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「過去を大切にしながら前に進む国」東日本大震災から10年~リレーコラム 第13回~
2021年04月01日
東日本大震災から、10年のときが経ちました。国内外から多くのサポートが寄せられ復旧が進んだ一方で、復興にはまだ長い道のりが残されています。それぞれの立場で、東日本大震災とこの10年間にどう心を寄せ、歩んできたか。ここではサッカー関係者のエッセイやコラムをお届けします。
第13回は、東日本大震災発生時にSAMURAI BLUE(日本代表)の監督を務めていたアルベルト・ザッケローニさんです。
10年前の3月11日のことは今も鮮明に覚えています。自宅のパソコンをにらみながら、チームの研究をしているときでした。大きな揺れを身体に感じました。イタリアという国はアフリカプレートとユーラシアプレートがぶつかってできた半島であり、欧州では比較的地震が多い国として知られています。私なりに地震の経験はあったので最初は「すぐに終わるかな」と思っていました。これはただごとではないと思ったのは、揺れが収まり、自宅のドアを開けて廊下に出たらハウスキーピングの女性が泣き崩れているのを見たときです。誘導の指示に従い、階段を使って1階のレセプションにたどり着いたとき、他の住人たちが寝袋や救急キットを持っていることに気づきました。それで、地震に慣れた日本人にとっても、この揺れはよほどのことなのだろうと理解しました。
「余震があるから建物から離れた方がいい」と誘導され、近くの広場に移動している最中に2回目の大きな揺れが来ました。地面はこんなに揺れるものなのかと驚きました。恐怖を感じたのは揺れそのものより、これまで見てきた映画の中の地震の場面がイメージとして浮かんだせいだったと思います。「これは地割れが起きる。この地面の下から何が出てくるのか。日本の地面の下にはいったい何があるのか」。瞬間的にそんなことを考えたことも覚えています。広場に着いたら、オフィスビルから吐き出されたビジネスマンやビジネスウーマンも大勢いました。私に気づくと笑顔になってサインを求められたり、一緒に写真を撮ってくれと頼まれたりしました。その夜はいつも一緒に行動するコーチ陣にも電話がつながらず、イタリアの家族に安否を知らせることもできませんでした。何が起きているのか把握しようとつけたテレビでは、宮城を襲った津波の映像が繰り返し流れていました。あまりにも衝撃的な映像に言葉を失い、胸が痛みました。深夜になってやっとインターネットがつながり、自分の無事を家族に伝えることができましたが、一人で部屋にいると虚無感に襲われ、むなしさのあまり、このまま世界が終わるかのような思いにとらわれました。10年前に起きたことのそんな一瞬一瞬が、今も脳裏に焼き付いて離れません。おそらく終生、忘れることもないでしょう。
それから18日後の3月29日、大阪の長居スタジアムで「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」と銘打ち、日本代表とJリーグ選抜の「TEAM AS ONE」の間で試合を行いました。3月はもともと二つの代表戦が組まれていました。25日に静岡でモンテネグロと、29日に東京・国立競技場でニュージーランドと戦うはずでした。それが大震災の影響でどちらも流れ、大阪でチャリティーマッチを行うことになったのでした。当然そこには賛否両論があったことと思います。Jリーグは再開を4月23日に設定していました。それを思うとずいぶん早い再起動になります。でも、私は、人生は前に進むものだし、それまであった通常の姿に戻ることも大切なことだと認識していました。もし、我々が動き出すことで、間接的にでも国を助けることにつなげられるのであれば、人々を少しでも元気にすることができるのであれば、あるいは善意の募金がそれを必要とするところに届けることができるのであれば、意義のあることではないかと思いました。過去に起きた悲惨な出来事をなくすことはできないけれど、つかの間でも、つらい気持ちをどこか別のところにそらすことができたら、それは大事なことだと思いました。直視するだけでなく、時には現実から目をそらすことも必要ではないかと。当時の空気を振り返ると、大地震、巨大な津波、そして福島の原子力発電所の爆発と次から次に未曽有の事態に襲われ、誰もが不安のどん底に沈んでいる感じがあったように思います。だからこそ、そんな気持ちが少しでも軽くなればいいなと思いました。容易なことではないが、トライする価値はあると。
試合に合わせて海外組が戻り、3日間の練習は公開にして、練習前には募金活動を行いました。そこに長い行列ができ、行列を何列かに分けて、選手で分担しながら即席の握手会も行ったと記憶しています。私の近くにキャプテンだった長谷部誠がいたのも覚えています。列に並んだ人たちが笑顔になってくれたことが強く印象に残っています。集まった選手の顔ぶれを考慮すれば、試合は真剣にやるべきだと思いました。それで3-4-3のシステムに挑戦させました。先発はGKが川島永嗣、3バックは右から吉田麻也、今野泰幸、伊野波雅彦、MFは右のウイングバックが内田篤人、左が長友佑都、長谷部と遠藤保仁がボランチで、3トップは右から本田圭佑、前田遼一、岡崎慎司でした。試合を通じて3ゴールが生まれましたが、自分たちが決めたゴールはあまり覚えていません。どんなふうに相手にアプローチするのか集中していたせいもありますが、何より自分たちが決めたゴールより、三浦知良に決められたゴールの記憶の方が大きいせいでもあります。私は練習試合でもゴールを決められるのが嫌いな人間です。それがあのときは初めて相手にゴールを決められてうれしくなりました。日本のプロサッカーの歴史ともいえる三浦がゴールを決めたことは、あの試合の何かを象徴する、特別なエピソードだと今も思っています。もっとも、私はミスを必ずしっかりとチェックするタイプの監督なので、マークをルーズにしていた森脇良太を呼んで「集中しろ」と注意もしました。そのゲームでというよりも、彼の将来を見据えた上で助言したのです。Jリーグ選抜の監督がドラガン・ストイコビッチだったのも喜びでした。彼のことは彼の選手時代からずっと尊敬していたからです。今でも彼のゴールシーンを集めた動画を見ては楽しんでいるほどです。彼のベストゴール? それは間違いなく、名古屋グランパスの監督時代に、ベンチ前から横浜F・マリノスのゴールに革靴で蹴り込んだ一撃でしょう。
私の長い監督のキャリアの中で「3.29」は他の試合と比べようがない唯一無二のものです。勝ち負けがさほど問われない珍しい試合だったのもありますし、人間の善良な部分があふれた素晴らしい試合でもありましたが、一方で、あのような悲劇を受けての試合は一度きりでいいという思いも、どうしてもしてしまうのです。日本を離れて長い歳月が過ぎましたが、今も福島を初め、東北の被災地の復興の状況を継続的に注意深く見守っています。つい先日も福島に関するドキュメンタリー番組を見たばかりです。私にとって、日本で過ごした4年間は人生で最良の日々でした。日本代表の監督を辞めた後も、一年に一度は日本を訪ねて、友人たちと旧交を温めているくらいでした。それが昨年は新型コロナウイルスの感染拡大で日本を訪ねることができませんでした。日本を恋しく思う気持ちは募るばかりです。私の日本へのノスタルジーを癒やす手助けをしてくれているのが、サンプドリアの吉田麻也とボローニャの冨安健洋の存在です。吉田も冨安も大活躍してイタリアでポジティブな評価を受けています。彼らは日本サッカーの価値と名誉を代表して戦ってくれている。日本がコンスタントにイタリアに選手を送ってくれているのは本当にうれしい。日本の皆さんには、いつも私が日本を見守っていることを知ってもらいたいですね。過去を大切にしながら、前に進むというのが私の中の日本人像。震災からの復興も必ず実現すると信じています。そしてコロナ禍に打ち勝ち、日本の皆さんと再び会える日が来ることを心から楽しみにしています。(協力:宮川善次郎、矢野大輔)
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