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[女子チームのつくりかた]備後府中TAM-Sで指導にあたる森岡博昭さんに聞きました!
2010年03月03日
チームを立ち上げようと思ったきっかけは?
2005年に市の福祉会館を府中市生涯学習センターにリニューアルすることになったんです。この生涯学習センターができたことを受けて、教育委員会の生涯学習課から府中市サッカー協会へ同センターの多目的広場の活用について今までにないアイデアで何かできませんか、という話をいただきました。もともとバレーボールなど室内スポーツがさかんな土地柄なんですが、地元に根付いていないスポーツを取り上げたいという先方の意向もありました。我々としても小学生や中学生の女の子が活動の場がないという状況をかねてからどうにかしたいと思っていましたので、小中学生以上の女子をターゲットにこれまで府中市になかった「ボールを蹴れる環境」を作ってはどうかということで、まずフットサルスクールを始めました。すべてのタイミングがうまく合ったんです。
立ち上げに至るまでの流れを教えてください。
2005年4月に話をいただいてから府中生涯教育課と府中市サッカー協会で協議を重ねて、フットサルスクールを始めることになったわけですが、6月にはもう募集をかけてスタートしました。そのフットサルスクールがサッカーチームに変わっていくことには、ほとんど時間はかかりませんでした。市の方で広報してもらって、最初は10人程度でしたが、男子と一緒にプレーしている子、全くボールを蹴ったことがない子・・・、いろんな子供たちが集まりました。なんとか人数を集めて試合をしたりするうちに、スクールとしてやっているより、チームとして試合をやりたい、勝利を味わうために選手たちが自然に戦いたいと思うようになっていったと感じます。とにかく選手たちに熱意がありました。指導者に関しては、サッカー協会員から派遣し、日々のトレーニングの段取りを行いました。並行して生涯学習課には選手の募集の告知を引き続きやってもらい、保険などの面もしっかりカバーしていただきました。その結果、男子に交じってボールを蹴るのを敬遠していた子やサッカークラブに縁のなかった小学生だけでなく、中学生になってサッカーを辞めてしまった子や、初めてここからサッカーをやってみたいという子どもたちが集まり、週に1回のトレーニングでしたが、思っていた以上に選手が集まり、2006年4月にチーム登録しました。
これまでに生じた最大の壁はどんなことでしたか?
あまり大きな問題はなかったように思います。ただ選手が一時的に集まりすぎて室内の限られた狭いスペースの中でトレーニングが思うようにいかなかったことがあります。今は選手の数が落ち着いてきているんですが、うまくコントロールしなければいけないと感じました。
独自のアイデアというものはありますか?
生涯学習センターでトレーニングをするときには、U-12とU-15及びO(オーバー)-15の選手たちを近くでトレーニングさせるようにしています。自分より少しでも上手な選手がそばにいることにより、自分もああなりたいと思わせるようにしています。また、年上と年下の選手が積極的に関わり合うことで、教えることや習うことのいい習慣作りができればとも思っています。
府中市サッカー協会と直結しているというのも大きな利点だと思います。何か問題や悩みがあれば、協会全体でフォローするという体制ができています。問題提起をすれば、みんなで解決策を探ることができるのは心強いですね。あとは、施設が教育委員会の管轄ですから、使用料がかからない。選手たちも市のイベントに参加してケーキを売ったり、イベントで試合をしたり、地域との交流も積極的に図っています。知名度も結構あったりするんですよ(笑)。
チームが始動してから生じた課題とそれに対する取り組みを教えてください。
やはり試合相手が近くにいないため、いつも2時間近くかけて広島市やその他の地域へ試合をしに行っていました。今もですが、親御さんが送ってくれたり、サッカー協会のメンバーにバスを運転してもらったりと、みなさんの力をお借りしています。また、中学でも部活動をしている選手がサッカーと部活動の試合が重なり、試合によってはメンバーを構成するのに困難が生じることもありました。最初は私が協力してほしいということで学校に話をしに行こうかとも思ったのですが、そこは選手の自主性にまかせてみました。選手たちは自分の口から先生へ説明し、今では「ダメなときは早めに言ってね」という感じに先生方が理解を示してくれています。
これからチームが目指すビジョンとは?
府中市を中心に近隣で隣接している地域の女子選手をもっと受け入れて、多くの女子選手が「備後府中TAM-S」というチームで活動してほしいです。そして、女性指導者やレフェリーの育成はもちろん、チームも年代別チーム(現在はU-12、U-15、O-15)の創設や中国リーグなどに参加してハイレベルな環境でサッカーができるチーム編成なども行っていければと思います。
ここでサッカーをやっていた選手も何年かたてばお母さんになります。よくお父さんとキャッチボールをするというのが微笑ましく語られますが、そんな風にお母さんが子どもとサッカーをするのもいいし、お母さんにオフサイドを教えてもらうっていうのもカッコイイじゃないですか。TAM-Sでの活動を通じて素敵な女性に成長していってくれたらと思っています。
チームトレーニングレポート
TAM-Sとは作る(T)、遊ぶ(A)、学ぶ(M)から作られた名前です。そのTAM-Sのトレーニングは週に3回。水曜はチーム創設の源となった生涯教育センターの多目的広場で、金曜、土曜は押さえているグラウンドでトレーニングを行っています。生涯教育センターでのトレーニングとなったこの日はU-12、U-15、O(オーバー)-15合わせて26名が18時からのトレーニングを待ちわびていました。
体を温めるために行うのは鬼ごっこ。自分たちでどんどん動いていきます。選手たちは必死です。なぜなら負けたら「大声で歌を歌う」という罰ゲームが待っているから。この日も負けた選手の大きな歌声が多目的広場に響いていました。多目的広場はフットサルにも対応しています。それをU-12チームと半分ずつに分けて、ボールを回していきます。そしてシュートへ。そこではDFがいないので絶対にゴールを外してはいけません。その後、仕掛けやドリブルなどを組み込んだシュートトレーニングへと移行していきます。指導する森岡博昭さんは「トレーニングは常に逆算の考え方でやっています。例えば、サッカーはボールが1つですよね。何で1つなんだろう?って考えると2つでもいいんじゃないか、となる。そしたらボールを2個使ってゲームをしてみる。ゴールはなんでこの大きさなんだろう?小さく(もしくは大きく)してみればどうなるんだろうかといった具合に考えていくんです。DFを置かずにシュートを先にやらせるというのもその考え方の一つです」と語ってくれました。また、トレーニングにはさまざまな要素を織り交ぜたものを考案しているものの、選手たちにはそのトレーニングの中に何が潜んでいるかは敢えてわからないようにしているのだそうです。そして森岡さんが考えるトレーニングには1年を通じてシナリオがきちんと計算されています。冬は寒さもあるため、打開や突破といった動く幅が大きいものを。春は勝負に勝ちたいから守備を。夏には強い相手を試合であたったりして凹む時期なので、イメージを持ってパスサッカーを中心に。秋は試合も多く、集大成の時期なのでパスサッカーから出てくる問題点に取り組みながらシュートする前のポゼッションに意識を持っていくといったように、試合の多い秋に、チームの取り組んできたことをまとめるという流れになっています。
TAM-Sはこのフットサルコートからスタートしただけあって、この地域ではかなり名の知れたチーム。フットサルの実力は県の選抜メンバーに選手が選ばれていることからも見て取ることができます。それは森岡さんのユニークなトレーニング方法にもひとつの要因があるのかもしれません。
そんな森岡さんが指導するにあたって気をつけていることがあるといいます。それは「やわらかな表現の仕方」。「女の子は一言で言うとマジメ。僕から見ると少し“過呼吸”状態になりやすい。もっともっとと、力以上のことを追求し過ぎる傾向があります。なのでわざとカワイイって言葉を使うんです。ナイスシュートともいいますが、そこをビューティフルゴールって言ったり形容を変えるんです」(森岡さん)。森岡さんは学生時代にアメリカで生活していたことがあり、そこで女子サッカー選手の姿を目の当たりにしていました。「よく、“女の子”が“女”になるとプレーしつづけることは厳しいという意見を聞きますが、僕はそんなこと思ったことはないんです。だって、アメリカで出会った選手たちは全く違っていましたから」。そしてその当時感じていたのが、冬の時期にアメリカの女性たちが興じていたサロンフットと呼ばれるもの(当時はフットサルというものが浸透していませんでした)。これをサッカーと融合したらきっと面白いとその時からずっと思っていたといいます。「フットサルの技術をサッカーに生かしたい。そしてもちろんその逆もアリです」(森岡さん)。そんな指導方法のもと、のびのびとトレーニングをする選手たち。驚いたのが楽しさと厳しさのバランスが絶妙に保たれていること。トレーニングは21時まで、休憩を除いても1時間半から2時間は集中している時間が続きます。その時間の中で、中だるみがほとんど見受けられません。時折笑い声も聞こえますが、間の時間に体幹トレーニングもしっかり行う。一瞬の時間も無駄にしたくないという選手たちの気持ちの表れのような気がしました。
中学3年生の赤川紀乃さんは、大変なバイタリティの持ち主です。中学の部活動では吹奏楽、卓球とこなし、サッカー面では男子のクラブチームに所属していました。「男子は足も速いし、身体のつくりも違うので、トレーニングでは吹っ飛ばされたりもしました。最初の1年はキツかったですね。それ以上に、なんてったって男子とは上手くコミュニケーションが取れない(苦笑)。それでも段々慣れてきて試合にも出れるようになったんですけど、2年にもなるともう本当についていけなくなりました。向こうも大きくなるけど、自分の身体も変わってきます。ケガをしてしまったこともあり、辞めてしまいました。でも続けたくて遠くても他の女子チームに入ったこともあったんですけど、ちょっとレベルが低くて満足できませんでした」。そんなときに知ったのがTAM-Sだったそうです。「このチームは先輩・後輩の関係もある中で、刺激しあえるのがいいです!トレーニングの中では年齢の差は関係なくライバルだけど仲がいい。ケガでブランクはあったけど、みんなと一緒にがんばって試合に勝って、上に上がって行けたらいいと思います」(赤川さん)。
みんなが楽しくボールを蹴りながらも、互いに厳しさも持つ。楽しみながらステップアップしていく。とても難しいこの両立をTAM-Sの選手たちは当たり前のことのようにやってしまう。その根底にはチームメイトとの信頼関係やコーチの方々の努力、地域のあたたかい応援がありました。「僕は選手を上手にすることに長けてはいないけど、選手を楽しくさせる自信はあるんですよ。」最後に森岡さんが話してくれた言葉が印象的でした。