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父の日に思う~【コラム】 田嶋幸三の「フットボールがつなぐもの」vol.13~

2020年06月21日

父の日に思う~【コラム】 田嶋幸三の「フットボールがつなぐもの」vol.13~

父の面影

6月21日は「父の日」ということで、今日はあらためて「父親」について思いを巡らしてみました。

父は昭和2年に熊本県の天草で生まれました。生家は網元でしたが、炭鉱も持っていて手広く事業をやっていました。
僕は4人兄弟の末っ子で、父が40歳のときに生まれた子どもでしたので、育ち盛りの頃は父はもういい歳で、父とキャッチボールをしたり、ボールを蹴ったりといった記憶はありません。どちらかといえば、兄たちが父親のようでした。
父の記憶で唯一思い出に残っているのが、正月に凧を作ったこと。凧は左右のバランスがとても大切で、竹ひごを左右対称に結び、その端に凧紐を正確につけるのが小学生の僕にとってはとても難しい作業でした。なかなかうまくできない僕に手取り足取り、丁寧に教えてくれました。そのときの父の横顔を今も鮮明に覚えています。

父の面影をたどり感じることは、父親というのは、子どもに何かを教えてあげるというか、何かしら二人の思い出を残してあげることが大切なのではないかということ。それは、僕の父親のように凧作りでもいいし、自転車でもいい。キャッチボールでもリフティングでもいい。些細なことだとしても、親が教えてくれたことというのは、必ず子どもの記憶に残ると思うからです。

兄たちの勉強には厳しかった父ですが、末っ子の僕には割と自由にさせてくれ、高校進学で迷ったときも、「やりたいことをやってみろ」と背中を押してくれました。そういう意味では、いつもタイミングいいときにアドバイスをくれましたし、褒めてもくれました。もちろん、叱るときも…。

「第二の父」、松本暁司先生

父にお墨付きをもらった僕は、東京世田谷から埼玉県浦和市(現、さいたま市)の浦和南高校に越境入学してサッカー三昧の青春時代を過ごすわけですが、それを支えてくれたのが、僕が“第二の父親”と慕う松本暁司先生(2019年に死去)です。


僕は、小学校1年生のときに見た東京オリンピックでサッカーに夢中になり、中学に上がって仲間と一緒にサッカー部を立ち上げました。顧問の先生はサッカー経験がなかったのですが、優秀な選手がそろっていたので、中2のときに全国中学校サッカー大会(全中)の関東大会で優勝しました。
松本先生との出会いは、よく対戦していた大宮市(当時)の大原中学校のサッカー部の先生が僕を浦和南に推薦してくれたことがきっかけです。松本先生は浦和南の教員だったにもかかわらず、浦和のサッカー強豪校を一緒に回ってくれました。浦和西高校では「ここには西野(朗)っていういい選手がいるんだよ。うちに来ればもっといい選手になったのになぁ」なんて、冗談めかして話していた笑い顔が今も目に浮かびます。

中学で指導者に教わっていなかったので、松本先生と話しているうちに「この先生の下でサッカーがしたい」と強く思うようになり、高校では、将来サッカーの指導者になりたいと教員を目指すようになりました。

松本先生はサッカーの元日本代表選手で、「日本サッカーの父」と言われるデッドマール・クラマーさんの教え子でした。ですから浦和南の選手も「止める、蹴る」という、クラマーさんが大事にしていたサッカーの基本がしっかり身についていました。中学まで自己流でやっていた僕は、入部した当時、彼らとの差を痛感したものです。

松本先生の指導は効率的で、練習時間も短く、遅くても夕方6時半には終わっていました。松本先生の下でのトレーニングはとても楽しく、有意義で、片道1時間45分の通学も全く苦ではありませんでした。
「サボりぐせがあった」と自認する川淵三郎キャプテンが日本代表時代、クラマーさんの目を盗んで10回やるべきところを最後までやらずにいると、クラマーさんに「ミスターカワブチは9回しかやっていないぞ」と言われたと述懐されていますが、松本先生もまさにその通りで、見ていないようでしっかり見ていて、少しでも手を抜くとビシッと注意されました。うまくいかないときはすぐにプレーを止めて教えてくれましたし、いいプレーは必ず、褒めてもくれました。

理想の父親像

人を育てるというのは難しいことですが、多くの指導者を見てきて感じるのは、ここぞという絶妙なタイミングで的確に声がけができる――それが良い指導者ではないかということです。タイミングよく言われたことというのは効きますからね。それはサッカーの技術指導にかかわらず、生活指導でもそうです。
うまくいっているとき、失敗したとき、つらい思いをしているとき・・・人生にはいろいろな局面がありますが、そういうときにどんな言葉をかけられるのか。誰かのたった一言で人生が変わったということはよくあることですからね。

「親父の背中を見て育つ」といいますが、父がよく言っていた言葉が思い出されます。きちんと挨拶をしろ、嘘はつくな、感謝の心を忘れるな、人に誠実で親切であれ・・・。そういう、人としての基本さえできていれば、あとはその土台にいろいろなものを積み上げていける、と。
松本先生からもサッカーを通じて人生に通ずる大事なことを教わってきたような気がします。

自分も二人の息子の父親です。二人とも大学生で、父の日など忘れていると思いますが、二人がそれぞれ夢や目標を持ってサッカーをしてくれていることをとても嬉しく、頼もしく思っています。

父親として常に高潔であらねばと思ってはいますが、人間ですから時にはみっともない姿を見せざるを得ないことだってあります。いいときも悪いときも共に乗り越えていくのが家族であり、それを見ているのが子どもだと思います。
僕は彼らにとってどんな父親なのか。普段は照れくさくてそんな話はできませんが、そうですね、死ぬ前には、僕の存在はどんなものだったのか、二人に聞いてみたいですね。

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