを恐れる選手たちに対し、ヘルベルガーさんはこんなメッセージを贈ったのです。そしてそれに発奮した選手たちは、前半8分までに0-2とされてもくじけず、あっという間に同点とし、後半39分に逆転のゴールを決めて3-2の勝利をつかんだのです。
オシムさんの記者への叱咤も、クライフの仲間たちへの叱責も、そしてヘルベルガーさんの「ボールは丸い...」という言葉も、意味はすべて同じだと私は思います。相手をリスペクトするとともに自分たちの力を信じることの大切さ、何でも起こりうるサッカーというゲームをリスペクトして試合に臨み、終了の笛が吹かれるまで集中してプレーを続けることの意味を説いているのです。
オシムさんは叱責しっ放しではありませんでした。会見後、叱責した記者を捕まえて言いました。
「君はいつもいい記事を書いている。でも相手チームへのリスペクトを忘れてはいけないよ」
寄稿:大住良之(サッカージャーナリスト)
※このコラムは、公益財団法人日本サッカー協会機関誌『JFAnews』2021年2月号より転載しています。
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