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【東京オリンピックに向けて】渡辺剛選手インタビュー
2020年04月06日
国際オリンピック委員会が、2021年7月へと大会開幕を延期した第32回オリンピック競技大会(2020/東京)。新型コロナウイルス感染症の影響を考慮して3月の活動を中止したU-23日本代表は、今後、情勢等を見極めたうえで活動予定を立てていきます。
今回は、昨年10月のブラジル遠征で代表に初選出され、今年1月のAFC U-23選手権タイ2020にも出場したDF渡辺剛選手(FC東京)に話を聞きました。
――中央大学から加入した昨年は、シーズン途中からFC東京でレギュラーの座を獲得して優勝争いを繰り広げ、U-22日本代表、日本代表にも選ばれて、目まぐるしかったのではないですか?
渡辺 たしかに、自分でも気づかないうちにステージがどんどん上がっていったというか。東京で試合に出始めた頃はすごく楽しかったですが、終盤になるにつれ、ファン・サポーターの期待や優勝争いのプレッシャーをすごく感じました。U-22代表も、日本代表もあれよ、あれよという間に選ばれた感じで。そこまで想定してしっかり準備できていたかと言うと、そうではなかったかもしれません。
――12月7日に行われた最終節で横浜F・マリノスに敗れ、あと一歩のところでリーグ優勝を逃してしまいました。
渡辺 力不足を痛感しました。これまでにないくらい悔しかった。ただ一方で、あの経験を積めたことに関してはポジティブに捉えています。優勝できなかったのは、やり残したことがあるから。達成できなかったからこその次への楽しみもある。先輩からも「俺は十数年プレーしていて、ようやくここまで来たのに、剛は1年目からこの経験ができて羨ましい。この経験を糧に、どんどん成長していけるよ」と声を掛けてもらいました。
――U-23日本代表のチームメイトであり、仲の良い遠藤渓太選手にかわされ、ダメ押しとなるゴールを決められたシーンは、脳裏に焼き付いているのでは?
渡辺 もちろん(苦笑)。でも、自分らしいなとも思いました。最後の最後に、自分のところでやられた。今年うまくいったからと言って、調子に乗るなよ、とガツンとやられたような気がしています。
――その後、日本代表としてEAFF E-1サッカー選手権に、年明けにはU-23日本代表としてAFC U-23選手権に出場しました。どちらも悔しい経験だったと思います。
渡辺 E-1選手権では第2戦の香港戦で代表デビューをさせてもらいましたが、印象に強く残っているのは韓国との最終戦です。僕はベンチスタートでしたが、韓国の選手の気合がベンチにいても伝わってくるほどでした。彼らは『日本に負けたら、恥ずかしい』くらいの気持ちでガンガン攻めて来た。これが国を背負って戦うということだな、これが日韓戦だな、と感じました。日本の何人かの選手は、その勢いに気圧されていたし、自分がピッチに立っていたとして、どうだったか。あの雰囲気を感じられたことがすべてですね。
――AFC U-23選手権では、1分2敗でグループステージ敗退を喫しました。
渡辺 モチベーションが低かったわけではないし、選手同士でしっかり話し合っていた。自分たちとしては精一杯やったつもりでしたが、結果が付いて来ないまま、ズルズルと行ってしまった。でも、そういうことって、サッカーをやっていればあると思います。そのとき、どうやって流れを断ち切り、修正するか。大会中に解決できればよかったですが、できずに敗退してしまったことは反省しています。特に僕はゲームキャプテンを務めさせてもらいましたから。オリンピックまでに一人ひとりがもっとレベルアップしないといけないと、強く感じました。
――個々がレベルアップしないと、チーム力も高まらない。
渡辺 そうですね。特に中東のチームは個人でガンガン仕掛けてきたので、自分としても1対1の対応に課題があるなと。各々が自分に足りないものを認識できたと思うので、クラブに戻って、課題と向き合わないといけないと思います。結果に関しては、かなり批判もされましたが、結果がすべてなので受け入れています。ただ、僕はこれまで批判される立場にすらいなかった。期待されていたり、代表としての責任を背負っているからこそ批判されるわけで、自分の立ち位置の変化も感じられたし、その批判がモチベーションにもなっています。
――初めてU-22日本代表に選ばれた19年10月のブラジル遠征では、中山雄太選手や三好康児選手といった、ヨーロッパでプレーする同世代とも一緒にプレーしました。彼らとプレーして、どんなことを感じました?
渡辺 彼らと話して感じたのは、“自分を持っている”ことですね。ピッチで自分がうまくプレーするための流れみたいなものを確立していて、「こうしていこう」とか、「こうした方がいいよね」と主張できる。異国の地で戦い抜くには、自分を持っていないと難しいだろうな、と思いました。
――以前、「最後の最後にオリンピックのメンバーに滑り込んでやろうと思っています」と話していたのを覚えています。初選出となったブラジル戦でいきなり先発起用され、AFC U-23選手権でもキャプテンマークを巻いて2試合で先発しました。オリンピックへの意識もずいぶん変わってきたのでは?
渡辺 「最後の最後に滑り込んでやる」というのは本音で、自分の立ち位置を考えると、サプライズ選出が現実的なんじゃないか、と思っていました。だから、(昨年10月の選出は)思っていたよりも早かったなって。でも、あのタイミングで選ばれた以上、これからはサプライズではなく、実力勝負で勝ち取らないといけない。ブラジル戦でチームの勝利に貢献できたからこそ、その後もチャンスをもらえたと思うし、あの試合は、自分も世界を相手に戦えるかもしれない、と感じたゲームでもありました。そういう意味では、あのブラジル戦から改めて、オリンピックに出たいと強く思うようになりましたね。
――もともと東京オリンピックを意識するようになったのは、いつ頃ですか?プロに入ってから?
渡辺 いや、中学生(FC東京U-15深川)か、高校生(山梨学院大学附属高校)の頃からですね。
――そんなに早くからですか?
渡辺 自分の年代が東京五輪世代と知ったときから意識するようになりました。高校選抜に選ばれたとき、『今後の目標』を書く機会がありましたが、そこでも『東京オリンピック』と書きましたから。
――では、FC東京U-18に昇格できず、高校、大学と進み、少し遠回りしましたが、目標に近づいてきたと。
渡辺 そういう意味では、東京に入ったのも、オリンピックに出ることから逆算して、というか。東京オリンピックのメンバーに選ばれるには、東京でレギュラーを取るくらいのインパクトがなければ、自分には可能性がないと思っていたので。
――森重真人選手かチャン・ヒョンス選手からポジションを奪うくらいじゃないと。
渡辺 加入したときも、先輩たちに「センターバックとして、Jリーグで最も厳しいチームに来たな」と言われました。でも、それを承知のうえで、FC東京を選んだ。高校時代は純粋に(古巣の)東京に戻りたいな、と思っていましたけれど、大学生になって、プロ入りが現実味を帯びてくると、ちょっと悩んだりもしました。本当に森重選手、ヒョンス選手のいる東京に行くべきなのか、もっと出場機会が得られそうなチームで経験を積むべきなのかって。でも、最終的には、このチームでポジションを獲れたら東京オリンピックに出られる可能性も高まるのではないか、ということで決断しました。
――それで、チャン・ヒョンス選手から貪欲に学ぼうと、練習も筋トレも一緒にやって、質問攻めにしたわけですね。
渡辺 ヒョンス選手も僕のことを弟分のように可愛がってくれました。「俺にこんなに聞きにくる選手は、これまでいなかった」と言って。そうしたら夏にヒョンスがサウジアラビアのチームに移籍して、僕に出番がめぐってきた。運が良かったです(笑)。
――ポジションを掴み、思惑どおり東京オリンピックのメンバー入りという目標に近づいたわけですが、3月末の南アフリカ戦、コートジボワール戦は中止となってしまいました。
渡辺 3月の親善試合がなくなってしまったのは残念ですけれど、あまり気にしていないです。自分がどう思ったところで、決定は変わらない。そういう意味では、オリンピックが延期になって、年齢制限が変わって出られなくなっても(※オリンピックの男子サッカーは23歳以下の年齢制限がある。第32回大会の「1997年1月1日生まれ以降」の選手参加資格が大会延期とともに変更されれば影響がある)、落ち込まないと思います。仕方ないなと気持ちを切り替えて東京でのタイトルと日本代表定着を目指します。
(インタビューは3月中旬に行われました)
第32回オリンピック競技大会(2020/東京)
サッカー競技日程:2020/7/22(水)~2020/8/8(土) ※開催延期