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人命へのリスペクト ~いつも心にリスペクト Vol.123~

2023年08月24日

人命へのリスペクト ~いつも心にリスペクト Vol.123~

「一人の生命は地球より重い」

この言葉を残したのは、日本の総理大臣・福田赳夫さん(1905~1995)です。

1977年秋に日航機のハイジャック事件が起こり、バングラデシュの首都ダッカの空港で身代金の支払いや服役中の仲間の釈放を求めた過激派の要求を、福田さんはこう説明してのみました。国際的にはテロに対する弱腰な対応と非難の声も上がりましたが、人命の重さを表現した言葉は、いまも私たち日本人の心に残っています。

さて、6月11日のJリーグで印象的な出来事がありました。J1リーグ第17節の「名古屋グランパス×アビスパ福岡」の一戦、2-1とホームチームがリードして迎えた後半37分のことです。

1点を追う福岡の右CK。短くつないで紺野和也選手が送ったクロスは大きすぎ、逆サイドに抜け、左のコーナーポストに当たってタッチラインにこぼれます。そこから名古屋の和泉竜司選手がスローインしようとしたときのことです。川俣秀主審がピピー!と笛を吹き、両手を上げながらコーナーに近づくと、右手でコーナーの延長線上の観客席を指さしながらタッチライン沿いに走り始めました。

スタンドでは数人のファンが立ち上がり、倒れた誰かの様子を気づかっているように見えます。川俣主審はスタンド10列目ほどのファンが急に倒れたのを見て試合を止め、名古屋ベンチにドクターの出動を頼んだのです。

すぐに名古屋の酒井忠博ドクターがバッグを持って近藤啓機トレーナーらと共にコーナー近くまで走ります。観客席はピッチ面から1メートルほどの高さがあり、その上に手すりもついていて、階段はありません。しかし一刻の猶予も許されません。酒井ドクターと近藤トレーナーが登り始めると、名古屋の中谷進之介選手が手を貸して押し上げ、すぐに名古屋GKのミッチェル・ランゲラック選手と福岡のウェリントン選手もそれを助けます。そして間もなく福岡の牛尾哲郎ドクターもかけつけ、懸命の処置が続けられたのです。

川俣主審の行動は、一瞬の迷いもなく「人命第一」の姿勢を貫き、本当に立派なものでした。しかし私が同じように感心したのが、両チームのベンチと選手たち、そして観客の態度でした。選手たちは誰もが立ち止まり、心配そうにスタンドを見上げていました。名古屋の長谷川健太監督と福岡の長谷部茂利監督も、非常に落ち着いた様子で推移を見守っていました。

川俣主審は両チームのキャプテンを呼んで状況を説明し、両監督とも話して了解を取りつけました。中途半端に試合を再開するのではなく、きちんと搬送が完了してから試合を再開すると方針を説明したのだと思います。

そうした状況を理解し、静かに見守っていた観客の態度も、また称賛に値するものでした。J1の前半戦最終節、名古屋は上位を死守したい試合、福岡は中位から浮上したい試合です。残り10分を切っていちだんと白熱したときのアクシデントに、いら立っても不思議はないところですが、そうした空気が一切なかったのは、日本の人々が共通して持つ「人命は地球より重い」という意識だったのではないでしょうか。

ようやく搬送が完了し、選手が動き出したのは試合停止から11分以上たったとき。その1分後に川俣主審は両チームのキャプテンを呼んで再開の予定を告げ、5分ほどして選手たちの準備ができたのを確認すると、ようやく試合再開の笛を吹いたのです。

ちなみに、ピッチでの時間空費ではなく外的要因での中断だったので、時計は後半36分40秒(表示では37分)から動かされ、アディショナルタイムを含めて52分15秒に終了しました。通算すると後半は70分間近くに及んだことになります。再開後も激しい攻防が続きましたが、名古屋が2-1で逃げ切りました。

「ひとつの人命」のために審判とチームと観客全員の心が一つになった、Jリーグ30年の歴史に残る試合でした。

気になるのは、倒れたファンのことですが、ご安心を。命に別状はなく、無事退院されたそうです。

寄稿:大住良之(サッカージャーナリスト)

※このコラムは、公益財団法人日本サッカー協会機関誌『JFAnews』2023年7月号より転載しています。

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