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【心をひとつに~能登半島復興へ】第2回「輪島でサッカーを続けられる環境を」輪島高校サッカー部顧問・中村邦弘さん

2025年03月04日

【心をひとつに~能登半島復興へ】第2回「輪島でサッカーを続けられる環境を」輪島高校サッカー部顧問・中村邦弘さん

輪島高校サッカー部の顧問を担当し、輪島市サッカー協会では理事長を務める中村邦弘さん。地震発生時の状況や輪島市のサッカーを取り巻く現状、復興への思いについて聞きました。

※このインタビューは2025年1月30日に実施しました。

母校の輪島高校へ赴任、熱心にサッカーに取り組む選手たちは心の支え

――2024年1月1日、地震があったときのことをお聞かせください。

中村 私は輪島の自宅にいました。最初に揺れがあったとき、娘に近所の義理の母の家へ様子を見に行ってもらい、その後に大きな揺れがありました(16時10分地震発生)。なんとか柱につかまって揺れを耐え、家と倉庫の隙間から抜け出して母と娘と合流して自宅前で待機していたところ、大津波警報の発表があり(16時21分)、近くのふれあい健康センターまで避難しました。

――その後はどうされたのでしょうか。

中村 自宅と母の家は朝市近くにあり、その後に発生した火災で焼失してしまったので。

――2軒とも…。

中村 はい。家も燃えてしまってどうしましょう、と。ふれあい健康センターは避難所となり、元日に職場にいた妻も合流してそこに留まることになりました。母は健康状態が心配だったので金沢市内の老人ホームに移り、3月にわれわれも仮設住宅に入りました。

――今も仮設住宅にお住まいなのですね。

中村 そうです。輪島で一番海に近いマリンタウンに最初にできた仮設住宅にいます。そろそろ一年になりますね。避難所に比べるとだいぶプライバシーも守られて暮らしやすいですし、コミュニティもできています。ただ、狭くて隣人との距離も近いので子どもたちはストレスが溜まるかもしれません。

――昨年3月まで能登高校に勤務され、4月からは輪島高校に移られたとお聞きしています。

中村 能登高校は1月半ばに授業が再開し、私も職場に復帰しました。4月からは19年ぶりに母校の輪島高校に赴任することになりました。輪島は被害が甚大だったので引っ越しを余儀なくされ、転校した生徒は多かったように思います。心に不安を抱えている生徒もいますので専門家による心のケアも行われています。

――輪島高校ではサッカー部の顧問もされています。活動状況を教えてください。

中村 サッカー部は1年生から3年生まで25人ほどいて、今は3年生が抜けて11人(うち1人は他校に一時通学中)で活動しています。高校のグラウンドは地震後、自衛隊車両の駐車場となりました。鉄板や砂利が入り、自衛隊が撤収した後もグラウンドとして使えない状態だったため、練習は18km離れた日本航空高校石川(現在は東京都へ一時移転/以下、航空石川)に移動する必要があり、久しぶりにマイクロバスのハンドルを握ることになりました。

公式戦は、七尾市にある和倉温泉多目的グラウンド(人工芝ピッチ3面)や能登島グラウンド(人工芝ピッチ2面)で行われることが多かったのですが、地震による被害で全て使えなくなりました。小松市や加賀市まで遠征しなければいけないことが何度かあって、石川県の高体連や教育委員会などの補助でバスをチャーターできたときはとても助かりました。


現在改修中の輪島高校のグラウンド。地震後は駐車場となって使用できず、練習はマイクロバスで航空石川まで移動していた

――航空石川は学校の施設を使えるよう開放してくださっています。

中村 航空石川には人工芝のグラウンドがあって、石川県サッカー協会や航空石川の計らいにより、奥能登のサッカーチームで活用させてもらっています。一部陥没していますが練習は十分可能で、ピッチの幅を少し狭めれば試合もできます。放課後や土日など週3~5回はバスで通って練習していました。12月中旬からは積雪や寒さのため、学校の体育館などでのトレーニングに切り替えています。高校のグラウンドは改修中なのですが、校舎の一棟の基礎が破損していることが分かり、仮設校舎が建設される可能性があります。この春から学校のグラウンドで練習できると思っていたのですが、活動は流動的になりそうです。


輪島高校サッカー部の練習風景。冬場は学校の体育館などで練習している。「県内の高校の中でも古くからサッカー部があり、
受け継いできた伝統もある。そうしたものを次の世代にも伝えていきたい」と中村さん

――市内のグラウンドの多くが今も使えない状況なのですね。

中村 マリンタウンの競技場とサブグランドには仮設住宅が建設され、少なくとも2~3年は使えないでしょう。輪島市総合体育館はほぼ全壊、一本松総合運動公園体育館(サン・アリーナ)も被害を受けて物資置き場として利用されていました。


輪島市総合体育館も地震によって損壊した

学校の施設も例外ではありません。輪島高校は先ほどお伝えした通りですが、小学校のグラウンドも多くが仮設住宅や仮設校舎の建設場所となりました。輪島中学校にいたっては、地震でグラウンドの一部が崩壊し、9月の記録的豪雨でほぼ半分が流されてしまいました。サッカー部や野球部の選手たちは、狭い場所での練習を強いられています。


地震後のマリンタウン競技場は地割れや隆起による被害が発生。その後は仮設住宅が建設された

――その中でも選手たちはサッカーを楽しんでいますか。

中村 楽しそうにサッカーしていますよ。不自由な中ではありますが、熱心に練習している彼らの姿は、心の支えになっています。

願うのは、少しでも早いグラウンドやスポーツ施設の復旧

――輪島市サッカー協会の事業についても教えてください。

中村 昨年を振り返ると、例年、成人の日に実施していた「JFAファミリーフットサルフェスティバル」が中止となり、2月に行っていた輪島市フットサル大会も実施できませんでした。そうした中で、6月22日と23日に「JFA・キリン ビッグスマイルフィールド」が輪島市立門前東小学校と輪島高校で開催され、それを機に徐々に市内のサッカーも動き出した気がします。

――ビッグスマイルフィールドは、子どもから大人まで地元の多くの方々が参加されました。

中村 避難所にいる人たちも参加してくれて、とても楽しいイベントになりました。子どもに限らず、大人もストレスを溜め込みがちになりますから、普段はサッカーに関わったことのない人たちも積極的に参加してくれたことがうれしかったですね。多くの市民が集って、交流して、久しぶりに顔を合わせるサッカー関係者もいて、感慨深い時間になりました。

10月にはSAMURAI BLUE(日本代表)の森保一監督も来てくれ(詳細はこちら)、輪島市サッカーフェスティバルにも参加してくれて、みんなうれしそうでした。IFAキッズサッカーフェスティバル、スポーツ少年団の招待サッカー大会など、規模は縮小しながら徐々に活動ができるようになり、今年2月には、昨年できなかった輪島市フットサル大会を輪島高校の体育館で開催予定です。中学生からシニアまで久しぶりに交流ができそうです。


中村さん自身もシニアチームに所属。昨年4月に練習を再開でき、仲間とプレーできる喜びや楽しさを感じていたが
12月以降は使える場所がなく活動できていない(前列左から3人目が中村さん)

――地震から一年が経過し、あらためて感じられていることは?

中村 先はまだまだ長い、ということです。輪島市サッカー協会の役員を含め、私たち指導者ができることは、今ある環境をいかに創意工夫して活用していくか、ということ。ありがたいことに日本サッカー協会、石川県サッカー協会、さまざまな支援団体、サッカーファミリーのおかげで、子どもたちは普段できないような体験をする機会をもらっています。指導者もさまざまな経験をさせてもらっています。これまで支援いただいた皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。経験から得たものをヒントに、日々の活動を構築していく必要があると考えています。

――サッカーやスポーツの担う役割という点ではいかがでしょうか。

中村 先日、輪島市スポーツ協会役員の会合がありました。そこでは「私たちの生活においてスポーツがいかに重要なものかを再認識した」という意見が多くありました。市営の施設が全て休止状態では、復旧・復興が進んでいることを実感できません。市民がスポーツをする中心的な役割を担っていたサン・アリーナだけでも早く復旧できないか、という声が多く寄せられていました。サッカー界としてもグラウンドの早期復旧を願っています。


バレーボールやバスケットボール等の試合が行われていたサン・アリーナの現状。隣接された市民温水プールも使用できない。
中村さんは「みんなが集えるスポーツ施設ができれば、輪島で暮らす人々の心のよりどころになると思う」と話す

――輪島の子どもたちや選手たち、これからの復興に向けて思いをお聞かせください。

中村 子どもたちはたくましいです。そのエネルギーは大人たちの希望であり、励みになっています。輪島高校の選手たちも大変な思いをしていますが、サッカーが自由にできることを当たり前と思わず、今の経験を自分の糧にして他人を思いやることのできる人間に育ってほしい。輪島でサッカーをすることを選んだ人たちが「輪島でサッカーをやっていてよかった」と思える状況に戻ることを願っていますし、輪島でサッカーを続けられる環境を何とか整えていきたい。輪島市サッカー協会としても、関係各所と情報交換しながら環境の改善に努めていきます。

【心をひとつに~能登半島復興へ】第1回「僕たちは能登の人々と共に戦う」ツエーゲン金沢・廣井友信クラブキャプテン

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